映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

百日紅

2015年06月05日 | 邦画(15年)
 『百日紅―Miss HOKUSAI―』をTOHOシネマズ日本橋で見ました。

(1)本作の評判が良さそうで、かつまだ行ったことのない映画館(注1)を覗いてみようかという気もあって、日本橋まで足を伸ばしてみました。

 本作(注2)は、杉浦日向子の原作マンガをアニメ化したもの。
 冒頭では、大勢の人々が行き交う両国橋の真ん中にいるお栄(声:)が、「変チキなジジイがおりまして、北斎がオレの父」などとしゃべっていると、画面では、北斎(声:松重豊)が、箒のような筆で大ダルマの絵を描いたり、米粒に2匹の雀を描いたりしています。



 次いで、「文化11年(1814年)夏江戸」との表示。
 北斎の妻・こと(声:美保純)が住んでいる別宅に、「弁当買ってきた」と言いながらお栄が入ってきます。

 二人は弁当を食べながらしゃべります。
こと「おとっつあん、仕事減ってんだって?日々のおまんまどうしているのかと思って」。
お栄「筆2本。どうにかなってる」。
こと「金魚買って持ってきてくれたって?お猶(声:清水詩音)が、見えないのに見るって」。
お栄「見えるさ」。
お栄「おっかさん、オレこっちに住もうか?」。
こと「けど、おとっつあんが?」。
お栄「鉄蔵(=北斎)は、一人でも半分でも変わりない」。

 そして、庭に咲く百日紅の花が映しだされて、タイトルクレジット。
 さあ、このお話はどのように展開していくのでしょうか、………?

 本作は、葛飾北斎の娘で絵師のお栄(注3)が主人公のアニメ。



 元のマンガがしっかり描かれているために、なかなか見応えがあります。ただ、レベルの高いマンガをわざわざアニメ化する必要があるのかな、それでもアニメ化するのであれば何か新規な視角が必要なのではなど、いろいろ思えてきます。

(2)本作では、当時世界最大の都市であった江戸の賑わいが、両国橋を行き交う人々の活気あふれる姿などで描き出され、またお栄が描こうとしている龍が暴れたり、地獄絵からバケモノが出てきたり、北斎やお栄が見ている前で花魁の首が長く伸びたりと、アニメならではの映像をいろいろ楽しめます。

 ただ、本作において、隅田川の流れが「神奈川沖浪裏」に変化するところはなかなかのアイデアながら、既に原作でそれは芝居小屋の幕に描かれていますし(注4)、花魁の首が長く伸びる話も、原作に描かれているもの(注5)で十分な感じもしなくはありません(注6)。

 杉浦日向子の原作をアニメ化するにしても、定評のある原作漫画から物語を抽出するばかりでなく(注7)、少し違った視角から主人公のお栄を描くこともしてみてはと思ったりします(注8)。

 例えば、もっとお栄が描いたとされる浮世絵を前面に出してはどうでしょう(注9)?
 原作マンガでもそうですが、本作で取り上げられている絵(注10)は、お栄が描いたとされている「10点余り」(注11)の作品には入っていないようです。
 ただ、本作のエンドロールでは、お栄(応為)が描いた「吉原格子先之図」が映し出されます。



 この絵は、それまでの浮世絵とはかなり違っていて、西洋画の影響を随分と受けているように思われます(注12)。

 本作では、まるで江戸がそれだけで自存して他からの影響は何も受けていないかのごとく描かれていますが、本作が設定している文化11年なら明治維新まであと半世紀ちょっと、お栄と西洋画とは何かしらの接点があったのではないか(注13)、ひいては江戸後期の文化には西洋文化がかなり流れ込んでいるのではないか(注14)、などといった観点も出てくるのではないでしょうか?

(3)渡まち子氏は、「アニメーションにしたことで、当時の江戸の庶民の生き生きとした暮らしや風俗が、ぐっと身近に感じられる。さらにアニメならではの演出は、お栄や北斎が描く絵がダイナミックに動きだすこと。物語も魅力的だ」として65点をつけています。
 稲垣都々世氏は、「アニメーションの特性を生かした映像も楽しめるが、江戸の風情や空気、そこに生きる人々の息吹をさりげなく表現したのが、この映画の主眼にして最大の功績だろう」と述べています。



(注1)TOHOシネマズ日本橋は、本年4月17日にオープンしたTOHOシネマズ新宿よりも1年以上前にオープンしましたが、足を踏み入れたことがないので、ちょうどいい機会だと思って遠出をしてみました。
 事前にあまり情報を持たずに、おそらく渋谷や新宿と同じような感じに違いないと思い込んで行ったものですから、銀座線の三越前駅を降りてからハテどこだろうとなりました。
 というのも、渋谷や新宿の場合、外観からすぐそれとわかるのに対して、日本橋の場合、「コレド室町2」の3階に入っていて、外観からではサッパリわからないからです。
 それでも、近くにいた警備員に聞いてようやくわかりました。

(注2)本作の監督は、『はじまりのみち』の原恵一
 原作は、杉浦日向子の漫画『百日紅』(ちくま文庫)。

(注3)葛飾応為。北斎(1760年~1849年)の三女。
 Wikipediaでは、「生まれた年は寛政13年(1801年)年前後で、慶応年間(1865年~1868年)に没した」と推定されています。
 他方、『北斎娘・応為栄女集』(藝華書院、2015.4)を編集した久保田一洋氏は、同書掲載の「応為栄女の諸伝」の中で、「応為の晩年がいつに当たるのかは分からないが、嘉永末(1854年ころ)から安政年間(1854年~1860年)に該当するだろうか」と述べています(P.139)。

(注4)文庫版「上」の「其の十四 波の女」。

(注5)文庫版「下」の「其の二十 離魂病」。

(注6)それに、本作で描かれる火事の場面は、原作漫画によっているのでしょうし(文庫版「下」の「其の十六 火焔」)、もともと「江戸の華」と言われたものですから描くのは構わないとしても、アニメ『Short Peace』〔第2話の「火要鎮」(ヒノヨウジン)〕の二番煎じの感を免れません。

(注7)本作の脚本を書いた丸尾みほ氏は、劇場用パンフレットに掲載されたインタビュー記事において、「とにかく原作が素晴らしいですし、話に大きく手を加える必要がないんです」と述べています。

(注8)例えば、新藤兼人監督の『北斎漫画』(1981年)は、葛飾北斎(緒形拳)とお栄(田中裕子)、それに滝沢馬琴(滝沢馬琴)との関係を描いていて、70歳のお栄も登場しますが、この作品は、北斎の春画を通して人間の「性」に焦点を当てているように思われます(何しろ、最後の方では、死の間際の馬琴の布団の中に全裸の田中裕子が潜り込んだり、何も身につけない樋口可南子が蛸と戯れる姿を北斎が描く様子が映しだされたりするのですから!)。

(注9)むろん、善次郎(声:濱田岳)、国直(声:高良健吾)、初五郎(声:筒井道隆)とお栄の男女関係にもっと焦点を当てて描き出すことなども考えられるでしょうが、クマネズミの好みからしたら、浮世絵自体の方に関心が向いてしまいます。

(注10)例えば、「地獄絵」(文庫版「上」の「其の九 鬼」)。

(注11)Wikipediaの「葛飾応為」の「作品」より。

(注12)少々応為と時代が重なる小林清親(1847年~1915年)の「九段坂五月夜」(1880年、錦絵)などを思い起こさせます。



 なお、下記「注13」で触れる小説『北斎と応為』を翻訳したモーゲンスタン陽子氏は、この絵について、「西洋画の影響を受けたはっきりとした色使いが特徴」と述べています(この記事)。

(注13)カナダ人のキャサリン・ゴヴィエ氏が書いた小説『北斎と応為』(彩流社、2014.6)では、「江戸にやって来たシーボルトとの対話」の場面が書き込まれているようです(この書評記事)。

(注14)例えば、司馬江漢(1747年~1818年)の洋画が著名です。



★★★☆☆☆



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4 コメント

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Unknown (ふじき78)
2015-06-06 21:55:19
> 「とにかく原作が素晴らしいですし、話に大きく手を加える必要がないんです」と述べています。

それは大きな間違えだろう。原作の出来が良ければ良い作品が出来る可能性は高くなるが、情景をスケッチするような作品の場合、ただそのまま同じように書いても同じように面白いかは疑問だ。
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Unknown (クマネズミ)
2015-06-07 06:22:10
「ふじき78」さん、TB&コメントをありがとうございます。
原作がいくら素晴らしくても、制作者側がどんなところを素晴らしいと思ったかが問題で、そこに焦点をあてずに、おっしゃるように「ただそのまま同じように書いても同じように面白いかは疑問」でしょう。
原作は、30もの短編の集まりであり、それを1時間半の映画にするのであれば、やっぱりどこかに焦点をあてるべきではないのかと思われます。
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Unknown (ユクシ)
2015-07-15 11:44:38
原作では深く描かれなかった視点をこの映画では十分に描いていると思うので、映画化する意味はあったのではと思います。
お栄が実際に描いた浮世絵を前面に出すとのことですが、それではお栄の「絵師」としての一面だけが強調され、この映画では完全に蛇足だと感じます。
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Unknown (クマネズミ)
2015-07-16 06:16:40
「ユクシ」さん、コメントをありがとうございます。
いうまでもなく、このアニメは優れている作品であり、またおっしゃることはよく承知していますが、エントリの本文で書いたように、「少し違った視角から主人公のお栄を描くこともしてみてはと思った」ところで、そうすることでまた違った面白さを感じることができるのではと思いました。
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