孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

東ティモール  独立是非を問う住民投票から10年

2009-08-24 21:47:11 | 国際情勢

(東ティモールのビーチ。“flickr”より By Matthew Winterburn
http://www.flickr.com/photos/bezoire/137355305/)

【「ツール・ド・ティモール」】
久しぶりに東ティモール関連のニュースを目にしました。
東ティモールで初の国際自転車レース「ツール・ド・ティモール」が始まったとか。

****初の国際自転車レース=治安改善をアピール-東ティモール*****
1999年に東ティモールでインドネシアからの独立の是非を問う住民投票が行われてから30日で10周年となるのを記念し、東ティモールで24日、初となる国際自転車レース「ツール・ド・ティモール」が始まった。
東ティモール政府はレース開催により、豊かな自然など観光資源のアピールのほか、治安状況の改善を印象付けたい考えで、開会式にはホルタ大統領が出席して参加者の健闘を祈った。
AFP通信によれば、レースの日程は5日間で10カ国の約280人が参加。参加者は岩だらけのでこぼこ道や川、高地の森林など全長約350キロの難コースを駆け抜ける。賞金総額は7万5000ドル(約710万円)。【8月24日 時事】
*****************************

【度重なる暴動・破壊・虐殺】
記事にもある99年に行われた独立の是非を問う住民投票では、インドネシアによる「特別自治権提案」が拒否され、東ティモール住民の独立への意志がしめされました。
このことがインドネシア併合維持派による破壊と虐殺を呼び、99年8月前後に千人以上が殺害されたとされています。また、多くの犠牲者と難民を生みました。
このインドネシア併合維持派の暴動にはインドネシア国軍が関与していると当時から言われていましたが、インドネシア政府はその責任を認めていませんでした。

しかし、昨年7月15日、インドネシア併合下の東ティモールで起きた殺人や暴行、拷問などの真相究明のためインドネシア・東ティモール両国政府が設置した「真実と友好委員会」は、インドネシア国軍と警察、政府の組織的な関与と責任を認める調査報告書を両政府に提出し、インドネシアのユドヨノ大統領は会見で「深い遺憾を表明する」と語り、政府として初めて加害責任を認めました。

こうした甚大な被害を伴いながらも、東ティモールは国連管理のもとで、02年に独立を実現します。
しかし、独立後も政情は安定せず、06年には西部出身の軍人による反乱、07年には独立運動の中核となってきた与党フレティリンが下野し、グスマン連立政権発足することになったのを不満に思うフレティリン支持者が暴徒化。
08年2月には、06年の国軍反乱の指導者が指揮する武装集団にホルタ大統領やグスマオ首相が襲撃され、一時ホルタ大統領はオーストラリアの病院に入院する事態となりました。

【ようやく安定か?】
独立以降の東ティモールは上述のように混乱・暴動続きでしたが、ここのところは東ティモールの政治関連のニュースを目にしていませんでした。
“便りのないのはよい便り ”という訳で、政情も比較的安定していたのでしょう。
冒頭記事でも“治安状況の改善を印象付けたい”との政府の考えが紹介されていますので。

ただ、経済的には困難な状態が続いており、昨年の食糧価格・燃料価格高騰の影響もあって、度重なる暴動の被害からの再建・復興は進んでいないとも報じられていました。
今回の国際自転車レースで“豊かな自然など観光資源”をアピールして、復興へつなげていきたいところのようです。
治安が改善したのであれば、一度旅行してみたい国です。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする