AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

3455:バイクラック

2016年02月29日 | ノンジャンル
 6両編成となったトレインは、多摩湖サイクリングロードを走り抜け、「武蔵大和駅西」交差点を左に折れて、旧青梅街道に入っていった。

 旧青梅街道は片側一車線の道路である。それほど広い道ではない。日曜日の朝のうちは交通量が少ないので走りやすかった。

 旧青梅街道を東大和市から武蔵村山市へ向かって走っていった。街道沿いには古い商店が点在している。どれも流行っている風ではなく、昔ながらの鄙びた風情を醸し出している。

 武蔵村山市役所の前を通り過ぎ、国道16号との交差点を越え、さらに八高線の踏切をやり過ごすと、岩蔵街道へ入っていく交差点へ達する。

 岩蔵街道へ入ると周囲の風景がさっと広がる。道の周囲には畑が多くなるからである。時折「畑の香り」が風に運ばれてくることもある。

 岩蔵街道はほぼまっすぐに伸びている。しばらく走ると圏央道の青梅インターの下を潜る。この箇所はクランク状になっていて、その道の形に添って走っていった。

 さらにしばらく真っ直ぐ走ると、笹仁田峠を越える。ここは、起伏の緩やかな峠である。帰路では逆方向からの高速バトルが待っている。

 笹仁田峠を下り終えると、岩蔵温泉郷を抜けていく。ここは小さな温泉宿が幾つか並んでいる。目立つことのない温泉郷であり、隠れ家的な雰囲気が心地いい。

 その小さな温泉郷を抜けると、小曽木街道に一旦出てすぐの信号を左折。東京バーディークラブの周囲を半周する形で脇道を抜けていく。

 往路の休憩ポイントであるファミリーマート飯能上畑店はその先にある。ここにはしばらく前からバイクラックが設置されている。



 そのバイクラックに、ロードバイクが並んだ。ORBEAが3台に、InterMax、LOOK、Kuotaが1台づつ、合計6台のロードバイクが、綺麗に納まった。

 ここでトイレ休憩を済ませ、補給食を胃袋に納めた。今日は暖かい。穏やかな気分で休憩時間を過ごした。

 心身には少々疲労感が澱のように沈殿していた。確定申告が始まってからは、夜遅くまで仕事に追われる日々が続いている。その疲れがなかなか抜けない。今日はロングライドで目一杯走り込んで、やや重くなった心を軽くしたいところである。
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3454:バルブ

2016年02月28日 | ノンジャンル
 「パシュ~ン!」と乾いた鋭い音が響いた。その音の原因は疑いようがなかったが、すぐには受け入れがたい気分であった。しかし、それは厳然とした現実であった。まだ走りはじめて10分ほどしか経過していなかった。

 私はいつものように自宅を7時に出た。Kuota Khanには変わった様子はなかった。2月の最後の日曜日、この時期としては気温は高めであった。天気予報は晴れ。順調な出足と思われた。

 多摩湖サイクリングロードを通って、集合場所であるバイクルプラザに向かっていた。その音が響いたのは萩山駅の裏側を通り過ぎた辺りであった。

 現実は受け入れるしかない。とりあえず、Kuota Khanを道の脇に寄せて、パンクした後輪をロードバイクから外した。

 パンク修理に要する時間は10分ほどか・・・集合時間に間に合わない可能性が高いので、Twitterでパンクした旨を連絡した。

 タイヤレバーを使ってタイヤをリムから外して、空気の抜けたチューブを取り出した。サドルバックの中にしまってあった新品のチューブを出してバルブキャップを外した。

 新しいチューブをタイヤの中に納める前には、少し空気を入れてからするとやりやすい。チューブのバルブの先端に付いている小さなネジを緩めて、携帯用の小さな空気入れで少し膨らませようとした。

 何度かポンピングさせた。普通であればすぐにある程度の空気が入る。しかし、全く反応がない。

 「あれ・・・なんだ・・・?」

 空気入れを外して再度はめ込んでみる。結果は同じである。これには焦った。もう一度空気入れをバルブから外す。

 バルブの先端の小さなネジが緩んでいることを再度確認して、空気入れの先端の穴の中にぐっと押し込んでみた。ポンピングしたが、やはり反応がない。

 「これでは埒があかない・・・」

 しかたなく、リーダーの携帯に連絡。事情を説明し「空気入れが壊れることってあるんですか・・・?」と訊いてみると「メンテナンスしていないとありうる・・・」とのこと。

 「今日はそこを通るコースにしますので、10分ぐらい待っていてくれたらレスキューに行きますよ・・・」との返答にほっとした。

 待っている間、空気入れの先端部分を分解してみて、組み立てた。しかし、効果なし。「バルブかな・・・」とチューブのバルブを確認。先端についている小さなネジは緩んでいる。試しにその小さなネジを指で何度か押してみた。するとなんだか感触が変わった。

 「あれ・・・なんか変わった・・・」

 空気入れの先端にバルブを入れて再度チャレンジした。すると、何のことはない感じで空気がするすると入っていった。

 緩めに膨らんだチューブを素早くタイヤに入れ混んでいく。それからタイヤをリムの中に納めていく。

 最初のうちはするするといくが、最後は力がいる。上手くはまらない時はタイヤレバーを使って押し込む。

 タイヤがリムに全て納まった。タイヤがチューブを噛んでいないな確認してから、空気を入れていった。

 空気入れは結構重労働である。どうにかこうにか空気が入った。少し息が切れた。タイヤをロードバイクに取り付けて、無事パンク修理を終えた。

 ロードバイクに跨り、先へ向かった。走って数分でこちらに向かてきてくれていたチームトレインと合流した。

 「空気入れではなく、バルブでした・・・」

 バルブの先端のネジは緩めるだけでなく、何度か押し込んだりしないといけなかったようである。

 隊列の最後尾に連なって、走った。走りはじめて早々のパンクに少々面食らったが、どうにかこうにかチームのロングライドに参加できた。今日の目的地はチームでのロングライドで最も数多く行く「正丸峠」である。
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3453:NO.27.5

2016年02月27日 | ノンジャンル
 Paoさんのお宅にお邪魔するのは1年ぶりである。昨年はプリアンプがAurex製のものから、Mark Levinson NO.26SLに変わった。

そして、今年はパワーアンプがLo-D製のものから、プリアンプと同じMark LevinsonのNO.27.5に変わったのである。

 以前から使われていたLo-D製のパワーアンプは30年以上も使われていた。その間、何度かメンテナンスを繰り返していたが、最近調子が思わしくなかったようである。

 早速2階にあるリスニングルームに案内してもらった。Paoさんは私よりも6歳上である。あと数年で還暦を迎える。

 この古い家に母親と二人暮らしであったが、2年前に母親が他界してそれ以来一人暮らしである。ただ一人の法定相続人であったPaoさんはこの土地と家を相続した。

 Paoさんには20年ほど前に離婚した元妻との間に息子がいて、もしもPaoさんが亡くなると、その息子がこの土地と家を相続することになる。

 「息子がここを相続したなら、この古い家を取り壊して、賃貸マンションでも建てるだろう・・・それとも、すぱっとうっぱらってしまうかな・・・良い金になるだろうし・・・」

 そんなことをPaoさんは漏らしていた。土地の広さは40坪ほどであろうか、場所を考えると相当な金額になるであろう。

 Paoさんは長岡鉄男氏が設計したバッグロードホーン型のスピーカーを愛用している。ラックもそのスピーカーのキャビネットと同様の素材で作られた堅牢なものである。

 CDプレーヤーはMarantz CD-34。ただし普通のCD-34ではない。工藤氏の手により詳細な改造がなされたもので、見かけは普通のCD-34であるが、中身はほぼ別物となっている。

 そのCD-34の改造型がラックの最上段に置かれて、Aurex製のプリンアプが置かれていた空間には昨年からMark Levinson NO.26SLが陣取っている。

 このNO.26SLのデザインは非常に優れている。もっとも美しいプリアンプの第一候補に挙げたいようなシャープでありながら優雅な存在感があるプリアンプである。

 そして、ラックの最下段の住人は、今回長年に渡って使い続けられてきたLo-D製のものから、Mark LevinsonのNO.27.5に変わった。

 真黒で精悍なその姿はとても潔い。プリアンプとメーカーが揃ったことによる相乗効果か、実に目に馴染む。

 「きっと、音にもいい影響があったのであろう・・・」
 
 その姿を目にして心の中で思った。Paoさんがコーヒーを運んできてくれた。それを二つ置かれた椅子の間の小さ目のテーブルの上に置いて、「どう、かっこいいだろう・・・?」と呟くように言った。

 「いいですね・・・この造形・・・Lo-Dもかっこ良かったですけど。Mark Levinsonはまた別格ですね・・・特にこの時代のMark Levinsonは切れ味鋭い造形をしていますね・・・」

 私は、Paoさんが置いてくれたコーヒーカップの中で少し波打っているように見える真黒なコーヒーの表面を見ながら、そう答えた。

 そして、ひと時雑談をした後に、CDを聴かせていただいた。Paoさんはクラシックのみを聴く。どちらかというと交響曲などの大きな編成のものが好きで、特にマーラーの作品を愛好している。

 まず聴かせていただいたのは、マーラーの交響曲第5番から第1楽章。何だか、味わいというか音の輪郭線が太く濃くなったような気がする。

 音の構成を立体的に描く鉛筆の濃さがHBからBに変わったような気がした。そのため音の表面の毛羽立ちのようなものが柔らかく、よりリアリティーをもって感じられた。

 その後はシベリウスのヴァイオリン協奏曲から第1楽章を聴いた。こちらは北欧の作曲家らしく凛とした張り詰めた空気感が特徴的である。

 冒頭の幽玄なヴァイオリンの旋律が冷たくも妖艶な雰囲気を纏い、聴く者により迫ってくる印象を受ける。
 
 その後スメタナの「わが祖国」から「モルダウ」を聴いた。六つの交響詩からなる「わが祖国」のなかで、この「モルダウ」が一番有名な曲であろう。

 幻想的でいて、どこかしら郷愁を誘うこの曲はPaoさんのお宅では必ずかかる。「実に良いバランスになった・・・」と感じた。

 「もしかして、CD-34も少し変わっています・・・?」
 
 私は「モルダウ」が終わった時にPaoさんに訊いてみた。

 「そう・・・分かる・・・これで何度目だろう、7回目くらいかな・・・バージョンアップしたんだよ・・・改造費だけでこれまでどれくらい使ったかな・・・100万は下らないだろうな・・・でも、良くなった。安定感というか、どっしりと腰が据わった感じが増してね・・・まあ、工藤さんが生きている限りは、改造され続けるだろうね・・・」

 Paoさんは嬉しそうに話した。その後も何枚かのCDを聴かせてもらった。古い木造の家であるので防音はしっかりとはしていないが、周囲の環境が良いので、それほど気を使わないでいいようである。

 数時間をそうして過ごした。Paoさんはどこかしら楽しそうであった。甘泉園公園に接するこのお宅は都会の真ん中であることをすっかりと忘れてしまう雰囲気である。

 時代からいつのまにか取り残されたのか、あるいはあえて時代の流れに逆らったのか・・・いずれにしても、このまま変わらないでいてほしいと切に感じる空間であることは間違いなかった。
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3452:ほんこん飯

2016年02月26日 | ノンジャンル
 早稲田通りを南へ向かった。高田馬場駅から歩いて5,6,分のところに中華料理の「秀永」がある。



 「秀英」は私が大学生であった頃からある。ということは30年以上前からこの場所で営業しているいることになる。

 内外装ともその当時のままである。時代の荒波を越えて、全く変わらずに存続しているのは、嬉しい限りである。

 この店の2大看板メニューは、ほんこん飯と白果鶏飯(とりめし)である。私は大学生の頃、ほんこん飯派であった。

 店内に足を踏み入れた。時間は1時半。既にお昼時を過ぎていたので空いていた。内装はシンプルで清潔感があるもの。

 飾り気や凝った意匠といったものは全くなく、「Simple is best.」といった感じの店内は30年前のままである。

 2人掛けのテーブル席に陣取った。迷わず、ほんこん飯を注文した。ほんこん飯は、豚肉と野菜の味噌炒めがご飯の上に乗っていてさらにその上に黄身が半熟気味の目玉焼きが乗せられている。食べる時にはその目玉焼きをスプーンで崩し、溶けだした黄身を具材やご飯に絡めて食べる。



 30年前となんら変わらない味である。懐かしい・・・そして、美味しい。あの頃から経過した時間の長さがにわかには信じられないほどに、その味は当時のままである。

 心の中にぽっかりと空いた丸い小さな空隙を埋めるかのように、そのほんこん飯は胃袋の中に納められていった。

 会計を済ませて、店を出た。そのまま早稲田通りを南下していって、明治通りとの交差点を左折した。しばらくそのまま歩くと新目白通りにぶつかる。その交差点を今度は右折した。

 新目白通りは、東京で唯一残っている路面電車である都電 荒川線と並行している。その都電 荒川線を左手に見ながら南下していった。

 都電 荒川線の「面影橋駅」を左手にやり過ごすと、目的地はもうすぐである。右手に甘泉園公園が見えてくると新目白通りと平行に走る脇道へ入る。

 甘泉園公演は児童公園とテニスコートが併設されていて、その奥には広大な敷地を持つ回廊式の日本庭園がある。

 Paoさんのご自宅はその甘泉園公園に接している。ここが新宿区であることが不思議に感じられるほどに静かなエリアにある。
 
 建物は築50年以上は経っていると思われる古い木造の2階建てである。北側は古い5階建ての分譲マンション、南側は3階建ての出版社の社屋に挟まれている。

 門扉の脇に白く小さな呼び鈴がある。木にとまって息をひそめている蝉のような形状のその呼び鈴を鳴らした。

「ピン・・・ポン・・・」という少し間延びした感じの音が玄関の向こう側から漏れ聞こえてきた。
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3451:炭水化物

2016年02月25日 | ノンジャンル
 電車は高田馬場に向かっていた。小平駅から西武新宿行きの急行に乗った。平日の午後1時、電車内は比較的空いていた。

 空いた席に座り、鞄から本を取り出した。その本のタイトルは「50歳からは炭水化物をやめなさい」。著者は東京医科歯科大学名誉教授である藤田紘一郎氏。

 最近、炭水化物は相当悪者扱いされている。食事から炭水化物を出来るだけ抜くダイエット法である「炭水化物ダイエット」も流行っている。

 うちの事務所の一人の女性スタッフもご飯やパンといった炭水化物をとるのは昼だけで、朝食と夕食からは炭水化物を完全に抜いているとこの前話していた。

 「炭水化物ってそんなに、良くないものなのかな・・・?」と日ごろ疑問に感じていたので、「その謎を解く鍵が、この本の中に含まれているかもしれない・・・」と思ったのが、本屋でこの本を手に取ってレジに持ていった動機である。

 この本は実に理路整然としていて分かりやすかった。大学の名誉教授である著者は自分自身の糖尿病の経験などから、実に明確な理論を構築している。

 人間が体内でエネルギーを生成するエンジンには「解糖エンジン」と「ミトコンドリアエンジン」の2種類があり、40代ぐらいまでは「解糖エンジン」がメインエンジンであり、50歳以降は「ミトコンドリアエンジン」がメインエンジンに切り替わるとのこと。

 糖分を燃料としてエネルギーを作る「解糖エンジン」は、主に炭水化物を糖に変え、瞬発力のある動きをしたり、皮膚や粘膜、骨髄の細胞の材料を作り出す。

 一方、「ミトコンドリアエンジン」は、酵素を燃料としてエネルギーを作り出す。「ミトコンドリアエンジン」は、瞬発力は弱いが持続力に優れ、心臓や脳の神経細胞など持続してエネルギーの必要な部位への供給を担当する。

 50歳ぐらいを境に「ミトコンドリアエンジン」がメインエンジンたる役割を担うようになるので、その役割が相対的に低下していく「解糖エンジン」の燃料である炭水化物は必要性が薄くなっていき、今まで通りの量の炭水化物を取り続けることは、体にとって害が大きい。

 「なるほど・・・」と感心しながら読んでいった。しかし、炭水化物は日本人にとって小さい頃から慣れ親しんだものである。

 白米、パン、うどん、ラーメンなど・・・それらは日本人にとって日常的に繰り返し口にしてきたもの。そういったものを口へ入れる頻度をぐっと下げる。それが50歳を超えた人間にとっては健康に良いと分かったとしても、すぐにそしてずっと継続できるものであろうか・・・

 関心しながら、危惧する・・・そういった感じでその本を読み進んでいった。電車は、徐々に高田馬場駅に近づいていった。

 そして、アナウンスが「タカダノババ~・・・タカダノババ~・・・」と穏やかな口調で電車内に鳴り響いた。

 本にしおりを挟んで鞄にしまい、電車を降りた。ここから西早稲田までは歩いて15分くらいかかる。駅前からバスも出ているが、歩いて行くことにした。
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