電脳筆写『 心超臨界 』

想像することがすべてであり
知ることは何の価値もない
( アナトール・フランセ )

般若心経 《 木組みは人組み、人組みは心組み――松原泰道 》

2024-06-30 | 03-自己・信念・努力
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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思えば、この世の中も、まじめな人だけで保っているのではないし、またくせ木のような人ばかりいるわけでもありません。さまざま人が、さまざまな角度で人組みしているのです。「心」という縁によって、多種多様に仕組まれていることがわかります。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p180 )
5章 色即是空 空即是色――いかに虚無感を乗り超えるか
舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
(1) 無情感から無常観へ
舎利子 色不異空 空不異色
しゃりし しきふいくう くうふいしき

◆木組みは人組み、人組みは心組み

大和(やまと)の法隆寺や薬師寺の国宝建造物を修理した、宮大工(神社・仏閣などの建築を専門とする大工職)の西岡常一(にしおかつねかず)さん(1908- )は、木造建築の大工事を請け負って建材を仕入れるときは、直接山に行って、その山に植えてある樹木を全部買うのだそうです。それは同じ土地に生じた樹木はその性質が似ていることや、東南に面して育った樹木を建造物の東南に用いると、陽が当たっても狂わない利点があるかからです。

しかし利点ばかりではありません。全山の樹木を入手するのですから、真っ直ぐな、建材に適したものばかりとは限りません。曲がったくせ木も当然あるわけです。真っ直ぐな木ばかり選んで、くせ木を用いないのは「すぐれた大工の頭梁ではない、真っ直ぐな木とくせ木を、どう組み合わせたら建造物が美しく力強く見えるか、ここに心を注ぐのが本当の頭梁である」と西岡さんは言い切るのです。

西岡さんによると、宮大工には代々、次の口伝が伝承されているそうです。

  塔組みは木組み
  木組みは木のくせ組み
  木のくせ組みは人組み
  人組みは心組み
 (西岡常一・小原二郎著『法隆寺を支えた木』NHKブックス)

思えば、この世の中も、まじめな人だけで保っているのではないし、またくせ木のような人ばかりいるわけでもありません。さまざま人が、さまざまな角度で人組みしているのです。「心」という縁によって、多種多様に仕組まれていることがわかります。

やはり古歌の、

  引きよせて結べば柴の庵(いおり)なり 解くればもとの野原なりけり

と引き合わせると興味を感じます。

立派な建造物でなくとも、柴や竹などを寄せ集めると、そのかかわり合いの縁によって、仮小屋の庵ができます。庵は「色」です。柴や竹は、耐久年限の短い、いわば無常の建材ですが、無我の道理により、互いにかかわり合い組み合わされて庵ができるから、“引き寄せて結べば柴の庵なり”の「空不異色」です。

しかし色の庵も、柴や竹も腐ったり、風などのために、かかわり合いの縁が保てなくなると、その庵は倒壊して跡形もなくなります。まさに、「色不異空」です。

西岡常一さんは、宮大工の家に伝わる口伝から、“建材でも、人間でも、相手を生かす調和が、大工のエネルギーの源泉”になるといわれます。私は、この言葉を西岡さんから聞いたとき、宮大工の口伝はそのまま、企業などの「人間管理」におおきな示唆を与えるように思えました。宮大工の口伝は、ただちに管理職の秘訣であり、また教育者の理念ともなるものだと、私は考えるのです。

仏教思想で「悉有仏性(しつうぶっしょう)(すべての存在は仏の心を持つ)」とも、「衆生本来仏(しゅじょうほんらいほとけ)なり」というのも、凡夫と仏とは、不異の関係にあることを指しているのです。

★関連ブログ
宮大工の口伝――西岡常一
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