世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(38)

2010-12-09 18:45:28 | Weblog

そのため第一次大戦では日本は即座にドイツに宣戦を布告して、陸軍が青島(チンタオ)と膠州湾のドイツ租借地に攻め込んでいる。海軍は、ドイツ植民地の南洋諸島を攻略し占領している。

ちなみに第一次大戦は、独墺(オーストリアハンガリー)連合と仏露英の植民地争奪闘争が原因で起こったものである。日本は傍若無人なドイツの進出を抑えるために、また日英同盟を結んでいたのでドイツに宣戦布告したものである。

さて4月23日、三国干渉を受けた日本は驚愕した。そして翌日4月24日、広島の大本営で御前会議を開く。伊藤博文首相は採るべき案として3案を示した。

1.三国の勧告を断固拒絶する。
2.列国会議を開催して遼東半島問題を協議する。
3.勧告を容れ清国に恩恵的に還付する。

討議を尽くした結果は次の通りであった。

1.三国特にロシアとの戦争は戦力上到底勝ち目がなかった。
2.列国会議では、必ずや新たな干渉を受けることになる。
3.従って、三国の勧告を受け入れて、遼東半島を還付せざるを得ない。

そして5月5日に三国に対し遼東半島の放棄を伝え、1985年(M28)5月10日、遼東半島還付の詔勅が下され、日本全国民が万石(ばんこく、極めて量が多いこと)の涙を呑んで三国の武力干渉に屈せざるを得なかったのであった。

これは、
『近代日本戦争史概略』の「三国干渉」
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-nissin3.html
を参照している。

やがて、ロシア打つべしとの声が期せずして沸き起こり、「臥薪嘗胆」は全国民の合言葉となって富国強兵に努めることとなった。
このときから日露戦争までの10年間は近代日本史上最も民族的意識の発揚した時期となり、「臥薪嘗胆」は日露戦争を辛うじて勝利を収める原動力となった。・・・
と結んでいる。

結局遼東半島は、1895年11月8日、清との「遼東半島還付条約」を結び還付され、その代償の還付報奨金として三千万両を得ることとなった。遼東半島は下関条約で日本に譲渡されたていたために、再度還付手続きが必要なのである。

(続く)
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