韓国映画の『お嬢さん』をTOHOシネマズ新宿で見ました。
(1)久しぶりに韓流でもと思って映画館に行きました。
本作(注1)の舞台は、1939年の朝鮮半島(注2)。
始めの方では、雨が降る中、日本軍の兵隊が行進しており、その後を子どもたちが追いかけます。
彼らが行ってしまった後、傘をさして赤ん坊を抱えた女が立っています。
女は、庇の下で雨宿りをしている女たちの一人にその赤ん坊を預けて、立ち去ります。
次いで、「第1部」の字幕。
車が海岸通りを進み、人里離れたところに設けられている上月家の門の中に入ります。
運転手が、後ろの座席にいる少女・スッキ(キム・テリ)に対し、「まだ寝てていいぞ、屋敷はずっと奥だ」と言います。
車が進んでいく間、スッキが外を見ていると、やがて大きな屋敷に到着します。
迎えた女(キム・ヘスク)が、「自分は佐々木」と言い、屋敷のことなどについて説明します。
「この屋敷は、3つの棟からできている」、「母屋は、英国風と日本風が合わさっている」、「離れの棟は旦那様の書斎」、「もう一つは、使用人の棟」、「お前はお嬢さまの侍女だから使用人の棟で休むことはない」、「盗みを働いたら、即刻クビ」、「お前のことは、これから珠子と呼ぶ」。
「お嬢さまの日常は単純。裏庭を散歩したり、旦那様に本を読んであげたり」。
「旦那様は、本を読むのが好き。書籍愛好家の中では一番の富豪」。
「時々停電になるが、怖がらないで」。
スッキは、お嬢さま(秀子:キム・ミニ)の寝室の直ぐ側の納戸のような狭い場所に設けられているベッドで横になります。
すると突然、「お母様、お母様」という秀子の声が。
スッキが慌てて秀子の寝室に飛び込み、「大丈夫ですか?」と尋ねると、秀子が「スン・ジャ?」と言うものですから、スッキは「スン・ジャはクビになって、私は新しい侍女の珠子です」と答え、さらに「悪い夢を見たのですか?」と訊きます。すると、秀子は「叔母(ムン・ソリ)がおかしくなって、あそこにある桜の木で首を吊ったの」「時々、月の出ていない暗い夜になると霊が現れる」などと答えます。
こうして、スッキは上月家に入り込むことに成功しますが、さあ、これからどのような物語が語られることになるのでしょうか、………?
本作の舞台は、1939年の朝鮮半島。偽伯爵が、莫大な資産を相続した日本人令嬢のもとにメイドを送り込み、その資産を奪い取ろうとするものの、…という物語。まあ、コンゲームを描いていますから、騙し騙されで、事態が二転、三転して物語は面白く、さらには、きれいに映し出される官能的シーンもかなりあり、娯楽作品としてはよくできています。ただ、韓国だけでなく日本での部分がかなりあり、リアリティのあるお話というよりも、全くのおとぎ話と言う感じになってはしまいますが(日本語と韓国語が入り混じっていて、返って理解しにくい部分があったりもします)。
(2)本作は、偽伯爵のハ・ジョンウがスッキと組んで、上月家の上月(チョ・ジヌン)や秀子を騙して財産を詐取しようとするコンゲームを描くミステリーであり、内容的には「映画は三部構成からなり、第一部はスッキの視点で、第二部は秀子の視点で事件の顛末が描かれ、第三部では衝撃的な真相が明かされる」わけですが(注3)、それ以上は見てのお楽しみでしょう。
そこでここでは、印象に残った点を少しばかり申し上げるにとどめましょう。
本作では、何と言っても、成り上がりの上月とその姪の秀子が暮らす豪壮な屋敷の描写が素晴らしいと思いました。
特に、書斎は大層広々と作られていて、入口の傍には書棚がいくつも設けられており、その奥の一段下がったところが畳敷きで、真中に書籍を読むための机と椅子が置かれています(注4)。
その上、書棚に収められている本は、上月が収集した稀覯本ばかりなのです。
あとでスッキが棚から払い除けて下に落としたものを見ると、どれも皆猥本であり(注5)、上月は、秀子にそれらの猥本を男の客人の前で読むように命じていたのです(注6)。
また、出演者のうち、主役の秀子を演じるキム・ミニは、松たか子(あるいは松嶋菜々子でしょうか)似の美形ながら、体当たりの熱演をしていて、素晴らしいなと思いました。
ラストのシーンばかりでなく(注7)、始めの方の入浴シーンも印象に残ります(注8)。
さらに、侍女のスッキに扮するキム・テリは、オーディションで選ばれながら、新人とも思えない度胸の良さで見る者を圧倒します(注9)。
ただ、ハ・ジョンウが演じる偽伯爵ですが、日本の華族は数が限定されていて、調べればすぐに当該人物が偽者かどうかわかるのではないでしょうか(注10)?
それに、ハ・ジョンウが話す日本語は、勿論そんなことを言うのは求め過ぎではあるものの、今少し何とかならないのかな、とも思いました(注11)。
本作は、朝鮮半島出身者でありながら日本人に憧れるばかりか、かなりネジ曲がった行動をとる上月と、なんとか秀子の相続した莫大な財産を掠め取ろうとする偽伯爵のハ・ジョンウの男性陣と、秀子と侍女のスッキの女性陣との戦いとも見られ、さらには、ラストまでの描かれ方からして、いろいろな社会的な意味合いを読み込みたくなるかもしれません。でも、クマネズミは、あえてそんなことをせずとも、騙し騙されが描かれる単純なおとぎ話として愉しめば良いのでは、と思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「145分の長尺だが、摩訶不思議な世界にどっぷり浸る、得がたい映像体験である」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「ものがたりのおもしろさを堪能させる2時間25分だ」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
(注1)監督は、パク・チャヌク。
脚本は、監督のパク・チャヌクとチャン・ソギョン。
英題は「The Handmaiden」。
原作は、サラ・ウォーターズ著『荊の城』(創元推理文庫)。
ただ、本作は、原作の舞台がヴィクトリア時代のイギリスとされているものを日本統治下の朝鮮半島に置き換えるなど、様々の改変を行っているようです。
(注2)以下は、映画の展開が速く追いつけなかったところもあって、取り違えている細部が少なからずあると思いますが、悪しからず。
(注3)劇場用パンフレットの「INTRODUCTION」より。
ただ、実際には、「スッキの視点から描かれ」たり、「秀子の視点から描かれ」たりするというよりも、同じように映し出される様々のシーンについて、第1部ではスッキが第2部では秀子が話をするという具合です。第3部は、第1部と第2部を受けて、全体の結末が客観的に描き出されます。
(注4)書斎の入り口から書棚の間を通って机のある広間に行く感じは、チョット飛躍しますが、以前見たことがある韓国映画の『黒く濁る村』で描かれる地下通路を思い出させました。また、上月家には大きな地下室も設けられているのです。
(注5)本作において、ちらっと見えたものとか、読み上げられている雰囲気からすると、日本の江戸時代の春本とか、マルキ・ド・サドの翻訳本とかがあるようです。
前者については、葛飾北斎の『蛸と海女』があったような感じがします(同春画を中心にして作られた新藤兼人監督の『北斎漫画』については、この拙ブログの「注8」をご覧ください。ちなみに、上月家の地下室の水槽では大蛸が飼われています!)。
ただ、後者については、澁澤龍彦氏による『悪徳の栄え』(現代思潮社、1959年)くらいが最初であり、戦前には翻訳がなされてはいないように思うのですが(例えば、この記事を参照)。
(注6)秀子は春本を読むわけですから、それに書き込まれている「玉門」といった隠語なども大声で読み上げることになります(と言って、今やそんなものには余り卑猥な感じがありませんが、本作のように戦前だとしたら、かなり刺激的だったかもしれません)。また、猥本の中に描かれている体位なども、秀子に実演させてみたりもします。
スッキは、こうした猥本を見て、ものすごい嫌悪感に襲われ、稀覯本で高価なものばかりにもかかわらず、棚から引きずり落とし、次々と破り捨ててしまいます。
(注7)キム・ミニとキム・テリの映像から、『アデル、ブルーは熱い色』を思い出しますが、年齢的な関係からすれば、同作のアデル(アデル・エグザルコプロス)がキム・テリに、エマ(レア・セドゥ)がキム・ミニに該当するかもしれませんが、雰囲気からはその逆のような気もします。
(注8)スッキは、入浴中の秀子を見て、その美しいことに驚いて「お嬢さまは私の赤ちゃんです」と言ってみたり、歯の形が悪いために飴を舐めると口の中が裂けてしまうのがわかると、秀子の口の中に手を入れて、歯の先端を研いだりします。ここらあたりから、二人の関係は次第に親密なものとなっていくのでしょう。
(注9)町山智浩氏は、この記事によれば、「(キム・テリは)映画デビューでもう、全部やっちゃったっていうね。すっごいもう、こっから先はないだろう?っていうのをやっちゃってますけども」と語っています。
なお、クマネズミは、デビュー作の『人間の値打ち』で体当たりの演技を披露したマティルデ・ジョリを思い出しました(同作の公式サイトの記事をご覧ください)。
(注10)ちなみに、この記事では、華族の1011家が掲載されており、その中には「藤原伯爵」なるものは存在しておりません。
また、この記事によれば、確かに、「藤原家」は平安時代こそ貴族のトップでしたが、「藤原氏は平安時代末から鎌倉時代にかけて、「五摂家」という「摂政・関白を出す家」を決め、それぞれの家の名を名乗るようにな」って、「藤原」を名乗らなくなりました。
こんなところからも、藤原伯爵が怪しいことはたちどころにわかるはずなのですが、上月も、自身が朝鮮半島出身者であるにもかかわらず、日本人になろうとしている人物だけに、簡単に騙されたというところでしょうか(ただ、佐々木夫人くらいなら、すぐに分かりそうな感じがします)。
(注11)この記事によれば、ハ・ジョンウは、「1930年代の日本語を完璧に話すために2ヶ月間ハードな講習を受けた」とのこと。
でも、韓国語で話してくれてその字幕を出した方が、日本人にはずっとわかりやすくなるでしょう(英語版なら、そうなっていると思います)。
★★★☆☆☆
象のロケット:お嬢さん
(1)久しぶりに韓流でもと思って映画館に行きました。
本作(注1)の舞台は、1939年の朝鮮半島(注2)。
始めの方では、雨が降る中、日本軍の兵隊が行進しており、その後を子どもたちが追いかけます。
彼らが行ってしまった後、傘をさして赤ん坊を抱えた女が立っています。
女は、庇の下で雨宿りをしている女たちの一人にその赤ん坊を預けて、立ち去ります。
次いで、「第1部」の字幕。
車が海岸通りを進み、人里離れたところに設けられている上月家の門の中に入ります。
運転手が、後ろの座席にいる少女・スッキ(キム・テリ)に対し、「まだ寝てていいぞ、屋敷はずっと奥だ」と言います。
車が進んでいく間、スッキが外を見ていると、やがて大きな屋敷に到着します。
迎えた女(キム・ヘスク)が、「自分は佐々木」と言い、屋敷のことなどについて説明します。
「この屋敷は、3つの棟からできている」、「母屋は、英国風と日本風が合わさっている」、「離れの棟は旦那様の書斎」、「もう一つは、使用人の棟」、「お前はお嬢さまの侍女だから使用人の棟で休むことはない」、「盗みを働いたら、即刻クビ」、「お前のことは、これから珠子と呼ぶ」。
「お嬢さまの日常は単純。裏庭を散歩したり、旦那様に本を読んであげたり」。
「旦那様は、本を読むのが好き。書籍愛好家の中では一番の富豪」。
「時々停電になるが、怖がらないで」。
スッキは、お嬢さま(秀子:キム・ミニ)の寝室の直ぐ側の納戸のような狭い場所に設けられているベッドで横になります。
すると突然、「お母様、お母様」という秀子の声が。
スッキが慌てて秀子の寝室に飛び込み、「大丈夫ですか?」と尋ねると、秀子が「スン・ジャ?」と言うものですから、スッキは「スン・ジャはクビになって、私は新しい侍女の珠子です」と答え、さらに「悪い夢を見たのですか?」と訊きます。すると、秀子は「叔母(ムン・ソリ)がおかしくなって、あそこにある桜の木で首を吊ったの」「時々、月の出ていない暗い夜になると霊が現れる」などと答えます。
こうして、スッキは上月家に入り込むことに成功しますが、さあ、これからどのような物語が語られることになるのでしょうか、………?
本作の舞台は、1939年の朝鮮半島。偽伯爵が、莫大な資産を相続した日本人令嬢のもとにメイドを送り込み、その資産を奪い取ろうとするものの、…という物語。まあ、コンゲームを描いていますから、騙し騙されで、事態が二転、三転して物語は面白く、さらには、きれいに映し出される官能的シーンもかなりあり、娯楽作品としてはよくできています。ただ、韓国だけでなく日本での部分がかなりあり、リアリティのあるお話というよりも、全くのおとぎ話と言う感じになってはしまいますが(日本語と韓国語が入り混じっていて、返って理解しにくい部分があったりもします)。
(2)本作は、偽伯爵のハ・ジョンウがスッキと組んで、上月家の上月(チョ・ジヌン)や秀子を騙して財産を詐取しようとするコンゲームを描くミステリーであり、内容的には「映画は三部構成からなり、第一部はスッキの視点で、第二部は秀子の視点で事件の顛末が描かれ、第三部では衝撃的な真相が明かされる」わけですが(注3)、それ以上は見てのお楽しみでしょう。
そこでここでは、印象に残った点を少しばかり申し上げるにとどめましょう。
本作では、何と言っても、成り上がりの上月とその姪の秀子が暮らす豪壮な屋敷の描写が素晴らしいと思いました。
特に、書斎は大層広々と作られていて、入口の傍には書棚がいくつも設けられており、その奥の一段下がったところが畳敷きで、真中に書籍を読むための机と椅子が置かれています(注4)。
その上、書棚に収められている本は、上月が収集した稀覯本ばかりなのです。
あとでスッキが棚から払い除けて下に落としたものを見ると、どれも皆猥本であり(注5)、上月は、秀子にそれらの猥本を男の客人の前で読むように命じていたのです(注6)。
また、出演者のうち、主役の秀子を演じるキム・ミニは、松たか子(あるいは松嶋菜々子でしょうか)似の美形ながら、体当たりの熱演をしていて、素晴らしいなと思いました。
ラストのシーンばかりでなく(注7)、始めの方の入浴シーンも印象に残ります(注8)。
さらに、侍女のスッキに扮するキム・テリは、オーディションで選ばれながら、新人とも思えない度胸の良さで見る者を圧倒します(注9)。
ただ、ハ・ジョンウが演じる偽伯爵ですが、日本の華族は数が限定されていて、調べればすぐに当該人物が偽者かどうかわかるのではないでしょうか(注10)?
それに、ハ・ジョンウが話す日本語は、勿論そんなことを言うのは求め過ぎではあるものの、今少し何とかならないのかな、とも思いました(注11)。
本作は、朝鮮半島出身者でありながら日本人に憧れるばかりか、かなりネジ曲がった行動をとる上月と、なんとか秀子の相続した莫大な財産を掠め取ろうとする偽伯爵のハ・ジョンウの男性陣と、秀子と侍女のスッキの女性陣との戦いとも見られ、さらには、ラストまでの描かれ方からして、いろいろな社会的な意味合いを読み込みたくなるかもしれません。でも、クマネズミは、あえてそんなことをせずとも、騙し騙されが描かれる単純なおとぎ話として愉しめば良いのでは、と思ったところです。
(3)渡まち子氏は、「145分の長尺だが、摩訶不思議な世界にどっぷり浸る、得がたい映像体験である」として70点を付けています。
宇田川幸洋氏は、「ものがたりのおもしろさを堪能させる2時間25分だ」として★4つ(「見逃せない」)を付けています。
(注1)監督は、パク・チャヌク。
脚本は、監督のパク・チャヌクとチャン・ソギョン。
英題は「The Handmaiden」。
原作は、サラ・ウォーターズ著『荊の城』(創元推理文庫)。
ただ、本作は、原作の舞台がヴィクトリア時代のイギリスとされているものを日本統治下の朝鮮半島に置き換えるなど、様々の改変を行っているようです。
(注2)以下は、映画の展開が速く追いつけなかったところもあって、取り違えている細部が少なからずあると思いますが、悪しからず。
(注3)劇場用パンフレットの「INTRODUCTION」より。
ただ、実際には、「スッキの視点から描かれ」たり、「秀子の視点から描かれ」たりするというよりも、同じように映し出される様々のシーンについて、第1部ではスッキが第2部では秀子が話をするという具合です。第3部は、第1部と第2部を受けて、全体の結末が客観的に描き出されます。
(注4)書斎の入り口から書棚の間を通って机のある広間に行く感じは、チョット飛躍しますが、以前見たことがある韓国映画の『黒く濁る村』で描かれる地下通路を思い出させました。また、上月家には大きな地下室も設けられているのです。
(注5)本作において、ちらっと見えたものとか、読み上げられている雰囲気からすると、日本の江戸時代の春本とか、マルキ・ド・サドの翻訳本とかがあるようです。
前者については、葛飾北斎の『蛸と海女』があったような感じがします(同春画を中心にして作られた新藤兼人監督の『北斎漫画』については、この拙ブログの「注8」をご覧ください。ちなみに、上月家の地下室の水槽では大蛸が飼われています!)。
ただ、後者については、澁澤龍彦氏による『悪徳の栄え』(現代思潮社、1959年)くらいが最初であり、戦前には翻訳がなされてはいないように思うのですが(例えば、この記事を参照)。
(注6)秀子は春本を読むわけですから、それに書き込まれている「玉門」といった隠語なども大声で読み上げることになります(と言って、今やそんなものには余り卑猥な感じがありませんが、本作のように戦前だとしたら、かなり刺激的だったかもしれません)。また、猥本の中に描かれている体位なども、秀子に実演させてみたりもします。
スッキは、こうした猥本を見て、ものすごい嫌悪感に襲われ、稀覯本で高価なものばかりにもかかわらず、棚から引きずり落とし、次々と破り捨ててしまいます。
(注7)キム・ミニとキム・テリの映像から、『アデル、ブルーは熱い色』を思い出しますが、年齢的な関係からすれば、同作のアデル(アデル・エグザルコプロス)がキム・テリに、エマ(レア・セドゥ)がキム・ミニに該当するかもしれませんが、雰囲気からはその逆のような気もします。
(注8)スッキは、入浴中の秀子を見て、その美しいことに驚いて「お嬢さまは私の赤ちゃんです」と言ってみたり、歯の形が悪いために飴を舐めると口の中が裂けてしまうのがわかると、秀子の口の中に手を入れて、歯の先端を研いだりします。ここらあたりから、二人の関係は次第に親密なものとなっていくのでしょう。
(注9)町山智浩氏は、この記事によれば、「(キム・テリは)映画デビューでもう、全部やっちゃったっていうね。すっごいもう、こっから先はないだろう?っていうのをやっちゃってますけども」と語っています。
なお、クマネズミは、デビュー作の『人間の値打ち』で体当たりの演技を披露したマティルデ・ジョリを思い出しました(同作の公式サイトの記事をご覧ください)。
(注10)ちなみに、この記事では、華族の1011家が掲載されており、その中には「藤原伯爵」なるものは存在しておりません。
また、この記事によれば、確かに、「藤原家」は平安時代こそ貴族のトップでしたが、「藤原氏は平安時代末から鎌倉時代にかけて、「五摂家」という「摂政・関白を出す家」を決め、それぞれの家の名を名乗るようにな」って、「藤原」を名乗らなくなりました。
こんなところからも、藤原伯爵が怪しいことはたちどころにわかるはずなのですが、上月も、自身が朝鮮半島出身者であるにもかかわらず、日本人になろうとしている人物だけに、簡単に騙されたというところでしょうか(ただ、佐々木夫人くらいなら、すぐに分かりそうな感じがします)。
(注11)この記事によれば、ハ・ジョンウは、「1930年代の日本語を完璧に話すために2ヶ月間ハードな講習を受けた」とのこと。
でも、韓国語で話してくれてその字幕を出した方が、日本人にはずっとわかりやすくなるでしょう(英語版なら、そうなっていると思います)。
★★★☆☆☆
象のロケット:お嬢さん
そんなに「スッキが好っき」なら、スッキにキッスしたらいかがでしょうか?