(5月27日、ミャンマーの最大都市ヤンゴンで、イスラム系少数民族ロヒンギャの難民船問題の解決を求める国際世論に反発するデモの参加者ら 【5月27日 時事】)
【完璧とはほど遠いものの、重要な一歩】
ミャンマーでは11月8日、民政移管後初の総選挙が行われます。前回総選挙はボイコットしたアウン・サン・スー・チー氏率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」がどこまで議席を伸ばせるかが注目されています。
軍出身のテイン・セイン大統領のもとで想像されなかったスピードで民主化が進展したミャンマーですが、もとより、その民主化は未だ不十分であり、少数民族問題や多数派仏教徒による宗教的不寛容の問題など、懸念される課題も少なくありません。
軍人に4分の1の議席を割り当て、スー・チー氏の大統領資格を認めない現行憲法の問題もあります。
国民的人気が高いスー・チー氏にしても、かつての民主化運動の象徴ではなく、現実政治における指導者としてどれほどの力量があるのかは不明確で、疑念を示す向きもあります。
ただ、そうした問題は多々あるにせよ、今後の更なる民主化にむけての重要な一歩であることは間違いなく、その結果が注目されます。
****ミャンマー総選挙は歴史的な一歩(社説) *****
(2015年10月26日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
5年前、ミャンマーの軍事政権が恐る恐る民主化への道を歩み始めたとき、どこまで進むのかを疑う見方が多かったのは当然だ。
移行はまだ明らかに完了していない。これは軍事政権が政治・経済的な利益を巧みに守りながら進めてきたコントロールされたプロセスだ。
だが、何も変わっていないという懐疑派の見方は誤りだ。ミャンマーは5年前とはまるで異なる国だ。以前よりもずっと世界との関わりを深め、抑圧が減り、必ずしも啓発的とはいかないまでも市民社会が発展しつつある。
来月、この民主化のプロセスがもう一歩進められる。同国で半世紀以上ぶりに本当の意味での民主的な総選挙が実施されるのだ。
総選挙は、民族間の分断が多く見られる人口5300万人の同国全土で11月8日に実施されるが、完璧とはほど遠いものになるだろう。
軍部が国会で4分の1の議席を自動的に確保し、憲法は野党の党首、アウン・サン・スー・チー氏が大統領になることを実質的に禁じている。憲法は外国籍の子どもを持つ者は大統領になれないと定めており、同氏にはそれに該当する子どもが2人いる。
一部の少数民族による世界で最も長い内戦が続く国境地帯に住む多くの人々も投票できない。迫害を受けるイスラム教徒少数民族「ロヒンギャ」の大半もそうだ。
それでも、この選挙は決定的な一歩になる。数十年ぶりに同国の国民は国会の形を決め、そこから次期大統領が出るであろう党を選ぶ機会が与えられたのだ。同国の選挙制度では、国会の両院と軍がそれぞれ副大統領を指名し、その中から国会が大統領を選出する。
議席の4分の1はカーキ色の制服組に確保されているため、国民民主連盟(NLD)が確実に勝つためには議席の67%を得る必要がある。
たとえ大々的な不正が行われなかったとしても、NLDに明白な勝利が保証されているわけではなく、現職のテイン・セイン氏がなんとか権力の座に返り咲く可能性はまだある。
■スー・チー氏を大統領に
NLDが大差で勝利を収めた場合、状況はややこしくなる。最近のインタビューでスー・チー氏は「大統領でなければ、国を導くことはできないのか」と述べ、物事を水面下で操ることをほのめかした。
同氏は(インドの)ソニア・ガンジー氏になぞらえられることを拒んだが、スー・チー氏の発言は、ほぼ無能だったシン政権をガンジー氏が陰で操っていた当時のインドの不満足な状況と、不気味なほど同じように聞こえる。
NLDが選挙で勝って十分な過半数を確保したなら、軍が憲法を改正してスー・チー氏が直接大統領になれるようにする方がはるかに良いだろう。
実際のところ、スー・チー氏も民主主義自体も万能薬ではない。同氏が民主化の象徴から政治家に転身するのは容易ではない。
政策面では、特に経済や長くくすぶっている少数民族問題では同氏はあいまいなことが多い。皮肉にも、政治的な解決に必要な譲歩は軍の方が行いやすいだろう。
同国は依然として非常に貧しく不平等な国だ。無法であることも多く、たちの悪い宗教的不寛容さにあふれている。軍以外の政府組織も弱い。
外国人はいまだに、投資するに足る人的あるいは物理的な能力が同国にあるかについて懐疑的だ。これを複雑にしている背景には、米国が同国への制裁の方針をまだ展開していることがある。
ミャンマーの軍部は権力から退くことで歴史をつくった。その点は称賛に値する。だが、来月の総選挙やその後の大統領選出を巡る争いで勝つのが誰であれ、蜜月は短いだろう。
軍が不確かな民主主義を譲り渡そうとしているこの国は、60年間に及んだ権威主義の悪政による傷を負っている。【10月26日 日経】
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まずは総選挙が公正に行われることを期待しますが、公正な選挙を取り仕切るべき選挙管理委員会が与党・大統領の強い影響下にあり、10月8日ブログ「ミャンマー 総選挙まで1か月 選挙後の政権主導に意欲を見せるスー・チー氏」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20151008)でも指摘したような「不公正」が懸念されます。
あろうことか、選挙管理委員会は与党に不利な形勢にある総選挙自体を延期するといった提案も行いました。
さすがにこれは批判も強く、撤回されています。
****ミャンマー総選挙、延期提案後に撤回 選管委員長*****
ミャンマー選挙管理委員会のティンエー委員長は13日、主要政党代表との協議で7月に北・西部で起きた洪水を理由に11月8日の総選挙の延期を提案した。
アウンサンスーチー氏の野党・国民民主連盟(NLD)は反対。選管は13日夜、一転して国営テレビで提案を撤回する声明を出した。(中略)
13日の延期提案後、総選挙で躍進が予想されるNLDの幹部は「与党が劣勢のため延期したいようだ」と反発。
協議に出なかった野党からも「2008年の憲法制定時の国民投票は巨大サイクロン被害の直後でも強行したではないか」と批判が出た。
結局、選管は同日夜に提案撤回の声明を発表。「延期した際に起こりうる事態を配慮した」と説明した。国内外から批判が高まることを考慮したとみられる。
元軍人のティンエー氏はテインセイン大統領と国軍士官学校同期で元USDP下院議員。その中立性には疑念が持たれている。【10月14日 朝日】
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意図的な選挙への干渉以外にも、選挙態勢が十分に整っていないことからくる混乱も予想されます。
選管発表の「有権者名簿」に相当な欠落(意図的なものか、単なる事務的ミスなのかはわかりませんが)があることは前回ブログでも取り上げました。
東京での在外投票でもその点が問題となっています。
****<ミャンマー総選挙>東京で在外投票 名簿不備で混乱も****
11月8日のミャンマー総選挙の在外投票が東京都品川区の大使館で行われている。日本に住む有権者が民主化の進展を願って訪れているが、有権者名簿の不備で投票できない人も続出している。
在日ミャンマー人は約1万2000人だが、選管が確認している有権者は約1000人。多くの人が「名簿に名前がない」という。国営紙によると、東京の大使館に送るはずの投票用紙がエジプトに送られるなど、事務的なミスも相次いだ。(中略)
日本での投票は17〜23日のはずだったが、混乱を受けて2日間延長される予定。シンガポールや韓国でも同じような混乱が生じている。ミャンマーのメディアによると、約3万4000人が在外投票を申請した。【10月23日 毎日】
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“在日ミャンマー人は約1万2000人だが、選管が確認している有権者は約1000人”・・・随分と数字に開きがありますが、例えば在日ミャンマー人が当局に把握されることを警戒して大使館とのコンタクトをとっていない・・・といった類の要素があるのかどうかは知りません。
いずれにしても、信頼に足る選挙でないと、選挙後に敗者が結果受け入れを拒否して更に混乱するといったこともあります。
【仏僧の全国組織が反NLDキャンペーンを展開】
選挙結果予測については、国民的人気が高いアウンサンスーチー氏の野党・国民民主連盟(NLD)の優勢がかねてより言われており、スー・チー氏としては“圧勝”の形で選挙後の主導権を握りたいところです。
ただ、そのスー・チーにとって厄介な動きも伝えられています。
ミャンマーでは、西部ラカイン州のイスラム教徒少数民族ロヒンギャと仏教徒の対立などを背景に、イスラムへ不寛容な仏教ナショナリズムの動きが一部僧侶に扇動される形で広まっています。
これまでスー・チー氏は、圧倒的多数を占める仏教徒世論に配慮する形で、ロヒンギャの人権保護支援は明らかにしてきませんでした。そのことは、人権団体等からは、批判も浴びてきました。
ただ、仏教徒支持・ロヒンギャ批判も明確にしない対応に、仏教徒側からもスー・チー批判が高まっているようです。
****民族対立、反スーチーの街 仏教徒、「イスラム教徒寄り」不満 ミャンマー総選挙****
11月投開票のミャンマー総選挙で、優勢とみられている野党・国民民主連盟(NLD)のアウンサンスーチー党首が16日、9月からの選挙戦で初めて西部ラカイン州に入った。
同州は多数派の仏教徒と少数派のイスラム教徒が対立。仏教徒の間では、イスラム教徒寄りとみられているスーチー氏への反発が強く、難しい対応を迫られている。
「私たちが選挙で勝って、体制を変えたい」
スーチー氏は同日、同州南部タウンゴウの集会で支持を訴えた。
会場の運動場には数千人が集まったが、演説後に厳しい質問攻めにあった。「NLDが政権を取ったら、イスラム教徒が力をつけるのではないか」「スーチー氏は仏教を重んじていないと言われるが」
スーチー氏は「民主主義国では政府は国民の意思に反したことはできない」と直接的な回答を避けた。
実は、今回の同州の遊説で、州都シットウェーなどがある州北部への訪問は見送られていた。住民の反スーチー感情が、南部よりも激しいためだ。
シットウェーでは、最大都市ヤンゴンの街角で見かけるスーチー氏の写真やポスターが一切見られない。
「ここでは誰もスーチー氏を好きじゃない」。市場の青果店主ピューシェーさん(50)は言う。「彼女はイスラム教徒寄りだから」
同州では2012年、州内多数派の仏教徒のラカインとイスラム教徒のロヒンギャが衝突。双方に計約200人の死者が出て、約14万人が避難民になった。シットウェーでも同年6月に大規模な衝突が起き、家々が焼かれた。
スーチー氏は同月、ヤンゴンを訪れ、解決を訴えたイスラム教徒男性らに語った。「多数派は寛大で同情的であるべきだ。宗教や民族にかかわらず、みな仲良くしてほしい」
この一言が、ロヒンギャを隣国バングラデシュからの移民と見なすラカインから強い反発を招いた。市民団体リーダーのタントゥンさん(58)は今でも、「不法移民を少数派と見なすのは納得できない」と語る。
上下両院の664議席のうち軍人枠を除く498議席を争う選挙戦では、NLDは、テインセイン大統領が率いる与党・連邦団結発展党(USDP)に対して優勢とみられている。
だが、同州で支持を広げるのは、ラカイン政党のアラカン民族党(ANP)だ。
同州の議席数は民選議席の約6%の29。選挙戦全体への影響は少ないものの、エーヌセイン副党首(58)は「我々と競えるのは与党だけだ」と胸を張る。
■ロヒンギャ、投票権奪われ失望
12年の衝突でシットウェー市内から郊外に逃れたロヒンギャの人たちは、今も避難民キャンプで暮らす。周辺の村も含め、一帯には10万人以上が住むという。
だが、地元選挙管理委員会の関係者によると、このうち投票権があるのは約100人だけ。ラカインなどの要求を受け入れたテインセイン政権が「国民」以外の投票権を奪ったからだ。(中略)
ロヒンギャを巡っては今年前半、厳しい環境を脱しようと数千人が周辺国に船で逃れ、問題になった。
スーチー氏は12年の衝突以降、ロヒンギャ問題について語ろうとしない。多数派の仏教徒の支持を失いたくないからとみられる。
だが、そのことを、今度は国際人権団体などから批判されている。宗教や民族の問題は、選挙戦を通じてスーチー氏にとって重い課題となっている。【10月17日 朝日】
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仏教徒側のスー・チー批判はラカイン州にはとどまらないようです。
****<ミャンマー総選挙>仏僧の全国組織が反スーチー氏姿勢****
◇「イスラム寄り」と批判
ミャンマー総選挙(11月8日投票)を巡り、アウンサンスーチー氏が率いる最大野党「国民民主連盟(NLD)」に対し、仏僧の全国組織が反NLDキャンペーンを展開している。
スーチー氏の姿勢を「イスラム教徒寄り」とみなしているからだ。仏教徒が国民の9割を占めるこの国で仏僧の影響力は絶大だが、投票行動にどう反映されるかは不透明だ。
この組織は民政移管後の2013年6月に結成された「仏教保護機構」(通称マバタ)。仏教徒とイスラム教徒の対立激化に伴い仏教ナショナリズムが高揚する中で急拡大。今や全国屈指の「圧力団体」となり、機構によると、全国50万余の仏僧のうち推定30万の仏僧が機構を支持している。
機構は結成の翌7月、仏教徒保護法の素案をテインセイン大統領に提出。最終的に500万人の賛同署名を集めた。素案は今年8月、大統領の後押しもあり四つの関連法として施行、結実した。
宗教対立の原因の一つに、機構は「イスラム教徒人口の急増」を挙げており、出産間隔を3年以上あけるよう求める「人口抑制法」はその一つ。罰則はないが、多産とされるイスラム教徒が主な標的とみられ、NLDは国会で「人権侵害だ」と反対した。
関連法にはイスラム教が認める一夫多妻の禁止の他、異教徒間の結婚、改宗の制限もある。イスラム教徒男性と結婚した仏教徒女性が、イスラム教に強制改宗させられている事例が目立つ、との事情を反映させた。
スーチー氏は宗教対立について、仏教界への配慮もあり「微妙な問題」として発言を控えてきたが、機構は、仏教徒保護法への姿勢に反発。選挙戦に入った今年9月以降、「法律に反対する候補や政党に投票しないように」とのキャンペーンを本格化させた。
機構には、軍政期にスーチー氏と「民主化」で共闘した仏僧も多く、穏健派から急進派まで幅広い。中央執行委のメンバーで、イスラム排斥運動を主導してきたウィラトゥー師は「NLDが選挙に勝てば、カラー(ベンガル系イスラム教徒=ロヒンギャ=への蔑称)がこの国を統治する」などと危機感をあおる。
ミャンマーの仏僧は世俗の政治には関与しない、との不文律があり、選挙権もない。憲法は宗教の政治利用を禁じており、NLDは9月、「仏教組織が政治に関与している」と中央選管に申し立てた。
だが、選管は「政党や候補者による宗教の政治利用を防ぐのが我々の責務。仏僧に対しては何もできない」と釈明。イエトゥ大統領報道官も「民主的な社会では誰でも自分の意見を表明できる」と機構を擁護した形だ。
機構は全国に250の支部を置く。仏僧が各地で与党「連邦団結発展党(USDP)」への投票を説いているとみられ、一部メディアは「政権や与党が背後で動かしている」との見方を伝えている。
スーチー氏は遊説先で聴衆から「本当にイスラム教徒を優遇するのか」といった質問を浴びている。彼女は「あるグループの組織的なデマだ。こうした憲法違反行為になぜ(適切な)措置が取られないか、考えてほしい」(西部ラカイン州での演説)と説明している。【10月25日 毎日】
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NLDは「イスラム教徒寄り」批判を避けるため候補者からイスラム教徒をはずすなどの対応もとっていますが、それでもなお・・・というところです。
イスラム教徒・ロヒンギャ対応だけでなく、冒頭記事にも“皮肉にも、政治的な解決に必要な譲歩は軍の方が行いやすいだろう”とあるように、スー・チー氏が前面に出て軍部など既存勢力との対決姿勢を示すと、政治対立で事態が膠着することも懸念されます。
こうした「現実政治」のなかで人権擁護・民主化といった政治理念をどこまで貫くことができるのか・・・現実政治家としての力量が問われる問題です。