AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

4546:ジャバウォック

2018年08月24日 | ノンジャンル
 ナポリタンができた。湯気を立てているそれはカウンターに置かれた。そしてその脇には珈琲が添えられた。

 「お待ちどうさま・・・」女主人はやや間延びしたイントネーションでそう言った。私はそのナポリタンをじっと眺めた。

 特にいつもと変わったところはなかった。「この喫茶店の中では、何十年もの間、これっといって変わった出来事は一切起きなかったのではないか・・・」という考えがふと浮かんだ。

 もちろん実際にはその間には、ご主人が亡くなり、女主人が一人でこの店を切り盛りしなければならなくなるなどの大きな変化があったはずであるが・・・

 フォークを右手で持ち、ナポリタンを一口頬ばった。そういえば、先日、下の娘と観た映画「ペンギン・ハイウェイ」にも、主人公の少年と物語の鍵を握る「おねえさん」が、二人でチェスをしたり、いろんなことを話したりする舞台として、喫茶店が登場していた。

 その喫茶店は、ここよりもお洒落で明るく、新興住宅地にある。映画の要所要所で登場し、最後のシーンにも出てくる。

 全くMimizukuとは雰囲気が違うが、物語の謎が緩やかにほどけていく時に、その喫茶店は重要な舞台装置となっていた。

 Mimizukuには謎らしいものは一切ないが、不思議なものが存在する。

 そのカウンターには、向かって左端にソニー製のラジカセが置かれている。そのラジカセは1970年代に製造されたもので、今でも音を出すことができる。

 その脇には亡くなったご主人が収集していたミュージックテープが入った箱が置かれている。私は時折その箱の中を眺め、目に留まったものがあると、取り出して聴いてみたりする。

 カウンターの向かって右端にはオレンジ色をした「パタパタ時計」がぽつんと佇んでいる。「COPAL」というメーカー名が印刷されているその時計が示す時刻は、実際の時刻とは合っていたためしがない。

 そのパタパタ時計は時折鳴く。「ジ・ジ・ジ・・・」と小さな透明の羽をもった蝉が鳴くような声を出す時があるのである。

 このカウンター席に座って、それらの備品に視線をやってから、目の前にあるナポリタンと珈琲をじっと眺めていると、今が何時の時代なのか、私が何歳なのか、ここがどこなのか、そういったことがどうでもいいような、そんな気になる。もちろん、それはこの空間で過ごすわずかばかりの時間内に限られたことである。

 ナポリタンを素早く平らげ、珈琲を飲み干して、会計を済ませた。ゆっくりと席を立って、木製の古びた扉を開けると、強い風が体に吹き付けてきた。

 今日は台風が西日本を通過しているようであった。東京もその余波で強い風が時折吹いていた。そしてその風に運ばれてきた雨粒が肌に当たった。

 気圧は低くなっているのであろうか、少し頭がぼんやりとする。空気は生暖かかった。なんだか映画で観たジャバウォックの吐く息のような雰囲気があった。 
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