電脳筆写『 心超臨界 』

人間は環境の産物ではない
環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

人間通 《 権威――谷沢永一 》

2024-06-20 | 04-歴史・文化・社会
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


権威とは一般者が仰ぎ見て押し立てるから虹(にじ)の如(ごと)く中空に出現する虚構である。権威とは何か。権威とは権威ある存在であろうとする者が魔術の杖(つえ)を振るって意図的に練りあげることができる程度の生易しい拵(こしら)え物ではない。権威を認めたい権威を賛仰(さんぎょう)したい権威に寄り掛かりたい権威への信頼に安住したい出来れば権威に繋(つな)がりたい権威を利用したい、こういう素朴な願いが広く瀰漫(びまん)しているからこそ世に権威なる不思議な幻が横行する。


◆権威

『人間通』
( 谷沢永一、新潮社 (2002/05)、p101 )

旧制中学に入ったとき辞書は『辞苑』(昭和十年二月五日・博文館)と教えられた。『辞苑』は新村出(しんむらいずる)の編纂(へんさん)となっているが新村出は語彙(ごい)採録の基本方針を定めたのみ、編集に当たったのは溝江八男太である。その版権を取得して拡張した『広辞苑』(三十年五月二十五日・岩波書店、現在は第五版)も新村出編と大々的に謳(うた)っているものの、これまた新村出の名は表徴的に押し立てた飾り物、実際の編集主任は市村宏である。しかし言語学者として実力と業績を超える高い名声を得た京都帝国大学教授図書館長文学博士新村出の虚名を掲げてこそ販売効果は挙がるものの必ずしも知名の士ではない本当の編集者を表に出したのでは売れ行きが覚束(おぼつか)ない。なにも新村出が鉦(かね)や太鼓で自分を宣伝してまわったのではなく、購読者が新村出を頭から信頼したゆえに辞書と言えば『広辞苑』という圧倒的な評価が確立して、三十年間にわたり権威を保持してきたのである。

権威とは一般者が仰ぎ見て押し立てるから虹(にじ)の如(ごと)く中空に出現する虚構である。権威とは何か。権威とは権威ある存在であろうとする者が魔術の杖(つえ)を振るって意図的に練りあげることができる程度の生易しい拵(こしら)え物ではない。権威を認めたい権威を賛仰(さんぎょう)したい権威に寄り掛かりたい権威への信頼に安住したい出来れば権威に繋(つな)がりたい権威を利用したい、こういう素朴な願いが広く瀰漫(びまん)しているからこそ世に権威なる不思議な幻が横行する。権威者が狡猾(こうかつ)なのでもなく悪辣(あくらつ)なのでもない。権威は社会の一般人が進んで作りだす偶像である。強制されたのではなく自発的に礼拝するために、探しだして引っ張りだして厳(おごそ)かに祭りあげる御神体である。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 向上心 《 人生の教えをどこ... | トップ | 日本史 古代編 《 なぜ、日本... »
最新の画像もっと見る

04-歴史・文化・社会」カテゴリの最新記事