世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

日韓併合100年(17)

2010-11-08 10:21:21 | Weblog
さてこの女・子供を含む近親者への残酷な処刑は、中国・朝鮮への憎悪を福沢諭吉らに呼び起こさせて、福沢諭吉の「脱亜入欧」論を発表させることになり、日本近代化の方向性が定まるきっかけともなっている。そして日本軍惨敗の結果が反省され、後の日清戦争には大いに役立ったと言われている。

ちなみに壬午軍乱で虐殺された日本人の死体は尋常ならざる状態であったと言う。死体は切り刻まれ、頭骨までもが打ち砕かれており、個人の特定ができなかったと言う。日本人と特定したのは、付着する衣類の一部が日本特有のもので、全員の遺体の損壊状況が尋常ならざる状況ですべて共通していたからであった、と報告書にも記載されている。

以下は『きままに歴史資料館』の「明治開花期の日本と朝鮮(23)」よりの引用である。

http://f48.aaa.livedoor.jp/~adsawada/siryou/060/resi034.html

「・・・・・・・・
検死は遺骸の損壊状態と腐敗の為に極めて困難を要した。
 その状況というものは、
「砕けたる骨に付着せる衣類のままを白布を以って巻きつけたり。頭骨皆砕けて髪は胸の辺りに散乱す。」「全身分明せず」「以下全て同様である」「頭骨等砕けたるを以って尋常の死体ならずと認定する。」
という有様であった。
 結局は生死不明者7人の内、1人はついに相当する遺骸は見出しえなかった。
 個人が特定できたのは1人であり所持品からである。
 日本人と特定したのは付着する衣類の一部が日本特有のものであったからである。
 特定できる衣類の一部などが無い者も日本人と判断したのは、全員の遺体損壊の状況がすべて共通していたからである。
 即ち「死体六個の内、其の二は遂に証拠ものと為すべきものなしと雖も、頭部及び其の他の骨惨酷に砕けたるを以って見れば決して他の死骨と疑いを起こすに及ばず。」とある通りである。
 真に凄惨極まる状況の報告であるが、なぜここまで惨酷な状態にせねばならないのだろうかと筆者は思わざるを得ない。」


そして朝鮮の安定化のためにロシアが朝鮮中立化案などを提案し、日清朝の関係にロシアが首を突っ込んでくる。1885年には、朝鮮の外務次官を勤めていたロシア人メレンドルフが不凍港の租借を画策しその代わりロシアが単独で朝鮮を保護すると言う密約を提案したが、清の李鴻章に反対されメレンドルフは失脚する。翌年の1886年には朝鮮政府からロシアに密書が送られ、紛争時に軍事的保護を要請するものであった。ロシアを引き込み清の圧迫に対抗する意図があった。しかし密告により袁世凱の知るところとなり、国際問題化した。これを第1次、第2次露朝密約事件と言う。1885年4月の天津条約では、日清以外の国から軍事顧問を招聘することとうたわれているので、ロシアが首を突っ込んできたのか。1885年4月15日には、イギリス海軍軍艦による巨文島占領事件が発生している。これもロシアの永興湾一体の占拠を阻止するため、南下を恐れたイギリスが起こしたものであった。永興湾は元山(げんざん)の麓、朝鮮半島のウサギの耳の付け根の日本海に面したところに位置している戦略上の要衝となるところであるが、巨文島占領はロシアの強硬な反対のために、2年ともたなかった。1840年前後には、ロシアのアフガニスタンへの進出を阻止するためイギリスは、アフガニスタンを保護下においていた。そのため朝鮮へのロシアの進出をイギリスは極端に恐れていたのであった。ヨーロッパでもロシアはフランスと同盟をむすぶ事となる(1891年)。このためイギリスは東アジアでもロシアを押さえるために、日本に接近することとなる(1894年(M27年)日英通商航海条約)。
(続く)
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