電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

向上心 《 相手の心の扉を開くこの“黄金の鍵”!――サミュエル・スマイルズ 》

2024-06-30 | 03-自己・信念・努力
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
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思いやりの気持ちは、他人の心の扉を開く黄金の鍵である。相手を思いやれば、それが物腰の柔らかな礼儀正しさとなって自然に表われるだけではなく、相手の心を見抜く洞察力を与え、智恵を広げてくれる。思いやりの気持ちは人間性の美しさの中でも最高のものと言っていいだろう。


『向上心』
( サミュエル・スマイルズ、三笠書房 (2011/5/21)、p166 )
第5章 よい人間関係をつくる――つき合う相手を糧に自分を成長させているか
1 「心くばり」を軽く見てはいけない

多くの人たちが考えるように、心くばりはとるに足りないどうでもいいものではない。心くばりは人間関係を円滑になごやかにするばかりでなく、仕事を成功に導くうえでも大いに役立っているからだ。

礼儀正しいかどうかによって、その人に対する世間の評価も大きく変わってくるものである。

他人を統率していく時には、才能よりも、礼儀正しさのほうがはるかに強烈な影響力を与えることもしばしばである。上品なだけでなく心のこもった礼儀正しさは、社会的な成功をおさめるためには、何よりも頼りになる助手であり、それがないばかりに失敗した人も大勢いる。

不作法でがさつな態度は、人の心の扉にかんぬきをかけ心を閉ざしてしまうが、親切でおだやかな態度、すなわち礼儀をわきまえた態度は、その扉を開く魔力を持っている。それは、老いも若きもすべての人の心の中に溶け込んで行けるパスポートの役目を果たすのである。

◆相手の心の扉を開くこの“黄金の鍵”!

「礼儀は人をつくる」とよく言われるが、「人が礼儀をつくる」という言葉のほうが正しい。表面は粗(あら)けずりで不作法でも、心は美しく堅実な性格の人もいるだろう。しかしそれに、本当のジェントルマンなら欠くことのできない人あたりのよさと礼儀正しさが加われば、まちがいなくもっと人に好かれ、社会のためにも役立つ人間になれるだろう。

このように、人の立ち居ふるまいは、ある程度その人の人格をあらわすものだ。心の奥にひそむ外の世界に向かって説明してみせるものであり、その人がこれまで過ごしてきた社会的環境をはじめ、趣味や感情、そして気性などがそれによってわかるのである。

慣習的な紋切り型の礼儀作法というものがあるが、これにはあまり価値がない。しかし生まれつきの素質から染み出し、慎重な自己修養を積み重ねた結果、身についた自然な礼儀作法のほうは、大きな意味を持っている。

気品のある礼儀は、洗練された精神には欠かすことのできない感受性とでもいうようなものから導かれてくるものである。

この観点から見ると、感受性は才能や学問に負けないほど大切なものであり、人間の趣味や性格を決定するうえではその二つよりも影響力が強いとさえ言えるかもしれない。

思いやりの気持ちは、他人の心の扉を開く黄金の鍵である。相手を思いやれば、それが物腰の柔らかな礼儀正しさとなって自然に表われるだけではなく、相手の心を見抜く洞察力を与え、智恵を広げてくれる。思いやりの気持ちは人間性の美しさの中でも最高のものと言っていいだろう。

一方、人為的なマナーはほとんど役に立たないし、「エチケット」と呼ばれるものは、裏を返せば本質的には不作法で誠実味のないことが多い。形ばかりにこだわったわざとらしさが目立ち、付け焼刃であることをすぐに見破られてしまう。うまくいけば本物の礼儀作法のかわりを務められることもあるかもしれないが、結局のところ、ただの模造品にすぎないのである。
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