電脳筆写『 心超臨界 』

人生の目的は目的のある人生を生きること
( ロバート・バーン )

上等な帽子はかぶっていることを意識させない――嶋田卓弥

2024-08-01 | 07-宇宙・遺伝子・潜在意識
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日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■『小樽龍宮神社「土方歳三慰霊祭祭文」全文
◆村上春樹著『騎士団長殺し』の〈南京城内民間人の死者数40万人は間違いで「34人」だった〉
■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
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(2005年7月15日投稿)
「トップとシャッポは軽いほどよい。上等な帽子はかぶっていることを意識させないものです」 (蛇の目ミシン工業社長 嶋田卓弥)

この帽子のところは、神といってもいいし、リーダーと置き換えてもいい。上になる者ほど陰徳を積むという意味にもとれる。

作家の石原慎太郎さんは、人生の軌跡のなかで感じ覚らされたことどもを自らの作品に織りこんできた。「生きるという航海」は、石原さんが生きてきた過程で考え感じたことどもを、過去の作品の中からひろい集めた人生論になっている。その中に、石原さんがすっかりいきづまった状態から脱出する話が登場する。

●以前ある頃、自分自身のこと、仕事のこと、仲間のことなどなどですっかりいきづまりなにもかも嫌になって、といっても大事な仲間が勝手に自殺なんぞしてしまった後のことだったからこちらは死ぬ気にもなれず、思いあまって見知りの、これはまあかなり信用できる坊主の寺にいって座禅を組んだことがあった。

●一緒につき合って座ってくれた彼が、
「あなたは日頃偉丈夫かと思っていたが、こうして座りながら後ろから眺めてみたら、実はしょぼいんだねえ」
といってくれた。そして、

●「ま、人生にはいろいろな時があるが、あなたにとっては今もその一つなんでしょう。しかしそんな時は座禅なぞ組んだって駄目ですよ。お経を読んでみたって駄目ですな」

●「じゃあいったいどうしたらいいんです」
といったら、

●「まあどこか、自分が無くなってしまうくらい広い所へいってぼんやりしているんですな。あなたはヨットに乗るんでしょう。なら海へおいきなさい、最近はあまりいっていないのじゃないかな。その方がずっと早いですよ」
いってくれたものだ。

●で、私は卒然として次の週末の約束をすっぽかし、クルーを集めて船を出し丸二日海の上にいた。

●そのせいかどうか気がついたら、陸での気分もなんとか峠を越していたものだった。あの坊主は多分名僧のたぐいなのだろう。 『風についての記憶』

仏教にはもともと「自燈明 法燈明」という教えがある。釈尊が病で亡くなろうとするとき、弟子のアーナンダが「師が亡くなられたら、私はこれから何を頼りに生きたらいいのでしょうか?」と教えを乞うた。

そのときの釈尊の答えが「自燈明 法燈明」。すなわち自らと法とを燈明とし拠り所にし、それ以外に依拠してはならない、と示された。法は、仏法ではなく世界を通貫する法則としての法。

中村元先生は「釈尊が教団の指導者であるということをみずから否定している」と見る。お釈迦さまという帽子は、軽くて上等な帽子なのだ。
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