20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』 54.9K
■安倍晋三総理 移民受入れ4連発動画 419.1K
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
[ ウィキペディア ]
我われの最大の栄光は失敗しないことにあるのではない
失敗するたびに立ち直るところにあるのだ
( ラルフ・ワルド・エマーソン )
Our greatest glory is not in never failing,
but in rising up every time we fail.
( Ralph Waldo Emerson )
◆失敗の後が人間を決める
「人生百年を生ききる」
( 松原泰道、PHP文庫、p98 )
人間とは、知る、考える、愛するという三つの行為のできる動物です。この知る、考える、愛するという人間の心情を、より開発していかなければ、人間は自滅するのではないでしょうか。そういう意味で、東井義雄(とういよしお)先生がお書きになった『「いのち」の教え』(佼成出版社刊)という本を、ご紹介します。
東井義雄先生は、浄土真宗のお坊さまで、僻地における教育で功労賞を受けられました。宗教的な教育を実践され、以前NHK総合教育テレビの「心の時代」という番組に出演され、「仏の声を聞く」と題して話されたのが、非常に大きな影響があったということでした。東井先生の本、『「いのち」の教え』の中に、「失敗の後が人間を決める」というテーマで、受験期に子どもさんをもっておられる母親に対し、一つの逸話が掲載されていました。
この詩を著者はこのように紹介して、最後に「おかあさんと子どもさんとで、一度この詩を読みあい、話しあってみてくださってはいかかがでしょうか」と、希望を述べておられます。しみじみと語りあっていける。肌と肌とで語りあっていける、そんな家庭を私たちはつくりあげていきたいものです。前述の話ではありませんが、子どもは見ていないようでも、親の後ろ姿をよく見ていますから、その期待に背きたくはないと思います。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
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セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
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我われの最大の栄光は失敗しないことにあるのではない
失敗するたびに立ち直るところにあるのだ
( ラルフ・ワルド・エマーソン )
Our greatest glory is not in never failing,
but in rising up every time we fail.
( Ralph Waldo Emerson )
◆失敗の後が人間を決める
「人生百年を生ききる」
( 松原泰道、PHP文庫、p98 )
人間とは、知る、考える、愛するという三つの行為のできる動物です。この知る、考える、愛するという人間の心情を、より開発していかなければ、人間は自滅するのではないでしょうか。そういう意味で、東井義雄(とういよしお)先生がお書きになった『「いのち」の教え』(佼成出版社刊)という本を、ご紹介します。
東井義雄先生は、浄土真宗のお坊さまで、僻地における教育で功労賞を受けられました。宗教的な教育を実践され、以前NHK総合教育テレビの「心の時代」という番組に出演され、「仏の声を聞く」と題して話されたのが、非常に大きな影響があったということでした。東井先生の本、『「いのち」の教え』の中に、「失敗の後が人間を決める」というテーマで、受験期に子どもさんをもっておられる母親に対し、一つの逸話が掲載されていました。
受験期のお子さんをお持ちのおかあさん方は、今お子さんにどんな態度で、何をしてあげてくださっているのでしょうか。ただわが子が受験に勝利してくれればいい、と叱咤するだけでいいのでしょうか。またおろおろと、子どものご機嫌を取るだけでいいのでしょうか。試験に成功しても失敗しても、それが人間成長の上に大きな栄養になるようにと、願うべきではないでしょうか。そこで、広島県下のある中学3年生の生徒の詩をご紹介しましょう。
とここで紹介されるのが、「母と語る」という題のついた詩です。
夜、母と話をしていました。母は静かな声で話しました。何の話かというと、入試のことなのです。母は第一志望校に落ちて第二志望の高校へ入ったそうです。合格発表があった日、一歩も家から外へ出ることができなくて、泣いていたそうです。だから世間話などで、あの子は入ったとかあの子は落ちたとか、そんな話はいっさいしません。今になってみると、あのときのことが、ものの考え方にひどく役立ったといっていました。心の優しさの大切さが、よくわかったそうです。いろんな人の気持ち、いろんな人の立場が、少しでもわかるようになったのは、あのときの体験のおかげだったと、母は淡々と話しました。
母は受験に失敗しました。でも優しさに磨きがかかったのです。不合格を冷たい目で見ない母を、ぼくは尊敬します。そのとき母は悲しかったに違いありません。人の目を気にしたかもしれません。でも今では母は静かな声で話します。年月がそうさせたのでしょうか。人間の気持ちが変わるのでしょうか。今ではそれが母の心の強さ、優しさになっているのです。
夜の母との話は、たくさんのことを考えさせてくれました。話の中身から、語っている母そのものから。今夜、ぼくは母が一番好きになりました。母を前より尊敬する気になりました。母にはいろんな体験があるのです。
三月に入って卒業式がすむと、ぼくの志望高校の試験が始まります。今夜母から聞いた話を胸の中にしまって、ぼくは受験いたします。人は、長い長い人生を歩いていきます。その間にいろんなことがあるのでしょう。思いがけないこともあるのでしょう。目の前にせまってきた入学試験。これだって、たくさんの中のできごとの一つです。母みたいに、心の栄養にしていきたいと思います。
とここで紹介されるのが、「母と語る」という題のついた詩です。
夜、母と話をしていました。母は静かな声で話しました。何の話かというと、入試のことなのです。母は第一志望校に落ちて第二志望の高校へ入ったそうです。合格発表があった日、一歩も家から外へ出ることができなくて、泣いていたそうです。だから世間話などで、あの子は入ったとかあの子は落ちたとか、そんな話はいっさいしません。今になってみると、あのときのことが、ものの考え方にひどく役立ったといっていました。心の優しさの大切さが、よくわかったそうです。いろんな人の気持ち、いろんな人の立場が、少しでもわかるようになったのは、あのときの体験のおかげだったと、母は淡々と話しました。
母は受験に失敗しました。でも優しさに磨きがかかったのです。不合格を冷たい目で見ない母を、ぼくは尊敬します。そのとき母は悲しかったに違いありません。人の目を気にしたかもしれません。でも今では母は静かな声で話します。年月がそうさせたのでしょうか。人間の気持ちが変わるのでしょうか。今ではそれが母の心の強さ、優しさになっているのです。
夜の母との話は、たくさんのことを考えさせてくれました。話の中身から、語っている母そのものから。今夜、ぼくは母が一番好きになりました。母を前より尊敬する気になりました。母にはいろんな体験があるのです。
三月に入って卒業式がすむと、ぼくの志望高校の試験が始まります。今夜母から聞いた話を胸の中にしまって、ぼくは受験いたします。人は、長い長い人生を歩いていきます。その間にいろんなことがあるのでしょう。思いがけないこともあるのでしょう。目の前にせまってきた入学試験。これだって、たくさんの中のできごとの一つです。母みたいに、心の栄養にしていきたいと思います。
この詩を著者はこのように紹介して、最後に「おかあさんと子どもさんとで、一度この詩を読みあい、話しあってみてくださってはいかかがでしょうか」と、希望を述べておられます。しみじみと語りあっていける。肌と肌とで語りあっていける、そんな家庭を私たちはつくりあげていきたいものです。前述の話ではありませんが、子どもは見ていないようでも、親の後ろ姿をよく見ていますから、その期待に背きたくはないと思います。