世の中、まちがってる、根拠なき反日キャンペーン。

相も変わらず根拠なき反日キャンペーンで、国をまとめようとする輩が存在する。

ヨーロッパと日本(21)

2008-11-09 16:37:16 | Weblog

さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。

http://datas.w-jp.net/theImperialCovenantOfFiveArticles.html(Eternity)に、納得の行く解説がある。それを紹介しよう。

「広く会議を開催して、政治上の全ての事柄は公の議論を通じて決めようではないか」と言う意味と小生は解釈するが、この思想は、古くは聖徳太子の「十七条の憲法」に既に盛り込まれていると言う。

「十七条の憲法」の第十七条がそれである。「現代語訳」が記載されているのでそれを引用する。

十七にいう。物事は1人で判断してはいけない。必ずみんなで論議して判断しなさい。些細なことは、必ずしもみんなで議論しなくても良い。ただ重大な事柄を論議するときは、判断を誤ることもあるかもしれない。その時みんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。] と言うものである。

ここで言う「道理にかなう結論」と言うモノは、現代の多数決の民主主義とは大いにその趣をことにしている。今の民主主義は、個人の意見をぶつけ合うものであり、個人の意見を押し通すこととなる。そのために多少の妥協や修正も行われるかもしれないが、結局は多数決となり強いものの意見が往々にして通ることとなる。従ってその場合には必ずしも「道理にかなう」モノにはならないこともあろう。

この「万機公論に決すべし」とは、「もっとも理を得た結論を出すための、各人が知恵を出し合って最良の道を共に探る公議(社会全体の議論)公論(公平な議論)」なのである。要するに、議論は個人の利害から離れて、社会全体に対して理にかなったやり方を求めよ、と言っているのである。そういう意味では、利己心をはなれて”公おおやけ”にとって最善と思われる策を論じ合うと言う、現代民主主義を更に発展させたと言うか超越したところに基準を置いているのである。

なお、聖徳太子の「十七条の憲法」の第十条には、この民主主義の考えも述べられていると言う。
(続く)
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ヨーロッパと日本(20)

2008-11-09 01:29:05 | Weblog

ちなみに、奉答書とは、群臣が天皇の意思に従うことを表明した文書であり、Wikipediaによると、公卿と諸侯は総数で544名、その他が288名が署名している。なお当日署名できなかった者は後日署名している。署名者は公卿・諸侯のほか、天皇に直属する朝臣(あそん、朝廷の臣下のこと)となった旧幕府旗本のうち千石以上の領地を持つ者も加わっている。

奉答書」を以下に記す。

勅意宏遠(広くて遠大)、誠に以って感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出ずべからず。臣等謹んで叡旨(天子の思し召し・お考え)を奉戴(謹んでいただく)し死を誓い、 黽(勤)便従事、冀(願わ)くは以って宸襟を安んじ奉らん。
慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯名印 』

天皇の意志は遠大であり、誠に感銘に耐えない。今日の急務と永世の基礎は、これに他ならない。われ等臣下は謹んで天皇の意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を安心させよう。」と言う意味である。

木戸孝允や藩士出身の新政府実力者達の署名はない、とWikipediaには記載されているが、彼等がお膳立てをして、明治天皇とご相談をして五箇条の御誓文を起草し天皇親政を進めたのであるから、その過程でそのことは十分お誓い申し上げているとの思いであったことであろう。



さて五箇条のご誓文の第一条の「広く会議を興し万機公論に決すべし」の真意とは、どう解釈すればよいのであろうか。一般的には、単純に現在の民主主義を連想するのが普通であるが、もう少し深い意味があるようである。
(続く)
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