中国では「易姓革命」と言う文化があるため、中国の歴史の継続性はないに等しい。易姓革命とは、「天命を革(あらた)めて、姓が易(か)わる」と言うことで、中国の歴史は前政権(前王朝)の否定・打ち壊し、そして現政権(現王朝)の成立となるのである。その時に大虐殺が行われた。前政権に関与した人間はもちろんの事、その都の住民達も皆殺しにされている。これを現す言葉が「屠城」として中国語に存在する。いわゆる王朝が変わるたびに屠城と言う人民の虐殺が行われている。もっともひどい屠城を受けた都市のひとつが南京なのである。万人塚として骸骨が発掘されるのは、このときの虐殺の跡なのであり、日本軍の虐殺などは存在していないのである。現代中国では、毛沢東による2,000万人とも3,000万人とも言われる大虐殺がある。日本にはこのような文化はない。
このように中国では政権の継続性が殆どなかったため、国民国家としてのまとまりが欠け、近代化が遅れた。そこを西洋諸国に突け込まれた。そのためそこからの影響を日本は、極端に恐れたのである。そこで日本は、支那のすばやい近代化を願って、留学生の受け入れや制度の移植などのあらゆる援助を惜しまなかったのである。
さて話を元へ戻そう。
西暦478年の倭王武(雄略天皇)の南宋への上表文には次のように記されている。
「昔より、祖禰(そでい)自ら甲冑をはき、山川を跋渉し寧処(ねいしょ)に暇あらず。東は毛人を征すること55カ国、西は衆夷を服すること66カ国、渡って海北を平らげること95カ国。王道は融泰であり、土を開き、機をはるかにする。」
このように日本を統一してゆき、もちろんその間紆余曲折はあったものの、現在の御皇室へとつながっていったのである。
もちろんこの「新日本建設に関する詔書」で、天皇が神であることを否定したが、天皇の祖先が日本神話の神であることを否定していない。歴代天皇の神格も否定していない。神話の神や歴代天皇の崇拝のために天皇が行う神聖な儀式を廃止することもなかった。日本の民主主義は日本に元々あった五箇条の御誓文に基づいていることを示すのが、この詔書の目的であった、とこのWikipediaは続けている。神話と呼ばれる時代から営々として築かれてきた日本のある種の歴史であり、日本人の心の拠り所であるわけであるから、それはそれでよいと考える。その過程で尊敬すべき対象、崇め奉る対象になってきた訳であるから、昔はそのように神格を与えられてきたのであろうと理解できるのである。現代では誰も天皇が神であるなどとは思っていない。神代の昔からの歴史の中でそのような立場や位置に立って来た、または置かれてきたと思っているだけである。しかしそれはそれで、そのことが大切なのである。
(続く)