電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

日本史 古代編 《 なぜ、日本文化はシナ文化の亜流と見られたのか――渡部昇一 》

2024-06-20 | 04-歴史・文化・社会
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ブリテン諸島が約37万平方キロ、日本列島は約38万平方キロで、わが国のほうがやや大きい。しかし大体においては、ほぼ同じであると言ってよかろう。そして両者とも、その地理的大きさに不釣合いなほぼ特殊な文化圏を形成してきたのだが、これに関しての世界の人々の認識は、かならずしも正確でない。イギリスが小さな島国でありながら、特殊な文明を発達させたことはみんなが知っているが、日本がそうであったことについては、日本人か、よっぽどの日本研究家でないと知らない。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p26 )
1章 神話に見る「日本らしさ」の原点
――古代から現代まで、わが国に脈々と受け継がれたもの
(1) 日本文化――その独自性の淵源(えんげん)

◆なぜ、日本文化はシナ文化の亜流と見られたのか

ユーラシア大陸の両端にそれぞれかなり大きい島がある。西側のほうをブリテン諸島(ブリシッシュ・アイルズ)と言い、東側のほうを日本列島(ジャパニーズ・アーチベラーゴ)と言う。ブリテン諸島の主島は約25万平方キロ、日本の本州は約23万平方キロで、わが国のほうがやや小さいが、そのほかの島々まで合計すると、ブリテン諸島が約37万平方キロ、日本列島は約38万平方キロで、わが国のほうがやや大きい。しかし大体においては、ほぼ同じであると言ってよかろう。そして両者とも、その地理的大きさに不釣合いなほぼ特殊な文化圏を形成してきたのだが、これに関しての世界の人々の認識は、かならずしも正確でない。

イギリスが小さな島国でありながら、特殊な文明を発達させたことはみんなが知っているが、日本がそうであったことについては、日本人か、よっぽどの日本研究家でないと知らない。

私がアメリカの大学で比較文化の講義をするために、教授室で準備をしていたとき、たまたま内田銀蔵(うちだぎんぞう)博士の『近世の日本』を机の上に開いていた。そこに、元(もと)国民政府の外交官で、今はそこの大学の教授をしているシナ人の教授夫妻が入ってきた。その婦人のほうが、それを取り上げて言った。

「われわれの国の本とだいたい同じですね」と。

これに似たようなことは、香港(ホンコン)から来たシナの学者と東京の街を歩いたときも経験した。看板が書いてある字を見て、「われわれと同じですね」と。

誤解のないよう言っておくが、これは「あなたの国の語彙(ボキャブラリ)にわれわれの言葉が混じっていますね」という意味ではないのである。「日本語はわれわれのシナ語の方言みたいなものですね」という意味であり、結局は「日本人もシナの周辺の一部族ですね」というぐらいの意味なのである。

「しかし、シナ人と日本人は話し合っても言葉が通じないではありませんか。われわれは、まったく別の言語を有する別の民族なんですよ」

と言っても、まあ本気にはしてもらえない。

シナ人は北シナ人と南シナ人では全然と言ってよいほど言葉が通じないので、言葉が通じないと言っても別の国だという証拠にはならない、と思っているのだし、文化が違うと言ったところで、これだけ漢字が使われているのを見れば、こちらの言い分などてんで問題にしてもらえない。

大人(たいじん)の風格のあるシナの学者は、鷹揚(おうよう)にうなずいて、こちらの言い分を聞き入れたふうをするかもしれないが、けっして本気で、こっちの独自性を認めているわけではない。彼らは骨の髄(ずい)まで中華思想なので、東アジアにシナ文化以外の文化があったなどとは、夢にも思わないのである。

隣国のシナだって、その程度にしか日本文化を見ないのだから、一般の西洋人にしてみれば、シナと日本の差などは、イタリアとシシリー島ぐらいの差にしか思わないのが当然である。事実、戦後間もなく著(あらわ)された著名なイギリス人の歴史書の中でも、日本はその程度のものとしてしか描(えが)かれておらず、がっかりさせられた記憶がある。
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