電脳筆写『 心超臨界 』

一般に外交では紛争は解決しない
戦争が終るのは平和のプロセスとしてではなく
一方が降伏するからである
D・パイプス

感謝したいから生きのびよう――西田英史くん

2024-09-28 | 03-自己・信念・努力
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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「残りの人生で、18年分を感謝したい。今までは俺が生き残るとか、俺がどうとか、自分のことばかりだった。けれどまわりの人がいてはじめて、自分が生きていけることに気づいた。俺は生きようと思う。それは治そうとすることも目的にあるのだけれども、それだけではないということを知ってほしいんだ」


◆感謝したいから生きのびよう

『種まく子供たち――小児ガンを体験した7人の物語』
( 佐藤律子編、ポプラ社 (2001/4/1) )

〈p7〉
『海いろの種――西田英史(えいし)くんのこと』
西田英史くんは、17歳の1月、脳幹部グリオーマ(悪性の脳腫瘍)の診断を受けました。1月は受験生にとって大切な季節です。理論家の彼は、科学者をめざして試験勉強にはげんでいました。

〈p19〉
4日夕刻、英史は夫と私を2階の自分の部屋に呼び、弱った体のどこから声を出しているのだろうと思うくらいの力強い声で、自分の決意を切り出しました。

「俺は生きようと思う」

そして、この数日の心の動きを語ってくれました。

「俺は病気を治そうとシャカリキになっていた。5月1日、2日は無気力だった。3日から4日にかけては、生(せい)にエネルギーを費やすというより、死への準備にエネルギーを費やしていた。生きることに執着していた。3日の夜には、このまま目がさめなくてもいいと思った。4日の朝、目がさめてすごくありがたいと思った。4日の昼間、本を読んで疲れて横になったとき、無意識のうちに白血球がガン細胞をやっつけていることをイメージしていた。もうやりたくないと思っていたサイモントン療法を、無意識のうちにやっていたんだ。無意識のうちに病と闘っていたんだ。そして今(4日の夕刻)は生きのびることが最大の目標ではなく、毎日を精一杯生きることが大切なんだと感じている。俺はやれるだけやってみようとおもうよ。挑戦してみよう。病と闘って毎日精一杯生きたら、その結果死んでも満足。大事なことをやってみること、挑戦してみること」

「サイモントン療法と受験勉強はやる。家族の生活はできることを手伝う。散歩は健康のためにいいからやる。残りの時間のすごし方は、今から考える。ある日突然治るということを、何度も何度も思った。でも、そういうことはない。しかし、急激に悪くなることもないはずだ。それに情況がかわったとき、どうするかは自分で決めることができる。俺は闘う方を選ぶ。大切なのは結果ではなく過程なんだ」

「悔いのない人生を送りたい、今俺にできることは、受験勉強、家族の手伝い、闘病。今までは、闘病イコール病を治すことだと思っていた。けれど病を患っている人にとっては、闘病そのものが人生の質を高めるということに気がついたんだ。だから治療もそういう観点からやっていきたい。受験勉強だって同じ。大学受験のためではなく、浪人生として1日1日を精一杯勉強して、まっとうしたいんだ。それからまわりの人に感謝して生きたいということ。闘病だけで1日を終わらせたくない。受験勉強だけで1日をおわらせたくない。どちらも精一杯できたときに、一番満足できると思うんだ」

「闘病についての考え方がかわったきっかけに、三叉(さんさ)神経痛がある。なにもやっていないときに痛みがくる。無気力になっていたときに痛みの回数が多かった。なにかやっているときには起こらない。3日に痛みが出たが、とりあえず鼻のマッサージをやってみた。鼻のまわりをしめらせておくといいみたいだ。1日半たっても痛みはでない。病院の薬でさえ効かなかったのに。闘病もこんなものかもしれない。結果を期待するのではなく、日ごろの鍛錬が大事なのかもしれない。延命だけの生活はいやだ。まわりに感謝したい。なぜ感謝したいのか。18歳まで生きてきて、まわりに感謝したことはあったか。感謝したいから生きのびよう。闘病しよう。自分だけのいのちなら延命もむなしいと思うが、まわりの人やものに感謝するためなら長生きしてもいいかなと思う」

「残りの人生で、18年分を感謝したい。今までは俺が生き残るとか、俺がどうとか、自分のことばかりだった。けれどまわりの人がいてはじめて、自分が生きていけることに気づいた。俺は生きようと思う。それは治そうとすることも目的にあるのだけれども、それだけではないということを知ってほしいんだ」
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