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ぶうちゃんのリハビリ日記  自由へ続く道

持ち前の負けず魂で、医師には不可能といわれた一日も早い社会復帰を目指すリハビリ親父の日記です。

15年目

2010-01-17 16:45:04 | つぶやき

あの『阪神淡路大震災』から、今日で15年・・・。その年の5月に出張で神戸の町を電車で通った時、車窓から見る景色になんともいえない気持ちになり、思わず、手を合わせたことを思い出す。あれから15年・・・被災者の方には忘れられない思いが、我々には決して忘れてはならない『教訓』が残った・・・。 合掌


年賀状

2008-12-22 19:29:36 | つぶやき

年賀状の作成が終わり、本日、投函しました。 勿論、パソコンで。 本来は、自筆で一筆加えなければならないのでしょうが、私は左手しかまだ動かないので『ナメクジ』どころか、『ミミズ』が二日酔いでのた打ち回ったような字になってしまうので、失礼だとは思いましたがパソコンにさせていただきました。でも、相手の方を思いつつ、それぞれ違ったメッセージを入れさせていただきました。 でも、印刷は大変でした。何しろ、ひとりひとり内容が違うのですから テレビでは初詣のCMが始まり、いよいよ年末だなぁ!と感じています。


生きがいと意気がい

2008-12-12 20:17:04 | つぶやき

『あなたが空しく生きた今日は、昨日、死んでいった者があれほど生きたいと願った明日』

これは、ある人が読んだ本の一節。この方は読んでいるうちにたまらなくなって、私の所にメールをしてきてくれました。そして、『なんか、無気力に生きてる人とか、早く死にたいと思っている人に、「生きてる」それだけでも、「希望」があるって事だよって言ってやりたい』と続いていた。よく『生きているのか生かされてるのか?』などということを聞く。どちらも正解だと思う。でも、両方ともネガティブなイメージではありませんか?世の中に『生きがい』という言葉がある。これが有るか無いかで、人生が大きく違ってくると思う。何故なら、『生きがい』は生きてく上での活力であるからだ。これがあれば空しく人生を送るようなことは無いと思う。『生きがい』はその人その人で違うと思う。家庭であったり、仕事であったり、恋人であったり・・・。『これがあるから俺は、私は頑張れる。』と感じてる方は多いと思う。でも、人生には、この生きがいを見失ったり、無くしたりする時がたまにある。そんな時にもう一つの『意気がい』が必要になってくると私は思う。『生きがい』は精神的な支柱である。それに更に揺るぎ無いものにしてくれるのが、『意気がい』である。この『意気がい』は自分を取り巻く環境、その中でも『人』から受ける力が大きいと思う。声に出して『頑張れ負けるな』と励ましてくれる人。口には出さずに励まし、応援してくれる人。自分が相手に対して励ましていることに気がつかないでいる人・・・。この『意気がい』を多く持っている人ほど、人生の荒波に対して打たれ強いと思う。この有形無形の応援に絶対に応える。その意気込みを『意気がい』と私は呼んでいるのです。私?私には心強い大応援団がいますよ。だから、この病気に対しても負けずに諦めず、前向きに取り組めるのです。

『俺には、私にはそんなものはいない』と思ってる方がいるなら、自分の周りをよく見て御覧なさい。ちゃんと、あなたにも応援団がいますから


余命・・・

2008-11-19 18:39:31 | つぶやき

私の親しくしているブログのお友達からのコメント。『余命から半年過ぎました。最近は医師も余命とは言いません。』・・・。『余命』他に意味があるのかもしれないけれど、普通に読めば『余った命』・・・。この言い方には、前々から疑問を持っていました。人間をはじめとして、この世に『生』を享けたもの全てに『余った命』などあるはずが無いのだから・・・。