電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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道元は如浄(にょじょう)に出会った。親鸞は法然(ほうねん)に出会った。それと同じようにわたくしは杉村春苔尼というお方に出会った。
◆真の出会いが自己を変え、世界を変える
『随筆集 念ずれば花ひらく』
( 坂村真民、サンマーク出版 (2002/3/13)、p77 )
道元は如浄(にょじょう)に出会った。親鸞は法然(ほうねん)に出会った。それと同じようにわたくしは杉村春苔尼というお方に出会った。思えば真の出会いというものは自己を変え、世界を変えるのである。わたしの詩に、
母からは骨肉を貰い
先生からは
仏心を頂いた
ああ
この二つの
大きな恩恵よ
というのがある。
先生の出家剃髪は、実に小説的で劇的である。そういうことについては、いつか語る日もあろう。霊能を持ち、禅の教養深く、叡智と慈悲に光り輝く、すぐれた才と技とを持っておられた。
わたしが先生に初めてお会いしたのは、昭和28年3月27日であった。わたしはこの日を忘れることはできない。それはわたしの新しい人生が始まった日だからである。わたしはその日以来、詩母さまと呼び敬仰してきた。しかしいつかは別離がくる。それはどうすることもできない無常の風である。先生は昭和52年6月11日に亡くなられた。いや霊となり、新しいお姿になられた。
風の中にわたしは立つ。風の中で先生を思う。それは今までの風とちがって、いのちと光を持つ風である。わたしをさらに生かし、さらに励まし、さらに見守り、さらに導いてくれる風である。
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
20年間で約9千の記事を収めたブログは私の「人生ノート」になりました。
そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散『世界政治の崩壊過程に蘇れ日本政治の根幹とは』
■超拡散『日本の「月面着陸」をライヴ放送しないNHKの電波1本返却させよ◇この国会質疑を視聴しよう⁉️:https://youtube.com/watch?v=apyoi2KTMpA&si=I9x7DoDLgkcfESSc』
■超拡散記事『榎本武揚建立「小樽龍宮神社」にて執り行う「土方歳三慰霊祭」と「特別御朱印」の告知』
■超拡散『南京問題終結宣言がYouTubeより削除されました』
■超拡散『移民受入れを推進した安倍晋三総理の妄言』
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道元は如浄(にょじょう)に出会った。親鸞は法然(ほうねん)に出会った。それと同じようにわたくしは杉村春苔尼というお方に出会った。
◆真の出会いが自己を変え、世界を変える
『随筆集 念ずれば花ひらく』
( 坂村真民、サンマーク出版 (2002/3/13)、p77 )
道元は如浄(にょじょう)に出会った。親鸞は法然(ほうねん)に出会った。それと同じようにわたくしは杉村春苔尼というお方に出会った。思えば真の出会いというものは自己を変え、世界を変えるのである。わたしの詩に、
母からは骨肉を貰い
先生からは
仏心を頂いた
ああ
この二つの
大きな恩恵よ
というのがある。
先生の出家剃髪は、実に小説的で劇的である。そういうことについては、いつか語る日もあろう。霊能を持ち、禅の教養深く、叡智と慈悲に光り輝く、すぐれた才と技とを持っておられた。
わたしが先生に初めてお会いしたのは、昭和28年3月27日であった。わたしはこの日を忘れることはできない。それはわたしの新しい人生が始まった日だからである。わたしはその日以来、詩母さまと呼び敬仰してきた。しかしいつかは別離がくる。それはどうすることもできない無常の風である。先生は昭和52年6月11日に亡くなられた。いや霊となり、新しいお姿になられた。
風の中にわたしは立つ。風の中で先生を思う。それは今までの風とちがって、いのちと光を持つ風である。わたしをさらに生かし、さらに励まし、さらに見守り、さらに導いてくれる風である。
かって、自分の人生の状況に呻吟し葛藤していたとき、ふと道ですれ違った婦人に声をかけられ、二、三の会話を交わした。「あらぁ、それがどうしたの・・・」と何気なく発した彼女の言葉に、心の迷いが雲散霧消し、自縄自縛から解放されたことがありました。
今思えば、彼女は地湧の菩薩に違いないと思います。