世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(21)

2010-11-12 11:47:19 | Weblog
(1)清国駐在の領事・武官から清軍の増派を知らされた日本軍大本営は、1894年7月19日に同日編成された連合艦隊に、1.朝鮮半島西岸の制海権と仮根拠地の確保、2.兵員増派を発見次第輸送船団と護衛艦隊の破砕を指示した。

(2)1894年7月25日早朝、日本海軍第一遊撃隊巡洋艦吉野(4216t,15cm4門)、秋津島(3150t,15*4)浪速(3709t,26*2)は、朝鮮北西岸豊島沖で清国巡洋艦済遠(2440t,21*1)、広乙(1000t,12*3)の2隻と遭遇する。

(3)3000mに接近した時、済遠が21cm砲を発砲し戦闘が始まる。その後霧が濃くなり清国艦隊は逃走を始める。

(4)広乙は追い詰められ擱座し乗員を下船させた後爆破。済遠は国旗を降ろし降伏の意を示したかと思うと逃走を図る。

(5)この追跡戦の最中に、吉野と浪速は、清国軍艦操江と英国商船旗の高陞号(こうしょうごう)に遭遇する。

(6)高陞号は清国軍にチャーターされたイギリスのジョージ・マディソン商会の商船であったため、浪速の艦長「東郷平八郎」大佐は、高陞号に信号を送り停船させて臨検を実施する。

(7)短艇で高陞号に乗り込んだ士官は、清国兵1,100名、火砲14門、弾薬多数が満載されていることを確認する。

(8)東郷大佐は高陞号を拿捕すべく”本艦に続航せよ”と信号を送るも、従わず”清国兵が騒いで続航できず”と信号を送ってくる。

(9)東郷艦長は清国軍が拿捕に応じないと判断し、”直ちに船を見捨てよ”と信号を送る。

(10)再度高陞号に士官を送り、清国兵がイギリス人船長らを脅迫していることを確認する。その後も清国兵たちはイギリス船長らを脅迫し続けて、日本側の指示に従わず、短艇派遣信号を繰り返す。

(11)そのため東郷は高陞号の撃沈を決意し、”短艇送り難し、直ちに船を見捨てよ”と最後の信号を送る。そして「危険」を意味する信号旗”B旗”を掲揚する。

(12)そして、浪速は砲撃と魚雷攻撃で高陞号を撃沈する。清国兵1,000名以上が死亡し、イギリス人船長以下3名を救助する。

(注)Wikipediaの「日清戦争」では清国兵を50名救助していると記されているが、他の史料にはその記述はないので、これは間違いであろう。『7月25日、今日はなんの日?高陞号事件起きる。日清戦争』http://news.livedoor.com/article/detail/3243936/にもその旨記載されている。

(13)高陞号を撃沈されたイギリスの対日世論は沸騰し、東郷艦長の処罰と日本政府への損害賠償を要求したきた。

(14)しかし当時イギリスを代表する国際法学者のジョン・ウェストレーキとトーマス・アースキン・ホーランドの両氏がタイムス紙へ「東郷艦長の取った決断と行動は戦時国際法のいかなる条文に照らしても全く正当である。」と投稿すると、批難は一気に沈静化する。

(15)ロンドンタイムス紙の論文を次に示す。これは『「明治」という国家』からの引用である。

http://meiji.sakanouenokumo.jp/blog/archives/2007/07/post_524.html
(続く)
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