電脳筆写『 心超臨界 』

知識の泉の水を飲む者もいれば
ただうがいする者もいる
( ロバート・アンソニー )

悪魔の思想 《 大塚久雄――左翼に独占された戦後出版界/谷沢永一 》

2024-06-21 | 04-歴史・文化・社会
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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さて、大部数ではないにしても一応は売れた戦後進歩的文化人の著作は、社会主義への、共産主義への期待を昂揚させたでしょうか。事実はまったくの逆でした。革命への関心はなだらかな坂道をゆっくりくだるように鎮静へと向かったのです。進歩的文化人の果たした貴重な役割は、左翼への関心をおのずから薄れさせ、読者をしだいに興奮から醒(さ)まし、国民としての良識に落ち着かせるという望ましい静謐(せいひつ)化でした。まことに皮肉な、しかし、結構そのものの成行きであったと申さねばなりません。


◆左翼に独占された戦後出版界

『悪魔の思想』 「進歩的文化人」という名の国賊12人
( 谷沢永一、クレスト社 (1996/02)、p294 )

〈進歩的文化人の原型・大塚久雄(おおつかひさお)への告発状〉
 第13章 近代日本を全否定した国賊

  大塚久雄(おおつかひさお)
  明治40年生まれ。京都帝大卒。法政大教授、東大教授、東大名誉
  教授を歴任。反日感情を前提とした“大塚史学”を確立させる。

  明治以来の日本人が苦心の末に築き上げた近代社会を全面的に否定
  し、近代国家である日本は実は近代社会ではなかったのだと弾劾し
  たのが大塚久雄です。近代の日本人には近代精神がどこにも見出さ
  れないのだと、それほどまでに徹底的にわが国民を侮蔑した例は他
  にありません。日本には近代科学を成立させる基盤であるところの
  合理的思考がなかったと断言するのですから、我が国の近代科学は
  すべて虚構虚偽(うそはったり)だったということになります。この
  ような妄言が生まれた根拠を探ってみようではありませんか。

13-7 左翼に独占された戦後出版界

そこで戦後話になります。

この時期、国民のほとんど全員が、日本に左翼の時代がくるのではないかと考えました。この動向に自分だけとりのこされてはなりません。誰もが左翼の勉強をしておかなければならんと思いたって書店にかけつけました。

左翼文献が飛ぶように売れたのは記録にあきらかなところです。戦後の出版界に左翼の時代が訪れました。したがって、進歩的文化人の転手古舞(てんてこまい)の大繁昌だったのです。丸山眞男は昭和25年9月に発表した論文の一節に、こう記し留めています。

  インテリ読者だけの書籍雑誌の傾向を見て、恰(あたか)も日本の出
  版界が左翼勢力に独占されているかのように錯覚し、それらのサー
  キュレーションが、講談本やエロ・グロ・スポーツ・映画・雑誌類
  のそれに比してはほとんど物の数でもない事実を看過する。
  (『増補版 現代政治の思想と行動』139頁)

まことに、これこそ語るに落ちたと言うべきで、丸山眞男の軽蔑する「講談本やエロ・グロ・スポーツ・映画」に関する出版物をのぞくそれ以外の一般「書籍雑誌」の世界が、「左翼勢力に独占されている事実」を留保条件なく認めた証言と受けとれます。

つまり丸山眞男の見るところ「日本の出版界」で「左翼勢力に独占されて」いないのは「講談本やエロ・グロ・スポーツ・映画」に関する出版分野だけなのですから、本当に全国の津々浦々に至るまで怒濤のごとき勢いでした。

この傾向の観察として、左翼勢力つまり進歩的文化人の連中が徒党をくんで仲間同士の融通を旨(むね)とし、排他的に反対派を蹴落とした汚い策略のせいであるという批判も聞かれました。しかし、それこそ典型的な引かれ者の小唄ではないでしょうか。

左翼勢力は、一部にみられる新興宗教の教本のように戸別訪問しながら独特の気合をもってなかば押売りみたいに売り捌(さば)いたのではありません。ちゃんと書店の店頭で読者の判断により購(か)われたのです。その間の事情に疑問の余地はないでしょう。

また日本の出版界を動かす俊敏な編集者の仕事ぶりを舐(な)めてはいけません。相手が誰であるにせよ、情実で持ち込まれた原稿を押し戴(いただ)いて載せるお人好しの編集者がどこにいるものですか。

終戦直後の某誌は、志賀直哉大先生から懇(ねんご)ろに紹介されてきた小説を発表に値せずと判断し、原稿料を添え恭(うやうや)しく返却しました。それ以後、二度と志賀直哉が口利きをしなかったことは言うまでもありません。

編集者の判断基準はただひとつ、その原稿に値打ちがあって読者の要望に応えうるかどうか、最終的には適正規模の部数が捌(さば)けるかどうかの予想です。売れないとわかっている原稿を義理にかられて載せる頓痴気(とんちき)な編集者はどこにもいません。

だから、戦後進歩的文化人の論説が次から次へと載ったのは、それが少なくとも一定期間は売れつづけたからなのです。ある時期、進歩的文化人の著作はけっこう読者に迎えられました。この「売れた」という実績を踏まえないで罵る進歩的文化人批判は無意味です。

さて、大部数ではないにしても一応は売れた戦後進歩的文化人の著作は、社会主義への、共産主義への期待を昂揚させたでしょうか。

事実はまったくの逆でした。革命への関心はなだらかな坂道をゆっくりくだるように鎮静へと向かったのです。進歩的文化人の果たした貴重な役割は、左翼への関心をおのずから薄れさせ、読者をしだいに興奮から醒(さ)まし、国民としての良識に落ち着かせるという望ましい静謐(せいひつ)化でした。まことに皮肉な、しかし、結構そのものの成行きであったと申さねばなりません。

進歩的文化人に共通する語法とは へつづく
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