電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

セレンディビティの予感 《 歴史は事実じゃなくて思想——養老孟司 》

2024-09-23 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『日本を崩壊へ導く「選択制夫婦別姓」問題』
《自民党議員/党員必見!》『自民党総裁選候補者の人物評を西川京子前九州国際大学学長・元文科副大臣に訊く;水間政憲』
■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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  セレンディピティ(英語: serendipity)とは、素敵な偶然に出会ったり、
  予想外のものを発見すること。また、何かを探しているときに、探して
  いるものとは別の価値があるものを偶然見つけること。平たく言うと、
  ふとした偶然をきっかけに、幸運をつかみ取ることである。
  [ ウィキペディア ]


「バカの壁」の著者養老孟司さんも、対立する日中関係に対して、まず互いのズレを認識する必要がある、としています。神も仏もない「無思想」な日本に比べ、中国を含む他の国々はすべて「有思想」。そもそもその違いを認識することから出発しなければならない、と強調します。養老さんはまた、日中関係のように180度対立するような対応は非生産的であるとして、90度食い違うようにすることを示唆しています。


◆歴史は事実じゃなくて思想

「分断の時代 そこにある壁」 解剖学者 養老孟司氏
(《処理能力超す外の情報――互いのズレまず認識を》2005.01.01朝日新聞 )

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養老孟司(ようろう・たけし)
37年生まれ。東京大名誉教授。解剖学者として活躍後、脳の働き
を軸に時代を分析する評論に活動の場を広げ、「バカの壁」(新潮
新書)は400万部を超える大ベストセラーになった。
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世界に乱立する壁の本質は何か。「バカの壁」著者の養老孟司氏に聞いた。(堀内隆)

――情報化が進み、世界が多くを共有する時代なのに、「壁」を築く動きが世界で目立っています。

要するに、あまりじゃましないでくれよということでしょ。

壁を築くのは「お互いできるだけかかわらない」という態度ですよね。それは、異質の文化を吸収するうえで情報処理能力が追いつかないからなんです。放っておいたら、日常生活が荒らされてしまう。

《日中関係と鎖国》

たとえば、日中関係で言うと、おもしろいことに中国が大きくなると日本は鎖国する。日本の側には、やっとつくりあげた日本の社会を壊してなるものかという気持ちがあったと思う。だから踏み絵をさせてまで他者を排除しようとした。

江戸時代でも、新井白石なんかは外国人の言うことを熱心に聞いていますよね。彼は処理能力があるからいいのだけど、一般の人にまで同じだけ情報が流れたら結構面倒なことになるのです。

処理能力を超える情報が入ってくると、選択的に情報を取り入れるしかない。自分が処理できない情報を入れるなんてアホなことするから、世界でいろんなことが起きる。だから、現代も中国に対しては鎖国をする時代じゃないですかね。

――歴史問題をめぐって、中国では反日デモの嵐が起きました。

つい先週、タクシーに乗ったんですよ。運転手さんが同僚の葬式に行った話をして、お坊さんがたまたま近くを通りかかったから、何の関係もなかったけど聞いたんだって。「死んだらどうなるんですかね」って。坊さん、こっちをぎっとにらんで一言、「死んだらおしめえよ」って言って、向こうにいっちゃった。「あれはよくできた坊主だ」って言うんだね。

印象的だったのは運転手の「できた坊主だ」ってコメントで、日本の庶民は、根本的にそう思ってるんだよ。神も仏もないって。それは無宗教、無思想を意味しているんですよ。「無思想」という思想。

日本以外の国は基本的に全部、中国を含めて「有思想」なんです。思想がある社会は、歴史が現在に介入して当然。歴史は事実じゃなくて思想だから。「歴史はこうこうだった」と言うのは、明らかに思想なんです。

だから、靖国問題一つ取っても意見が合うわけがない。日本は「死んだら最後、関係ねえ」って社会なんだから。

そこから議論を始めないと、お互い通じるわけがない。

《「90度」の違い》

――お互いの違いを認識し、主観を相対化するということですか。

違う考えがあるときに、180度対立する場面を取って「意見が違う」というのは、極めて非生産的なんです。90度食い違うようにすればいいんですよ。

おれが女房とお茶を飲んでて、女房が顔を見てしみじみ言ったんですよ。「あんたはほんとに人を見る目がない」と。いろいろごたごたがあってね。で、おれは女房の顔を見て「ほんとにそうだよね」って。

女房はおれが外の人を見る目がないって言ってるのに、おれは女房に「おまえに対して見る目がないよな」と。完全にずれていますよね。

外交も本来こうあるべきなんですよ。90度ずらしながら自分を主張する。日中が政治問題でもめるのなら、では環境問題を話し合おう、ってのが正しい。

違いを認めながらやっていくことが、一番うまくやる方法なんです。違いがあることが悪いことだって思っている人がいるでしょ。仲良くするってことは、そういうことではないんですよ。
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1 コメント

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Unknown (tomura)
2006-01-05 11:26:16
ご訪問&コメントありがとうございました。

また遊びにきます!
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