Integra A7のプリアンプ機能を使うために、RCAケーブルとスピーカーケーブルを繋ぎ変えた。こうしてみると、プリアンプをMarantz Model7からIntegra A7に取り換えたという状態である。
これと似た状況は昨年経験したことがあった。Marantz Model7の電源ブロックコンデンサーの交換が必要となり、Model7が長期離脱した際に、知人から使っていないプリンプをお借りしたことがあった。
その時お借りしたプリアンプは「PIONEER C21」であった。C21は薄型の躯体を持った瀟洒なデザインであった。
Integra A7と同じく、C21は1976年に発売された。PIONEERのプリアンプのラインナップとしてはエントリークラスのものであった。その音の印象はすっきりとした美音系というものであった。
PIONEER C21とMarantz Model2という組み合わせは、一般的にはあり得ないような変則的ペアであったが、それ以上にレアな組み合わせとなるのが、Integra A7とMarantz Model2のペアであろう。
この超変則的なプリアンプとパワーアンプとの組み合わせによって、先ほどまでIntegra A7をプリメインアンプとして使用して聴いていたマーラーの交響曲第5番の第1楽章を通して聴いた。先ほどまでは持ち上げていた低域に関しては、トーンコントロールをニュートラルな位置に戻していた。
交響曲第5番の第1楽章は12分ほどで終わった。A7をプリメインアンプとして使った場合に比べて、その質感は格段に良くなった。
やはり1950年代の半ばに製造されたTANNOY GRFは、同じ時代の真空管アンプとの相性が良いようである。この組み合わせだと低域も不足感はなく、トーンコントロールを調整する必要は感じなかった。
Maranzt Model7とModel2という純正組合せと比べると、その音の質感は多少無表情に感じられるが、「これはこれでありかも・・・」という許容範囲には十分に入ってくる。
PIONEER C21を聴いた時にも感じたが、1970年代の日本製オーディオ機器は実にしっかりとした内容を持っている。
その時代は、オーディオが花形部門であった。気合の入った仕事ぶりが感じられる。コストの制約があるなか、最大限の努力が払われたようである。
続いてレコードも試してみた。昇圧トランスから直接出ているRCAケーブルを、Integra A7の裏面の「PHONO 1」に接続した。そしてセレクターレバーを、「AUX」から二つ左に戻して「PHONO 1」に合わせた。
普段よく聴いているテレサ・シュティッヒ=ランダルの歌曲集のレコードを、Oracle Delphi6のターンテーブルに乗せた。
彼女の声は、澄んだ透明感とともに、どこかしら陰のある表情をも見せる独特の高貴さを感じさせてくれる。
シューベルトの歌曲が静かにそして同時に厳かに流れ始めた。Integra A7が発売された1976年は、まだCDがない時代である。主たるソースはレコードである。そのためフォノイコライザーもしっかりとした構成の回路が組まれている。
CDの時と同様に、Marantzの純正組み合わせに比べると温度感は低めで、音楽の表情も若干乏しく感じられるが、十分に使えるものであった。
「ヤフオクで処分する予定でいたが、これは私が買い取って、Marantz Model7が不在の時に使ってもいいかもしれない・・・」そのレコードの片面が終わる頃には、そんなことを考えていた。
「今のところ、すぐにメンテナンスを受けなければならないということもなさそうだし・・・」そう思いながら、Integra A7の無骨なフロントパネルを見つめた。
その銀色のフロントパネルは、この時代の日本製のプリメインアンプとしては、奇跡的と思われるほどに綺麗な状態で輝いていた。
これと似た状況は昨年経験したことがあった。Marantz Model7の電源ブロックコンデンサーの交換が必要となり、Model7が長期離脱した際に、知人から使っていないプリンプをお借りしたことがあった。
その時お借りしたプリアンプは「PIONEER C21」であった。C21は薄型の躯体を持った瀟洒なデザインであった。
Integra A7と同じく、C21は1976年に発売された。PIONEERのプリアンプのラインナップとしてはエントリークラスのものであった。その音の印象はすっきりとした美音系というものであった。
PIONEER C21とMarantz Model2という組み合わせは、一般的にはあり得ないような変則的ペアであったが、それ以上にレアな組み合わせとなるのが、Integra A7とMarantz Model2のペアであろう。
この超変則的なプリアンプとパワーアンプとの組み合わせによって、先ほどまでIntegra A7をプリメインアンプとして使用して聴いていたマーラーの交響曲第5番の第1楽章を通して聴いた。先ほどまでは持ち上げていた低域に関しては、トーンコントロールをニュートラルな位置に戻していた。
交響曲第5番の第1楽章は12分ほどで終わった。A7をプリメインアンプとして使った場合に比べて、その質感は格段に良くなった。
やはり1950年代の半ばに製造されたTANNOY GRFは、同じ時代の真空管アンプとの相性が良いようである。この組み合わせだと低域も不足感はなく、トーンコントロールを調整する必要は感じなかった。
Maranzt Model7とModel2という純正組合せと比べると、その音の質感は多少無表情に感じられるが、「これはこれでありかも・・・」という許容範囲には十分に入ってくる。
PIONEER C21を聴いた時にも感じたが、1970年代の日本製オーディオ機器は実にしっかりとした内容を持っている。
その時代は、オーディオが花形部門であった。気合の入った仕事ぶりが感じられる。コストの制約があるなか、最大限の努力が払われたようである。
続いてレコードも試してみた。昇圧トランスから直接出ているRCAケーブルを、Integra A7の裏面の「PHONO 1」に接続した。そしてセレクターレバーを、「AUX」から二つ左に戻して「PHONO 1」に合わせた。
普段よく聴いているテレサ・シュティッヒ=ランダルの歌曲集のレコードを、Oracle Delphi6のターンテーブルに乗せた。
彼女の声は、澄んだ透明感とともに、どこかしら陰のある表情をも見せる独特の高貴さを感じさせてくれる。
シューベルトの歌曲が静かにそして同時に厳かに流れ始めた。Integra A7が発売された1976年は、まだCDがない時代である。主たるソースはレコードである。そのためフォノイコライザーもしっかりとした構成の回路が組まれている。
CDの時と同様に、Marantzの純正組み合わせに比べると温度感は低めで、音楽の表情も若干乏しく感じられるが、十分に使えるものであった。
「ヤフオクで処分する予定でいたが、これは私が買い取って、Marantz Model7が不在の時に使ってもいいかもしれない・・・」そのレコードの片面が終わる頃には、そんなことを考えていた。
「今のところ、すぐにメンテナンスを受けなければならないということもなさそうだし・・・」そう思いながら、Integra A7の無骨なフロントパネルを見つめた。
その銀色のフロントパネルは、この時代の日本製のプリメインアンプとしては、奇跡的と思われるほどに綺麗な状態で輝いていた。