電脳筆写『 心超臨界 』

もっとも残酷な嘘の多くは沈黙の中で語られる
( ロバート・ルイス・スティーブンソン )

道をひらく 《 芋を洗う――松下幸之助 》

2024-08-09 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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  他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は
  すこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
  心を定め、懸命(けんめい)に歩まねばならぬ。それがたとえ遠い道
  のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてく
  る。深い喜びも生まれてくる。
  [ 松下幸之助翁 ]


大きな木桶(きおけ)に芋をいっぱい入れて、その桶の縁(ふち)にあがりこんだ若者が二本の丸太棒(まるたんぼう)でヨイショヨイショとかきまわす。その力に押されて、芋は上から下へ下から上へ、そして右に左にと移動して、大芋小芋とりどりの姿が、現われては消え、消えては現われてくる。上にあるものとても、いつまでも上にいるとはかぎらない。また下の芋も、いつまでも下積みでいるとはかぎらない。やがては上にあがってくる。下におりてくる。


◆芋(いも)を洗う

『道をひらく』
( 松下幸之助、PHP研究所 (1968/05)、p228 )

このごろはあまり街中(まちなか)では見受けなくなったが、それでも、ときどき思わぬところで、昔懐(なつ)かしい芋(いも)洗いの風景にぶつかることがある。

大きな木桶(きおけ)に芋をいっぱい入れて、その桶の縁(ふち)にあがりこんだ若者が二本の丸太棒(まるたんぼう)でヨイショヨイショとかきまわす。その力に押されて、芋は上から下へ下から上へ、そして右に左にと移動して、大芋小芋とりどりの姿が、現われては消え、消えては現われてくる。

上にあるものとても、いつまでも上にいるとはかぎらない。また下の芋も、いつまでも下積みでいるとはかぎらない。やがては上にあがってくる。下におりてくる。

何だか人生の縮図みたいである。人の歩みには大なり小なり浮沈(ふちん)がつきまとう。上りっ放しもなければ、下がりっ放しもない。上がり下がりのくりかえしのうちに、人は洗われみがかれてゆくのである。だから、たまたま上にいたとて、おごることはすこしもないし、下にいたとて悲観する必要もない。要は、いつも素直に、謙虚(けんきょ)に、そして朗らかに希望をもって歩むことである。

おごりの気持ちや悲観の心が出てきたとき、芋洗いの姿を思い出すのも、また何かの役にたつであろう。
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