福岡伸一 《 アンサング・ヒーロー 》

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今から５０年ほど前、２人の若い科学者、ワトソンとクリックは、ＤＮＡの構造が二重ラセンをとっていることを明らかにした。この発見は、２０世紀最大のエポックとして歴代のノーベル賞の中でもひときわ輝いている。 しかし、頂上に達した、一握りのノーベル賞受賞学者の登攀(とうはん)経路は、すでにたくさんの人々によって拓(ひら)かれていたものであった。


◆アンサング・ヒーロー――分子生物学者・福岡伸一
【「あすへの話題」08.11.27日経新聞（夕刊）】

過去のノーベル賞受賞者の業績をつないでいくと科学の発展の華麗な歴史を語ることができる。しかし、それは遠くから北アルプスを眺めて、あれが奥穂高、あれが北穂高、あれが槍ヶ岳、と稜線(りょうせん)をつなぐ行為に似ている。スカイラインは夕日に映えてくっきり美しく連なって見える。しかし、巨大な山塊とその裾野(すその)がどこまで広がっているのかは、すでに暮れなずむ闇の中に暗く沈んでよく見ることができない。

今から５０年ほど前、２人の若い科学者、ワトソンとクリックは、ＤＮＡの構造が二重ラセンをとっていることを明らかにした。神秘的なその姿に誰もが魅了された。そして分子生物学の幕が切って落された。ワトソンとクリックのこの発見は、２０世紀最大のエポックとして歴代のノーベル賞の中でもひときわ輝いている。

しかし、ＤＮＡの構造を明らかにすればそこにすばらしい褒賞が待っていると彼らが考えたのは、ＤＮＡこそが遺伝物質の本体であることがすでに示唆されていたからである。ＤＮＡが対構造をとっているというアイデアに彼らが到達できたのは、ＤＮＡの組成を詳細に調べていた先人がいたからである。またそれがラセン状に絡まっていることに気づいたのも、他の研究者が出した結晶構造のデータを垣間見るチャンスがあったからである。頂上に達した、一握りのノーベル賞受賞学者の登攀(とうはん)経路は、すでにたくさんの人々によって拓(ひら)かれていた。その人々はノーベル賞受賞者と同じくらいの、あるいはそれ以上の切実さをもって、自然の謎を知りたいと願ったのである。謳われることがなかった英雄（アンサング・ヒーロー）たち。私は、彼ら、彼女らにかぎりない親しみを感じる。