電脳筆写『 心超臨界 』

どんな財産も誠実にまさる富はない
( シェークスピア )

歴史を裁く愚かさ 《 日本での多様な戦争観の共存――西尾幹二 》

2024-07-19 | 04-歴史・文化・社会
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私は、歴史というのは沈黙している部分があると思うのです。しかし沈黙しながら声を発しつつある。無言のうちに声を発している部分があって、それは簡単には言葉にはなりませんし、あえて言葉になろうとはしないのですが、外から言葉を与えられると、つまり、非難されたり謝罪を求められたりすると、「不服従」の感情を表に現しはじめます。戦争に敗れた国の歴史は、一般に抑圧されているからです。


『歴史を裁く愚かさ』
( 西尾幹二、PHP研究所 (2000/01)、p272 )
終章 日本人の自己回復

◆日本での多様な戦争観の共存

私は、歴史というのは沈黙している部分があると思うのです。しかし沈黙しながら声を発しつつある。無言のうちに声を発している部分があって、それは簡単には言葉にはなりませんし、あえて言葉になろうとはしないのですが、外から言葉を与えられると、つまり、非難されたり謝罪を求められたりすると、「不服従」の感情を表に現しはじめます。戦争に敗れた国の歴史は、一般に抑圧されているからです。

外国から、日本人は先の戦争に対する言葉による精算、心の整理をやっていないという非難を浴びることが、今でもたびたびあります。中には、日本人には道徳的感情が欠けているということをいう外国もありますが、ドイツと違って、日本のした戦争は複雑です。日本の国内にはドイツと違って、多様な戦争観が共存しているのです。

大東亜戦争肯定論から、日清、日露戦争以来、日本は犯罪国家であったというかつての社会党左派のような近代日本否定論まで、右から左まで多様なる戦争観が共存しています。ドイツの場合はそうはいかない。ドイツではナチスが悪かったということで、国民がほぼ同じ考え方に近づかないとやっていけない。それだからこそ、かえって同じでない考えをもつネオナチのような人が出てくるわけですけれども、公的にはほぼ同じ考えで統一させている。

日本はそうではないのです。ドイツとは、戦争の動機も目的も結果も全く違うから、実にいろいろな考え方が共存している。それゆえに、本来なら国会決議なんかできるはずもないし、統一された歴史観が成立するはずもない。それは外国が非難するように日本人が罪の意識に対してだらしがないからではなく、戦争の様態そのものがドイツと違って複雑多様で、両面性を持っているからなのです。

だから世界各国が第二次大戦でもたらした日本の一定の成果、あるいは意義を、歴史的にある程度承認してくれる日が来るまでは、日本人はあえて統一意見を述べない。それが日本国内の多様な統一されない意見の、あるいは沈黙の現われではないでしょうか。日本人の意思表明の不徹底さ、あるいは沈黙の中にこそ、日本人の自己主張が込められていると考えるべきではないでしょうか。歴史には沈黙する部分があると申し上げたのは、そのことです。

では、この問題を自分の国の問題として考えたときに、いままで申し上げてきた謝罪の問題とか、歴史教育の問題にどう対応すべきなのか。たとえば、外国の大統領が来ていい加減なことをいわれてもその真偽が見分けられないとか、こういう日本人の不甲斐なさといいましょうか、自己回復できていない状況に対して、このままでいいのだろうかという気持ちを非常に強く持つのです。

すなわち、このだらしない事態を日本人自身の自己反省として引き受け、どうすればわれわれは、われわれだけを責め、客観的に世界全体を見渡せない視野の狭さと自我の弱さを乗り越えられるかを、真剣に考えていくべきでしょう。

一口でいうと、日本人は自分で自分に敗れたのだと私は思っているのです。あるいは、日本の未成熟がもたらしたものといってもいいかもしれない。したたかさが欠けているといってもいいかもしれない。心が敗れたからだといってもいいかもしれない。
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