(6)_ベイツ南京大学教授は、東京裁判で軍民合わせて4万人が虐殺され、そのうち一般市民は1万2千人だと、東京裁判では証言している。そして先の「南京安全地帯の記録」では、人口は20万人と記録されている。20万人から4万人も殺されていたのであれば、人口は差し引き16万人に減っている筈なのである。しかるに、住民登録(平民登録)を行った結果、人口は25万人であったのである。20万人から減るどころか、5万人も増えていたのである。良民証の発行枚数はなんと25万枚(25万人分)だったのであり、ベイツの証言は真っ赤なウソ、虚偽証言であったのである。
だから、4万人とも20万人ともいわれた虐殺人員数は、捏造された数字だったのであり、中国共産党の宣伝する30万人もの大虐殺というものは、中国の「虚偽」「捏造」「大法螺」、いわゆる「大捏造プロパガンダ」なのである。それでも習近平は、恥ずかしげもなく、ふんぞり返っているのである。
東京裁判でもこの点が問題となったのであるが、裁判長が論点をそらしてしまったのであった。
「日中戦争真逆の真相」(茂木弘道著)のP123~124参照の事。
(7) このこと(虐殺なんぞはなかったということ)は埋葬記録からも、証明されるものである。
中国軍は自軍兵士の死体を遺棄したまま撤退したので、日本側がその処理を行っている。日本の特務機関が資金を出して、「南京自治委員会」(9/4,NO.13参照)に埋葬を行わせている。1体の埋葬費として30銭を支払ったのである。
2月初めに始まり、3月に終了、総数は4万1千330体であり、これもかなり水増しした数字で、特務機関もそのことを把握していたが黙認して金を支払っていたという。
何はともあれ、
城内の死体 1千793体(うち女性8体、子供26体)→一般市民の死体
城外の死体3万9千537体→大半は兵士の死体
合計 4万 1千330体
ベイツが東京裁判で証言した「一般市民1万2千人」が虐殺されたという数字と、全く合致していない。一般市民は1千793体であった。
ベイツが東京裁判で証言した「一般市民1万2千人」が虐殺された数字は、全くの捏造されたものであることが証明されるものである。実際は1千793体であった。しかもこれは虐殺されたものではない。砲撃によるものである。しかも虐殺でもないものを虐殺だと、ベイツは10倍もさばを読んで、東京裁判では証言していた訳だ。
南京場内の死体は、虐殺や戦闘によるものではない。南京攻略のため日本軍は南京城内に対して、12/9から12/12まで砲撃を実施しているので、その時のものであった。
それにしても、これでは偽証そのものではないか。ベイツを偽証罪で拘束すべきではなかったか。
このことは、南京城内で虐殺なんぞは一切起こっていなかった、と言うことを証明するものであった。
「ともかく南京市内=城内に日本軍がなだれ込み中国軍と激烈な戦闘を行い、さらに日本軍は市民を見さかいなく殺した、という「いわゆる南京虐殺イメージ」というものはとんでもない見当はずれの「架空イメージ」であるということをしっかり認識すべきであると思います。根本的にありえない話です。」
と、「日中戦争真逆の真相」(茂木弘道著)のP127~P128には書かれているのである。
さて「戦争とは何か:中国における日本の暴虐」(What War Means : Japanese Terror in China)を編集したハロルド・ジョン・ティンバーリという人物は、オーストラリア出身で英国のマンチェスター・ガーディアン紙の特派員であった。
彼は南京ではなく上海に居住していたので、南京戦は見ていなかった。そのため例の安全区の国際委員会がまとめた「南京安全地帯の記録」やその他の報告・情報などをまとめて、「戦争とは何か」を編集したものである。
彼は1937年盧溝橋事件の後、国民党政府の工作員として宣伝工作を担当していたが、1938年7月にロンドンのヴィクター・ゴランツ書店から「戦争とは何か:中国における日本の暴虐」(What War Means : Japanese Terror in China)を刊行している。この英語版の刊行と同時に、「中国語訳」も出版されている。「外人目睹中之日軍暴行」(漢口民国出版社、1937年7月)と、 Wikipediaには書かれている通り、国民党政府が周到に用意して作らせた書籍であった。
彼ティンバーリは、1939年(4月?)には国民党中央宣伝部の顧問に(工作員から)昇格している。
(続く)