世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

バラク・フセイン・オバマ大統領(3)

2009-02-02 01:06:35 | Weblog

【2】オバマ氏の経歴
     
オバマ氏の未知の領域は、まだある。それは、彼と過激派との関係だと言う。

これを説明する前に今一度彼の生い立ちや経歴をまとめておこう。(以下はWikipediaによる。)

オバマ氏の両親は、ハワイ大学で出会い周囲の反対を押し切って、1961年2月2日に結婚している。

バラク・フセイン・オバマSr.は、ケニア・ルオ族の出身のイスラム教徒(ムスリム)であり、ハワイ大学では経済学を学んでいる。1965年にケニアに帰国し、政府のエコノミストになっている。

アン・ダンハム(ダナム)はカンザス州出身の白人で、ハワイ大学では人類学を学んでいる。そして1961年8月4日オバマJr.を出産している。しかし結婚生活は長くは続かず、1964年に2人は離婚する。

イスラム教では、「ムスリムの子はムスリムになる」とされているが、オバマ自身は、キリスト教徒(プロテスタント)であると表明している。

アンは、1965年には人類学者になっている。そして同年アンは、ハワイ大学でインドネシア人地質学者ロロ・ソエトロ氏と知り合い、再婚する。

それに伴い1967年にインドネシアのジャカルタに移住する。
1970年に異父妹のマヤ・カッサンドラ・ソエトロが誕生する。
1971年にアンはソエトロと別居しホノルルに帰国する。オバマ氏は10歳まで地元の学校に通った。この時父親のバラク・オバマSr.はハワイを訪問し、オバマJr.とあっている。
1977年~1994年まで、アンは人類学者の仕事でインドネシアに滞在する。この間、オバマ氏はアンの両親、スタンレー・ダンハム氏とマデリンさんに育てられる。

1980年にアンとソエトロ氏は離婚する。
1995年アンは卵巣がんで亡くなる。

インドネシアからハワイに戻ったオバマ少年は、1971年ホノルルの名門私立小中高一貫校の「ブナホウ・スクール」に5年生として編入する。1979年に同校を卒業し、カルフォルニア州ロスアンゼルスの私立オクシデンタル単科大学に入学する。

そして2年後、1981年にニューヨーク州のコロンビア大学に編入し、政治学、特に国際関係論を専攻する。
1983年同校を卒業し、ニューヨークで出版社やNPOに1年間勤務する。その後イリノイ州シカゴに転居する。

そして1985年に、レーガン大統領の保守主義に反発して、「草の根レベルでの黒人の変革」を求めるリベラル色の強い団体に加わる。「コミュニティー・オーガナイザー」と言う職業で、貧しい黒人層の生活扶助や住宅改善、政治権利の拡大、そして政治組織作りなどの活動に専念する。(この4行はWiLLによる。)

そして1988年年央にケニアと欧州を旅行し、ケニアでは実父の親類と対面する。父は1982年に自動車事故で死亡している。

1988年秋、ハーバード大学のロースクール入学する。1990年2月には18人の対抗馬を破り、アフリカ系として史上初の「ハーバード・ロー・レビュー」(USAで最もよく引用される法律学の評論誌と言う、筆者注)の編集長に選出される。
(続く)
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