孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

中国の子供試験監督官と、カンボジアのポル・ポト時代の暗い記憶

2009-08-05 20:06:46 | 世相

(トゥールスレンに展示されているポル・ポト時代の少年兵の写真 “flickr”より By kmacelwee
http://www.flickr.com/photos/kmacelwee/2386306431/)

【「先生に言われたことをまじめにやっただけ」】
中国の警察官昇進試験で不正防止のため地元小学生が動員され、大きな効果をあげたとか。

****子供試験監督 カンニング警官“摘発” 25人の受験資格取り消し 中国*****
中国甘粛省武威市で7月末に行われた警察官の昇進試験で、不正行為の対策として地元の小学生が試験監督に起用された。義理人情や利害に左右されない児童らが厳しく試験会場を見回った結果、カンニングする警察官が25人も見つかった。

甘粛省の新聞、蘭州晨報などによると、小学生の試験監督が起用されたのは7月26日に行われた武威市涼州区の警察官昇進試験で、265人が受験した。
試験監督はこれまでは警察関係者や地元中学の教師が担当。資料を公然と広げるなど不正行為が目立っていたが「同僚だから」「報復が怖いから」などとの理由で黙認するケースが多かったという。
今回、主催者側は近くの小学校に協力してもらい、5年の児童18人を試験監督として動員した。筆記試験では、25人がカンニングを指摘され、受験資格が取り消された。児童の一人は、地元メディアの取材に対し「先生に言われたことをまじめにやっただけ、ほかのことは何も考えていない」と答えている。児童らには謝礼として50元(約700円)相当の学習用具が贈られた。【8月3日 産経】
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記事は“笑える”トピックスとしての扱いでしょうが、子供が大人を監視するということに、妙にひっかかるものを感じました。
大人は既成の価値観に染まっており信用できない、子供の方が言われたことを忠実に実行してくれる・・・そうした発想が実際に社会全体で実験され、膨大な犠牲者を出したポル・ポト政権下のカンボジア(1975~79年)を連想したからです。

当時のカンボジアでは、徹底的に洗脳された子供が大人を監視し、ときに実の親を告発し、“革命の理念”を理解できない大人たちは“消耗品”として働けなくなったら殺されていく・・・そんな悲劇が日常的に繰り返されていました。
現在のカンボジアでは、ポル・ポト政権時代の大虐殺を裁く特別法廷の公判が行われていますが、実際に公判が進行しているのは自らの罪を認めているトゥールスレン政治犯収容所長だったカン・ケ・イウ被告(66)(通称ドッチ)のみです。

トゥールスレン収容所でも子供達が獄吏として働いており、言われなき罪に問われて拘束された大勢の大人達を見慈悲に、あるいは無邪気に拷問し、死に至らしめています。
通称「S-21」として恐れられた同収容所では、1975~1979年の間に約1万5000人が殺害されたとされています。

【「どうすることもできなかった」】
カン・ケ・イウ被告は200人の虐殺に関する自らの罪を認め、「S21で犯された罪、特にあそこでの拷問と人びとの処刑に対し、わたしには責任があると強調したい。あの時代を生き抜いた人びと、また残虐に殺害された人びとの遺族に、許されることなら謝罪させていただきたい。心から後悔している」と述べていますが、同時に「当時は、S21に収容されていた人びとの命よりも自分の家族の命のほうが大事だと思っていた。わたしが下していた命令が罪であることは分かっていたが、党の幹部たちに盾をつくことは決してできなかった」と、自分も犠牲者だったとも主張しています。【3月31日 AFPより】

最近では、裁判所の証人として出廷した元部下の男性(76)をカン・ケ・イウ被告が激しく説教したそうです。
****「罪の責任覚悟を」元収容所長が元部下説教 ポト派法廷*****
「ただ真実を話してほしい。罪に対する責任を受け入れる覚悟をしてくれ」
70年代のカンボジアで国民の虐殺に関与したポル・ポト政権元幹部らを裁く特別法廷が15日、カンボジアのプノンペンで開かれた。すでに拷問などの罪を認めて謝罪している被告のカン・ケク・イウ元ツールスレン収容所長(66)が、裁判所の証人として出廷した元部下の男性(76)を激しく説教する場面があった。

男性は元所長の指揮下で政治犯の尋問をしていたとして13日から3日間、証言台に立った。証言が自らの訴追につながる危険があるとして、収容所での拷問や虐殺の事実には「知らない。思い出せない」を繰り返した。
裁判長に意見を求められた元所長は、被告人席から突然立ち上がり、両手を激しく動かしながら「100万人以上が死んだ。私たちは犯罪の責任を受け入れなくてはならない」などと証人に向かって10分以上熱く語った。男性は「どうすることもできなかった。多くの人が死んでいった。これが私が話せるベストです」と涙を流して訴えた。 【7月16日 朝日】
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「どうすることもできなかった」・・・カン・ケ・イウ被告(ドッチ)にしても、その部下にしても、実際そうなのでしょう。そのことをどのように裁くかは別問題として。
収容所所長とは言っても所詮は末端役人です。
先ず追求されるべきは、そうした社会体制を指導したクメール・ルージュ幹部の責任であり、彼等が何を考えてあの無謀な“革命”を遂行したのか知りたいところです。

【「なぜ善人がこんな罪で非難されるのか分からない」】
ポル・ポト本人は既に死亡していますので、特別法廷に拘束されている他の幹部、ヌオン・チア(ポル・ポト元首相の右腕を務めた。「クメール・ルージュ」の「ブラザー・ナンバー2」の異名を持つ)、イエン・サリ(ポル・ポト政権下の副首相。ポル・ポト元首相の義理の兄弟で、「ブラザー・ナンバー3」と呼ばれた)、イエン・チリト(イエン・サリ元副首相の妻で元社会問題相を勤めた。ポル・ポト元首相夫人の妹で、「ファーストレディー」の異名をとる)、キュー・サムファン(ポル・ポト政権下の幹部会議長で、ポル・ポト政権では外交も担当)・・・彼等の公判の進行が望まれます。

「ファーストレディー」こと、イエン・チリト元社会問題相(76)の保釈請求に対する審理では、「わたしはあまりに弱っているため、身柄拘束に対する不服申し立ては弁護人が自分の代わりに行う」と述べる一方で、彼女が社会問題相を務めていた時期に起こったトゥールスレン収容所の大量虐殺について、被告が知っていたのではないかと検察側が言及した場面で逆上し、15分間にわたって「わたしを人殺しなどと非難すれば、おまえが地獄に落ちるだろう」などの発言を止めず、「なぜ善人がこんな罪で非難されるのか分からない。わたしは非常に苦しんできた。誤った非難を受け続け、これ以上我慢ならない」と激白したそうです。【2月24日 AFPより】

170万人ともいわれるポル・ポト政権による犠牲者を生んだ政権責任者の“善人”との主張を、自らの公判で是非聞いてみたいものです。


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