映画的・絵画的・音楽的

映画を見た後にネタバレOKで映画を、展覧会を見たら絵画を、など様々のことについて気楽に話しましょう。

海は燃えている イタリア最南端の小さな島

2017年03月07日 | 洋画(17年)
 イタリアの長編ドキュメンタリー作品の『海は燃えている イタリア最南端の小さな島』を渋谷ル・シネマで見てきました。

(1)本作が、ベルリン国際映画祭の金熊賞(グランプリ)を獲得し米国アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた作品と聞いて、映画館に行ってきました。

 本作(注1)の冒頭では、「ランペドゥーサ島、面積は20平方キロ。この20年間で約40万人の移住者(注2)が上陸。海峡で溺死した移住者の数は1万5千人と推定」との字幕。

 次いで、樹木の上の方を見上げている少年サムエレ(12歳)が映し出されます。
 樹木から張り出ている大きな枝に登って、細い枝を折り取り、ナイフで処理をします。
 下では犬が吠えるので、サムエレは「どうした、ディック?」と声をかけます。
 サムエレは、その木を降りて、今度は大きな岩の上に腹ばいになって、何本もの枝を処理して袋の中に入れます(注3)。

 さらに画面は切り替わって、屋根にレーダーが設けられている建物の中。
 海上の船と、救護所との無線の交信。
 「何人乗っているんだ?」
 「250人、助けてくれ」。
 「現在位置をどうぞ」。
 「助けてくれ、頼む」。

 夜間、海上を照らし出すサーチライト。
 回転するレーダーを積載する艦船が進んでいきます。

 ラジオの音楽を流すスタジオでは、DJのピッポ(注4)が、かけた曲に合わせて歌ったりしています(注5)。

 マリアおばさんの家のキッチン。



 ラジオから同じ曲が流れます。
 音楽のみならず、「島の沖合で船が沈没」「34人の遺体を発見」「明日、停電があります」といったニュースも流れます。

 これが本作のごく始めの方ですが、さあ、これからどんな映像が映し出されるのでしょうか、………?

 本作は、アフリカ大陸に最も近いイタリア最南端のランペドゥーサ島の現在を映し出すドキュメンタリー作品。一方で、その小さな島で営まれる住民たちの日常生活がどこまでも淡々と描かれ、他方で、難民・移民が味わうとんでもない悲劇が映し出されます。本作では、その2つは、決して交わることがありません。ですが、そうだからこそ返って、世界が現在抱える難民・移民問題の深刻さがよく分かる感じがしてきます。

(2)本作で印象的なのは、何と言っても、サムエレ少年の姿です。
 この島にやってくる大勢の移住者の姿は彼の目にまったく止まらず、一方で、友達とパチンコをして遊んだり、家で学校の宿題(注6)をやるかと思えば、他方で、大きくなって漁師になるべく、おじさんの漁船に乗ったりもします(注7)。



 さらには、島の医師のピエトロ・バルトロ(注8)は、もっぱら住民の診察をするのですが、他方で移住者の健康状態を調べたりもするので、その話は、とても興味深いものがあります(注9)。

 加えて、移住民が乗ってきた船の船倉に折り重なって横たわるいくつもの死体とか、救助される移住者の疲弊しきった姿はとても衝撃的ですが、それだけでなく、難民センターで、早速サッカーに興じもする若い移住者の姿は(注10)、心に残ります。
 また、難民センターに入れられた一人の難民の男が、自分たちが味わった苦難を歌にして歌っている場面にはショックを受けます(注11)。

 本作では、たくさんの移住民の存在は、島民の生活とは全く関係がないように描き出されています。とはいえ、少なくとも医師のピエトロ・バルトロは完全に巻き込まれていますし、サムエレ少年も“不安症気味”になったりして、間接的な影響を受けているのでしょう。

 日本は、こうした世界とは全く無関係のように見えるものの(注12)、移住民と先進国との距離は単なる程度問題であって、日本にしてもサムエレ少年のように、気づかないところでじわじわと何かしらの影響を受けているかもしれない、と思ったところです(注13)。

(3)渡まち子氏は、「淡々と現実を映しながら、その映像は、原初的な力強さを持つ島の自然や、慎ましい島民の暮らし、悲劇と憔悴の中でも生命力を失わない難民たちの表情を、美しくポエティックにとらえている」として80点を付けています。
 藤原帰一氏は、「こたえました。沈みかけたボートに凄まじい数の人間が乗っている映像と、平穏な村の暮らしが並べられることで、暴力が異常事態ではなくありふれた日常となった空間が見えてくる。そこがこたえるんです」と述べています。
 秋山登氏は、「ロージ(監督)の語り口は至って静かだ。説明は一切しない。彼の撮影する映像は実に美しい。海、空、森、光と影……。美しさがかえって悲劇を際立たせる。私たちは、命というもの、人生、運命に思いを巡らせ、喫緊の事態の重さを考えずにいられない」
 大場正明氏は、「ロージ(監督)は、ランペドゥーサ島という閉ざされた非常に小さな世界から、実に見事に普遍的な物語を引き出している」と述べています。



(注1)監督はジャンフランコ・ロージ
 原題は「FUOCOAMMARE」(Fire at Sea:由来については、公式サイトをご覧ください)。

(注2)政治的難民ばかりでなく経済的移民も混じっているでしょう(migrantと称すべきでしょうか)。

(注3)実はあとで、その枝を使って、友達とパチンコを作るのです。

(注4)PippoはGiuseppe FragapaneというMJの愛称のようです(ちなみに、彼の画像はこちら)。

(注5)MJのピッポは、リクエストにより、「FUOCOAMMARE(Fire at Sea)」をかけたり、さらには、ロッシーニのオペラ「Moses in Egypt」(解説はこちら)の第3幕からの曲〔「Dal tuo stellato soglio(汝の星をちりばめた王座)」〕が流れたりします。
 監督に言わせれば、これらの曲の選定にはそれなりの意味があるのでしょうが、本作で描かれている事実自体が見る者を圧倒しますから、そんな詮索はあまり意味があるようには思えません。

(注6)「コロンブス・デー」に関する雑誌の記事を読み上げます。

(注7)サムエレ少年は、イカ漁についていったのはいいのですが、海が荒れたために酔っ払って吐いてしまいます。あとで食事中に、おじさんに「船に酔って吐いた。おじさんはそういうことはないの?」と尋ねると、おじさんは「吐きはしないが、船には酔う」「海が荒れている時に、港の浮き桟橋で慣らすと良い」「パチンコなどで遊ばないで、桟橋で胃を鍛えろ」とアドバイスします。

(注8)劇場用パンフレット掲載のインタビュー記事で、ジャフランコ・ロージ監督は、ピエトロ・バルトロ医師について、「彼はこの島でただ一人の医師であり、この20年間、救助された移民・難民の上陸にすべて立ち会ってきた人物」であり、「上陸した移民・難民のうち、病院に行くもの、難民センターに行くもの、死亡したものを府営分けるのは彼」と述べています。

(注9)医師のピエトロ・バルトロは、一方で、サムエレ少年の良き相談相手となっています。
 サムエレ少年の左目が弱視であることがわかると、「良い方の右目を隠して、怠けていた左目に仕事をさせる必要がある」と言って、矯正メガネをかけるように少年にアドバイスします。



 また、「息が苦しくなることがある」と少年が言ってくると、医師は「不安症気味だな。緊張する点が問題だ。とりあえず、心臓の検査をするために心電図をとってみよう」と言ったりします。

 ピエトロ・バルトロは、他方で、移住民の妊婦の子宮を超音波検査で調べて、双子の胎児の手足が絡まっていることを見つけたり、また、PCのモニターに映し出される移住民たちの乗った船を見ながら、「この船には800人乗っていた」、「運賃は、デッキが1500ドル、中段は1000ドル、船倉は800ドル」、「状況は酷く、水も食料もない」、「約60人を緊急治療室に運んだ」、「一番イヤな仕事は死体の検分」、「たくさんの死体を見ているから慣れたろうと言われるが、とんでもない」、「彼らを袋に入れて運んでから棺に入れる」、「記録するために死体の一部を切り取る」、「彼らは死んでからも陵辱を受けるのだ」、「でも、これらは医師の務めなのだ」などと話したりします。

(注10)国別にチームが作られますが、リビア、ソマリア、スーダン、シリア、エリトリアといった国名を耳にすると、随分たくさんの国から来ているのだなと驚きます。

(注11)歌われた歌のごく大雑把な概要は、以下の通り。
 “ナイジェリアから逃げた サハラに逃げた 大勢死んだ 今度はリビアに逃げた そこにもいられなかった 山は匿ってくれない 人も匿ってくれない だから海に逃げた そこでも大勢が死んだ ボートにいたのは90人 生き残ったのは30人 海は人が通る道じゃない 大勢が死んだ 自分の小便を飲んだ アフリカ人だから誰も助けてくれない 大勢が牢屋で死んだ リビアの監獄は酷かった それでも海に逃げた俺達はこうして生き残った”



(注12)公式サイトの「about the movie」によれば、「島の人口約5500人に対して、今は年間5万人を超える難民・移民がランペドゥーサ島へやってきている」とのこと。
 これに対し、この法務省資料によれば、日本の2015年における難民認定者数は、「難民認定申請者数7586人」に対して27人で、前年に比べ16人増加(人道上の配慮を理由に我が国での在留を認めた者が79人であり、これらを合わせると106人)。

(注13)ただ、弱視が治ってきて物事がよく見えるようになったサムエレ少年が“不安症気味”になったのを比喩的に捉えたり、本作の冒頭で救護所の方から無線で「現在位置をどうぞ」と尋ねるのが、観客に対する問いかけでもあると言ってみたりするのは(実は、劇場用パンフレット掲載の「レポート」によれば、ジャンフランコ・ロージ監督自身がそのように言っているのですが)、クマネズミは余り好みません。



★★★★☆☆



象のロケット:海は燃えている イタリア最南端の小さな島