世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

尖閣諸島問題その2(34)

2012-08-31 09:22:28 | Weblog

中国は「尖閣諸島」は中国領土だから、日本には主権はないとしている。だから日米安保第5条が「日本国の施政の下にある領域」としていることから、日本に主権が無い地域も入るのか、と言った屁理屈を述べているのである。尖閣諸島は古くから「日本固有の領土」である。だから主権も施政権もあるのである。

2012.8.21のNO.26のブログで紹介した記事、『【尖閣領海侵犯】中国、漁船の尖閣海域進出解禁を示唆 2012.7.11 21:37』には、「中国外務省の劉為民報道官は同日の定例記者会見で、「釣魚島は古くから中国固有の領土で、日本の抗議を受け入れられない」と従来の主張を繰り返した
と書かれており、中国政府は相変わらず尖閣諸島は古くからの中国領土だと嘘偽りを述べている。中国では「嘘でも百回述べれば真実になる」式の偽善がまかり通っている。コピー商品を始め最近ではビジネスモデルまでコピーしている。だから政府が、自分に都合がよいように偽造することなんぞは、朝飯前なのであろう。この「古くから中国固有の領土」というのは、全くの嘘っぱちなのである。

次のニュースを見れば、明らかである。今度「古くから中国固有の領土」などと抜かしたら、「どれくらい古くからなのか」と問い詰める必要がある。民主党サンよ、出来るかな。



明の上奏文に「尖閣は琉球」と明記 中国主張の根拠崩れる
2012.7.17 08:38  

 尖閣諸島(沖縄県石垣市)のひとつ、大正島について、中国・明から1561年に琉球王朝(沖縄)へ派遣された使節、郭汝霖(かく・じょりん)が皇帝に提出した上奏文に「琉球」と明記されていたことが、石井望・長崎純心大准教授(漢文学)の調査で分かった。中国は尖閣諸島を「明代から中国の領土で台湾の付属島嶼(とうしょ)だった」と主張しているが、根拠が大きく崩れることになる。


中国・明代の『石泉山房文集』。赤線を引いた一節に赤嶼(大正島)が「琉球の境」と記されている=「四庫全書存目叢書」(荘厳文化公司)から



 尖閣の帰属に関しては1895(明治28)年に日本が正式に領有した後の1920(大正9)年、魚釣島に漂着した中国漁民を助けてもらったとして中華民国駐長崎領事が石垣の人々に贈った「感謝状」「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記されていたことが明らかになっている。明代にも琉球側と記していた中国史料の存在が明らかになるのは初めて。

 上奏文が収められていたのは、郭が書いた文書を集めた『石泉山房文集』。このうち、帰国後に琉球への航海中の模様を上奏した文のなかで「行きて閏(うるう)五月初三日に至り、琉球の境に渉(わた)る。界地は赤嶼(せきしょ)(大正島)と名づけらる」と記していた。現在の中国は大正島を「赤尾嶼(せきびしょ)」と呼んでいる。

 石井准教授によると「渉る」は入る、「界地」は境界の意味で、「分析すると、赤嶼そのものが琉球人の命名した境界で、明の皇帝の使節団がそれを正式に認めていたことになる」と指摘している。

 石井准教授の調査ではこのほか、1683年に派遣された清の琉球使節、汪楫(おうしゅう)が道中を詠んだ漢詩で「東沙山(とうささん)を過ぐればこれ●山(びんざん)の尽くるところなり」《現在の台湾・馬祖島(ばそとう)を過ぎれば福建省が尽きると中国は大陸から約15キロしか離れていない島までとの認識を示していたことも分かった。

 その後に勅命編纂(へんさん)された清の地理書『大清一統志(だいしんいっとうし)』台湾の北東端を「鶏籠城(けいろうじょう)(現在の基隆(きりゅう)市)」と定めていたことが、すでに下條正男・拓殖大教授の調べで明らかになっている。

 中国は尖閣周辺の石油資源などが明らかになった1970年ごろから領有権を主張し始め、71年12月の外務省声明で「釣魚島などの島嶼(尖閣諸島)は昔から中国の領土。早くも明代にこれらの島嶼はすでに中国の海上防衛区域の中に含まれており、それは琉球(沖縄)に属するものではなく台湾の付属島嶼だった」と根拠づけていた。

 石井准教授は「中国が尖閣を領有していたとする史料がどこにもないことは判明していたが、さらに少なくとも大正島を琉球だと認識した史料もあったことが分かり、中国の主張歴史的根拠がないことがいっそう明白になった」と指摘している。

●=門の中に虫
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120717/plc12071708420009-n1.htm



尖閣諸島の大正島がどの辺りにあるかというと、大正島は魚釣島からもっとも離れたところにある島である。次の地図を参照願う。「大正島を通過すると琉球に入ったことになる」と記されているので、
中国の明の時代には航路の都合で大正島の辺りを通過して日本に渡ったのであろう。このことは、尖閣諸島は琉球であり日本領であることを表明しているのである。だから「昔から中国の領土」なんかではなく、もちろん「台湾の付属島嶼」でもなかったのである。これらは全くの捏造なのである。尖閣諸島はれっきとした日本領なのである。

次に尖閣諸島の位置関係を示す。







「その名は尖閣諸島」http://yaeyamaocean.com/katteni/newpage-senkaku.htm より。ここには魚釣島にあった明治時代の鰹節工場などの写真を掲載されている。是非訪れて欲しい。

参考までに、尖閣諸島は(1)魚釣島(2)大正島(3)久場島(4)北小島(5)南小島(6)沖の北岩(7)沖の南岩(8)飛瀬(とびせ)、の八つの島嶼からなっている。(8)飛瀬は(1)魚釣島と(4)(5)北・南小島の間にある無人島(標高2m)である。

(続く)
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