電脳筆写『 心超臨界 』

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( チャールズ・モーガン )

歴史を裁く愚かさ 《 歴史はもともと複雑なもの――西尾幹二 》

2024-05-05 | 04-歴史・文化・社会
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なにしろそれまでは藩ごとの財政だったので、ここでなんとしても一国の財政にしなければならない。近代国家の体裁を整えていくために国家財政の一元的掌握がどんなに重要で、しかも困難な仕事であったかは、想像に余りある。各藩の武士階級の全員解雇、全員失業という大ドラマだったからである。「廃藩置県」こそがこれを断行し、近代国家への劇的脱皮を成功させた瞬間だったといえる。ところが、藤岡信勝東大教授が再三指摘しているように、現行の歴史教科書ではこの革命的意味がさっぱり分からない。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p12 )
第1章 教科書問題を考える前提
1 歴史の分からない歴史教科書

◆歴史はもともと複雑なもの

日本の近現代史の研究家たちは、どういうわけか昔から明治の自由民権運動には特別の思い入れがあるらしく、ここを強調したがると見ていたが、今度の新検定7教科書もバランスを欠くほどに、その部分の記述が多い。

板垣退助の反政府活動をはじめ、農民の不満、士族の反乱をバックに、広がる国会開設運動が詳しく叙述されるのはいいとして、それにも増して全国各地で多発したさまざまな政治結社の反乱と明治政府による取りしまりや弾圧に大きなスペースを割く。福島事件・秩父事件・加波山事件などをめぐってである。

さらに私たちの頃は習わなかった五日市憲法草案というのが、必ずぎょうぎょうしく強調される。

これは帝国憲法よりも前に、一人の小学校の先生がより進歩的な憲法の一私案を書いていたというもので、日本の歴史を実際に動かすのに与(あずか)って力があったものではない。民間人の一私案である。教科書執筆者がどうしても叙述の中に入れたかったら、せいぜい註記するていどに留めるのが節度というものである。教科書にはスペースに限りがあるからである。

ところが列強の中で必死に自主独立を守ろうとして苦難に満ちた歩みを進めていた明治国家の「目的」は、いっさい執筆者たちの視野の中にはない。明治政府はまず「悪者」として設定されている。自由民権運動は「善人」なのである。きわめて単純なコミック・マンガ風の配役が前提になっている。

けれども日本を近代化し、先進西欧諸国と同じ政治制度の国家をつくり上げようとしていた点では、明治政府も自由民権派も同じ「目的」を共有していなかっただろうか。

教科書執筆者たちが今の自分たちの体制派と反体制派を対立させる政治感情をそのまま歴史に反映させているだけである。それで歴史を描いたつもりになっていることはじつに困ったことである。

明治時代はもっと複雑で、混沌としていた。否、明治時代に限らない、歴史はすべてこんな単純な図式を当てはめて分かるものではない。教科書をいくら読んでも歴史が分からないと言ったのは、このように過去が今の基準だけで語られているからである。

統一したばかりの国家の運営はたいへんな仕事だった。明治の新政府はいつ地方大名の反乱に遭って顚覆(てんぷく)しないとも限らなかった。大政奉還にしてもそれは名目だけで、各藩は半独立の実を残していた。

なにしろそれまでは藩ごとの財政だったので、ここでなんとしても一国の財政にしなければならない。近代国家の体裁を整えていくために国家財政の一元的掌握がどんなに重要で、しかも困難な仕事であったかは、想像に余りある。各藩の武士階級の全員解雇、全員失業という大ドラマだったからである。「廃藩置県」こそがこれを断行し、近代国家への劇的脱皮を成功させた瞬間だったといえる。

ところが、藤岡信勝東大教授が再三指摘しているように、現行の歴史教科書ではこの革命的意味がさっぱり分からない。

廃藩置県は教科書によると、中央集権を一段と強め、中央から県令を派遣して、年貢をすべて東京に集め、封建体制をますます堅固にしただけだという説明である。民衆の暮らしはこれで少しもよくならない。明治政府はこのように悪いことばかりしている。すべてそんな風にしか書いていない。

私はむかし自分が受験時代に使った井上光貞『日本史』(學生社)をひっぱり出してみたら、ここには明治4年、天皇は1万の御親兵を東京に集め、その実力の背景の下に、各大名を藩地から引き離し、旧藩兵の解散を命じた、と近代統一国家へ日本が脱皮していくためのこの政策のもつ政治的軍事的意義をきちんと語っている。

今の教科書は、昭和29年に大学受験した戦後世代の私の受けた教育から比べてもはるかに後退し、歴史認識がおかしくなっているといえる。

封建国家と近代国家がどう違うのか、教科書ではついにそのことが分かるようには書かれていない。明治という新しい時代の変化がなぜか意図的に伝えられていない。明治になっても、いぜんとして同じ「悪」がつづいているとばかり書く。

明治政府のその「悪」はまたもちろん朝鮮や中国を侵略した(とされる)その後の日本政府の悪、今に至るまで戦後補償をしない(とされる)現日本政府の悪といった話にやがて全部つながっていく。一直線につながっていく。
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