電脳筆写『 心超臨界 』

人生は歎き悲しむよりも
笑いとばすほうが人には合っている
( セネカ )

生きるための杖ことば 《 看脚下——松原泰道 》

2024-10-01 | 03-自己・信念・努力
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暗夜、路上で頼りとする灯火が消えたら、まず第一にわが足元に注意することだ。暗夜に限らず、つねにその時、その場で一番大切なことをすぐに実行することだ。その時、その場に自分を同化したら観念的な答えは生まれるはずがない。看脚下(脚下を看よ、と読んでもよい)は自己そのものの凝視までに徹し、自己の中に埋もれているもう一人の自分にめぐり合うことである。外の灯火は消えても心中の灯明は消えるときはない。


◆看脚下(かんきゃっか)――五家正宗賛(ごけしょうしゅうさん)

『生きるための杖ことば』
( 松原泰道、全国青少年教化協議会 (2001/04)、p180 )

中国五祖山の法演(ほうえん)禅師(1104年没)が三人の弟子と夜道を歩いているとき、風のために、手にしていた灯火が消えて真の闇となる。法演は立ち止まって、弟子たちに「一転語(さとりの心境を表す語)を下せ」と命じる。つまり、「暗夜路上で頼みとする灯火が消えた。さあ、どうする」と。

暗夜行路はそのまま人生である。「杖とも柱とも頼むものが突如奪われた。さあ、これからどう生きるか、今、得たさとりの心境を言え」との問いを含めている。弟子三人はそれぞれ答えるが、とくに仏果(ぶっか=のちの『碧眼録(へきがんろく)』の完成者、1135年没)の答えた「看脚下」が法演の心に適(かな)った。

暗夜、路上で頼りとする灯火が消えたら、まず第一にわが足元に注意することだ。暗夜に限らず、つねにその時、その場で一番大切なことをすぐに実行することだ。その時、その場に自分を同化したら観念的な答えは生まれるはずがない。

看脚下(脚下を看よ、と読んでもよい)は自己そのものの凝視までに徹し、自己の中に埋もれているもう一人の自分にめぐり合うことである。外の灯火は消えても心中の灯明は消えるときはない。

釈尊は臨終のとき、“法(おしえ)を光とし、法を依り所とせよ、自(みずか)らを光とし、自らを依り所とせよ”と、法と自己以外を頼りとするな、との教えを遺した。

看脚下は、前掲の「照顧脚下」と同意語になるから“履物をそろえよ”と拡大解釈されても結構である。いつか新聞の投書欄で、若い主婦の次の投稿を読んで、ほほえましく感じた。

「酒屋のおじいさんが、いつも、にこやかな顔で注文を聞きながら、入口の履物をそろえてくれる。尊い教えで私たちも足もとに注意するようになった」
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