電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

今日のことば 《 悲しみは二つの庭を仕切る――ハリール・ジブラーン 》

2024-05-23 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


悲しみは二つの庭を仕切るただの壁にすぎない
( ハリール・ジブラーン )
Sadness is but a wall between two gardens.
( Khalil Gibran )


◆つかのまの触れ合い

『こころのチキンスープ 16』だれもが奇跡にめぐり逢う
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社(2001/10)、p24 )

母が急に亡くなって、まもなく3年になる。私の結婚式まであと2週間というときに、母は逝った。私は悲しみに打ちひしがれた。結婚式は私の生涯で最高の日だったというのに……。あの場に母にいてほしかった。母が恋しくてたまらなかった――その気持ちはいまでも変わらない。今日この日まで、母のことを考えないときなどほとんどない。何をするにしても、母のことが思い出されてしまうのだ。

今日の午後、私は車で用足しに出かけて家に帰る途中だった。すぐ前をRV車が走っていた。両親と小さな男の子3人が、家族ぐるみで遠出しているといった感じだった。

それを見た私は、かつて母がハンドルを握るステーションワゴンで、よく家族旅行したことを思い出した。家族全員、おやつやあらゆる種類の荷物と一緒に、車に目いっぱい詰めこまれる。「まだ着かないの?」それからどうなるかは知ってのとおり。そういうものが、育ち盛りという最高の時代の一部だった。車中でみんなで遊んだいろんなゲームは、ほんとうに楽しかった。

いま、前の車に乗っている3人の男の子たちは、そろって後ろを向いてこっちをじっと見つめている。

私は、昔、兄たちや妹と一緒に、まわりを走るほかの車の誰かに手を振らせようとしたことを思い出した。たいていほかの車の人たちは、運転に忙しくて手など振り返してくれない。しかめ面をしたり、軽くうなずいたりで終わってしまうことがほとんどだった。たまたま誰かが手を振ろうものなら、私たちはキャーキャー笑いながら、夢中になって手を振り返したものだった。

私はふとその気になって、前にいる子どもたちに手を振った。彼らは間をおかずに手を振り返し、にっこりと笑った。私もつられてにっこりした。子どもたちはときどき両親のほうを向いては、私とのやりとりを知らせている様子だ。私たちは互いに手を振り続けた。なんとも楽しい時間だった。私はくすくす笑わずにはいられなかった。

そんなことをさらに数分間続けたところで、そろそろこの家族の車を追い越して、ちゃんと家に向かわなければ、という気になった。ちょっぴり悲しかった。もうあの男の子たちを喜ばせることはできないし、こっちも楽しませてもらえない。

私は彼らの車を追い越しながら、微笑んで、お別れに手を振った。

その家族の姿を見るのは、それが最後とはならなかった。結局、ハイウェイの同じ出口で降りることになったのだ。父親が、私に車を停めるように合図をしてきた。私はとっさに不安に襲われた。母からいつも、見知らぬ人には気をつけなさいと言われていたし、最近は何を考えているか分からない人がどこにでもいるから。しかし、料金所がすぐ近くにあるのはわかっていた。私は停まっても大丈夫だろうと思った。

父親が車から降り、私の車に近づいてきた。窓のガラスを下ろすと、満面の笑みが見えた。

「ビルと申します。妹と息子3人と、このあたりを旅行しているところなんです。じつは、妻が最近亡くなって、息子たちは母親のいない旅行をとても不安に思っていましてね。あなたに、ひとことお礼を申し上げたくて」

私は、どうしてお礼を言われるのかよくわからない、と言った。

「息子たちはこの旅行中ずっと落ちこんでいたんです――あなたが手を振ってくれるまで。ほんの一瞬だとしても、あなたのおかげで息子たちの様子が変わりました。あたたかく接してくださって、ありがとうございます」

私は微笑み、礼を返した。「私は3年前に母を亡くしました。あなたと息子さんたちは、なつかしい思い出をよみがえらせてくださったんですよ。子どものころの、家族で過ごしたすばらしい時代を思い出させてくださって、ありがとうございます。あなたがたのおかげで、私も今日という日が少し明るくなりましたわ。息子さんたちにありがとうと伝えてくださいね」

私は彼らの幸福を祈り、さよならを言った。車を彼の車の隣に進め、横を通りすぎながら、男の子たちにもう一度手を振った。3人全員、にっこり笑って手を振り返してくれた。

あの男の子たちは数日もたてば今回の出来事を忘れてしまうかもしれないが、私はけっして忘れないだろう。たった一度の心あたたまる行為が、誰かの人生を永遠に変えてしまうこともあるのだ――それを、人は忘れているような気がする。手を振ってありがとうと言った。それだけのことだった。男の子たちと微笑みを交わし、手を振り合ったこと、そして私が受け取った“ありがとう”は、想像できないくらいの価値があった。

母が亡くなった直後、これほどの大きな悲しみを乗り越えられはしないと思っていた。母を思うたびに泣いていた。でも今日からは、母のことを考えながら、微笑んでいられるような気がする。

あの男性は、息子たちの笑顔を取り戻してくれたと私に感謝した。こちらこそ、微笑ませてもらって同じように感謝しているということを、わかってくれているといいけれど。

私はこれからも、運転に気をとられるあまり手を振らない、なんてことは決してないようにするつもりだ。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本語の起源問題は今までの... | トップ | 人生を創る言葉 《 世には卑... »
最新の画像もっと見る

03-自己・信念・努力」カテゴリの最新記事