この詔書は、1946年(昭和21年)1月1日に官報として発布された。此の官報の原本は墨書であり、天皇陛下の力強い御名と御璽がある、実際の官報そのものは印刷物であったが。上記に引用したこの詔書の赤字に修飾した部分が、自らの神格性を否定した部分であり、これは昭和21年元旦の各新聞の一面で「天皇の人間宣言」として、紹介されたのである。
「人間宣言」をした昭和天皇は、その後、全国を「巡幸」し、国民の歓迎を受けた。人々は「咽び泣いた。万歳を叫んだ」(戦後最初の侍従長の大金益次郎の著作『巡幸余芳』)
大日本帝国憲法(明治憲法)の第3条には、「天皇は神聖にして侵すへからす」と規定されていたが、此の宣言では、天皇と国民とのつながりは「神話や伝説」によるものではなく、従って天皇は現御神(あきつみかみ、人の姿をした神)などでもなく、いわんや、日本国民は他の民族より優れていて、世界を支配する運命を持っている、などと言う考え方に基づくものでもない、と言っているのである。
大日本帝国憲法 第一章 天皇
第一条 大日本帝国は万世一系の天皇之を統治
す
第二条 皇位は皇室典範の定むる所に依り皇男
子孫之を継承す
第三条 天皇は神聖にして侵すへからかす
第四章 天皇は国の元首にして統治権を総攬
(一手に握って統べ治める)し此の憲法
の条規により之を行う
・・・・・・・となっている。
これに対して現行憲法では、
日本国憲法(公布 昭21・11・3 施行 昭22・5・3) 第一章 天皇
第一条[天皇の地位、国民主権] 天皇は、日本
国の象徴であり日本国民統合の象徴で
あって、この地位は、主権の存する日本
国民の総意に基づく。
第二条[皇位の継承] 皇位は、世襲のもので
あって、国会の議決した皇室典範の定める
ところにより、これを継承する。
第3条[天皇の国事行為と内閣の責任] 天皇の
国事に関する全ての行為には、内閣の
助言と承認を必要とし、内閣が、其の責任
を負う。
第4条[天皇の権能の限界、天皇の国事行為の
委任]
天皇は、この憲法の定める国事に関する
行為のみを行い、国政に関する権能を有し
ない。
②略。
以上見てきたように、明治憲法では、天皇は元首として日本を統治し、その統治は明治憲法により行う、となっていた。
それが昭和憲法では、主権は日本国民が有しており、天皇は日本国及び日本国民統合の象徴となっている。
何はともあれ、明治維新では、天下の政権は幕府の独裁から朝廷に奉還され、貴族院と衆議院の両院を設けて帝国議会を成立させ、万機を公論で決める仕組みの上で、天皇がこれを統治した。人材の登用もなり、幕府政治から近代化へと一大模様替えを図っていった。幕藩体制から政権が朝廷に奉還され其の運営は維新政府へと返還された。
その中心には天皇制があった。天皇制があったからこそ明治維新が成就できたのである。古の神代の時代から連綿と継承されている天皇制があったればこそ、日本国全体が一致団結できたのである。天皇を頂点として、公卿、諸侯、一般民衆が日本国民として、まとまることができたのである。このことなくしては封建体制から明治近代化への脱皮は難しかったことであろう。
(続く)