世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

映画「靖国」煮物申す(9)

2008-09-01 23:10:30 | Weblog

7、映画「靖国」が隠していること(誰も指摘しない重大な事実誤認がある)

これは文芸春秋・六月号に載った評論家坪内祐三氏の論文の題名である。さすが坪内氏である。

ここでは「…間違えとかデタラメといったレベルを超えたかなりの悪質な捏造、イメージ操作である。」と言っている。前項で述べた以上に鋭くこの映画を批評している。この項ではその内容を紹介しよう。体系的にこの映画の悪質振りが理解できるであろう。

(1) 靖国神社が「靖国刀」を今でも作っていると言う誤解を、敢えて与える設定である。

刈谷直治さんと言う90歳の現役刀匠の仕事場が頻繁に映し出されるが、そこで作られる日本刀が靖国刀として奉納されていると言う設定で、靖国神社内で製作されているという錯覚を強く植えつけようとしている。刈谷さんの仕事場は遠く離れた四国の高知県にある。このことには一言も触れていない。

(2) そして、246万6千余柱の軍人の魂が移された一振りの靖国刀が、靖国神社のご神体である、と強調している。

そして日本刀のシルエットが映り、その上にYASUKUNIと英文の文字が載る。明らかに海外への宣伝も考慮した設定であり、その前に意図的に旧日本軍の「向井敏明少尉」と「野田毅少尉」の並んだ旧毎日新聞の百人切りの物語の写真を見せており、靖国神社、靖国刀とご神体、百人切りと軍国主義との関連付けを巧妙に行っている。

靖国神社に祭られているご神体(御霊体)は、もちろん、刀ではなく剣である。「靖国神社誌」によれば、「御霊体は神剣及神鏡に増しまして、神剣は明治二年六月栗原筑前の鍛造し奉る所」とある。

あの田原総一朗までもが、靖国のご神体が刀と言っていると言う。こいつも馬鹿でないかい?

(3) この映画では、8月15日の靖国神社しか映し出していない。なぜか?!

8月15日は日本にとっても、靖国神社にとってもまことに特殊な日である。しかし靖国神社や日本にとっては、8月15日だけがすべてではない。8月15日はほんの一部である。8月15日には、軍服姿でお参りする人たちがたくさん集まる。もちろんそれ以外の人達のほうが多いのだが、この李・インはそれだけを象徴的に、しかも沢山はめ込んでいる。あたかも日本にはいまだに軍服姿の軍国主義者まがいの人達がうようよしているような錯覚を引き起こそうとしている。こいつも日本に悪意を持っている一種のテロリストではないかい!

坪内祐三氏は、次のように述べている。

そして靖国神社はそのたびに表情を変える。日本に19年暮らして、日本人以上に深く靖国のことを考えているという李監督はなぜ靖国神社のそのような四季の季節風景を一片もフィルムに収めなかったのだろうか

それは明らかである。8月15日の靖国の表情を、ことさらにこれでもか、これでもかと映し出すことによって、日本にはいまだに軍国主義が蔓延している、と言うことを世界に示そうとしているからである。いわゆるサブリミナル効果を狙った映像があちこちにはめ込まれていた、と小生は認識した。

我々の認識下には、明確に「認識」している領域と、明確には認識していないが無意識に「認識」している潜在意識の領域が存在していると言う。人間の行動は、往々にしてこの潜在意識に支配されていることが多いとも言われている。

どうもこれを狙って、全世界に日本は軍国主義がいまだに蔓延していると言うメッセージを、発信していると思われる。李・インは一種のテロリストではないか、日本政府は、彼を野放しして良いと思っているのか。映画やTVでは、このサブリミナル効果を狙った映像は禁止されている。
(続く)
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