AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

534:2本のライン

2007年08月31日 | ノンジャンル
 夏はガクッと両膝をつき、崩れ落ちたようである。まるでビリーズブートキャンプを終えたばかりの私のようである。

 ビリーズブートキャンプはとりあえず7日間のプログラムを一応終えたが、その後は続いていない。2,3日に1回の割合で「最終プログラム」を取り出して行う程度である。この「最終プログラム」は時間が約30分と短く、さらに腹筋を鍛えるエクササイズがちょっとしかないので私にとって好都合なのである。

 名前は「最終プログラム」ではあるが、「基礎プログラム」よりもはるかに楽である。結局4枚のDVDのセットであったが、この1枚のみあればよかったのかもしれない。

 さて、今日は汗をかいた。ビリーズブートキャンプではない。ゴルフである。8月に入ってからあまりに暑く、練習場に行く気力がわかなかった。あの気温では日中でへばってしまって、仕事を終えてから練習場に行く余力が残らなかったのである。

 しかし、一昨日から気温が穏やかになったので、そろそろ練習しなければと思っていた。そこで今日仕事を終えてから、練習場に行ってきた。約1時間、100球ほど打った。課題のドライバーとフェアウェイウッドを中心に練習したのであるが、久し振りのわりにはなかなか良い感じであった。

 ゴルフ雑誌で常に2本のラインを意識しながらスウィングすると安定感が出るという記事を読んで、早速試してみた。2本のラインとは、アドレスしたときのクラブのシャフトのラインとそれと平行に胸から伸びる想定ラインである。その2本のラインをイメージし、2本のラインの中に常にクラブがあるようにコントロールする。

 トップでは上のラインを超えないように、インパクトでは下のラインをなぞるような意識でスウィングするのであるが、上手くいくと軽いフェードで伸びのあるボールが飛んでいく。「ほう~ほう~・・・」とクレヨンしんちゃん風ににやけてしまった。

 9月は5日にラウンドの予定が入っている。この具合だと期待できるかも・・・90を切れるかも・・・あまり期待すると大概裏切られるのでほどほどに期待していよう。

 オーディオも雑誌に載っているノウハウがすぐさま自宅でも効果が出るといいのであるが、最近ではAudio Accessory誌に載っていた「グリーンディフェーザー」は結構良かった。
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533:一発屋

2007年08月30日 | ノンジャンル
 昨日と今日は「夏の終わり」を実感させるような気候である。今年の夏は8月に入ってから急激に盛り上がり、凄まじく猛威を振るったが、さすがにここにきてガクッとトーンダウンしてきた。

 夜には秋の虫が盛大に鳴きだすようになり、季節の変わり目を感じさせる。この急激な夏の凋落ぶりは、「一発屋」といった印象すら感じさせるものがある。

 ここ数年は息の長いお笑いブームである。しかし、そのブームのなか「一発芸人」として一時爆発的に売れたが、しばらくして飽きられてしまい消えていったお笑い芸人は結構多い。

 「一発芸人」は個性的でありインパクトが強いが、ワンパターンという共通の傾向があるようである。そしていわゆる「ピン芸人」に「一発屋」が多いような気がする。

 もし、今年の夏がこのまますんなり収束し秋に移ってしまったら、「一発屋」の夏という印象を残しそうである。7月は梅雨が長引きあまり暑くなかったが、8月に入るなり夏真っ盛りになりワンパターンを思わせる強烈な炎天下攻撃をしかけ、そして8月の終わりと共に過ぎ去っていく・・・そんな夏なのであろうか。

 今日は「グリーンディフェーザー作戦」第2段を行った。なんということはない観葉植物を2本のスピーカーの内側に移動しただけのことである。背面のコーナーに置くよりも物理的にスピーカーに近くなったせいか、その効果のほどもアップしたように感じられた。

見た目はこんな感じ・・・


 その影響は昨日書いたように、音の瑞々しさや柔らかさがアップしたように感じられるのである。気のせいかな?と思い、ある状態とない状態で比べてみると、やはり差はあるようである。私の好みから云うと良い方向への変化である。もちろん人によっては、悪い方向への変化となってしまう可能性も高い。

 下手なアクセサリーよりも効果があるような気がする。しかも値段の極めて廉価であり、見た目も悪くはない。
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532:グリーンディフェーザー

2007年08月29日 | ノンジャンル
 リスニングルームにはオーディオ機器とピアノ、そしてアームチェアがひとつとサイドテーブルがひとつ置いてある。それ以外に生活感を感じさせるものはまったく置いていない。

 また壁にも絵やタペストリーの類はまったく掛かっていない。スッキリしているのではあるが、何かしらスッキリしすぎているような気もする。もう少し装飾品や観葉植物など部屋を多少色づけるようなものがあってもいいのかもしれない。

 観葉植物で思い出すのは、評論家の江川三郎氏が以前Audio Accessory誌のなかでスーピーカーの周りに観葉植物を設置すると音にいい影響がある、という趣旨の記事を書かれていたことである。

 江川氏は「グリーンディフェーザー」と命名されていたが、その効果について「これは、マニア同士の特別な言葉で通じ合うような意味ではなく、単に音が柔らかくなったと素直に表現できるものだ」と述べられている。

 しかし、あまりにもスピーカーの近くに観葉植物を置くのは見た目的にも気が引ける。そこで50cm程度の高さの飾り棚のうえに小さな観葉植物を乗せ、それをスピーカー背後の各コーナーに置いてみた。見た目的にもすっきり感があるうえに、観葉植物の緑が優しい色合いを部屋の雰囲気に加えてくれる。

 音はどうか?・・・「確かにみずみずしく柔らかくなったような気がする。」・・・激変とかそういった変化ではけっしてない。音の表面の突起物が滑らかになりざらざら感が減じるような印象は受ける。しかし観葉植物による視覚的な効果もあるので歴然とした効果とまではいかないようだ。しかし、見た目も含めて悪い感じはしないので、しばらく継続してみよう。もう少し大型の観葉植物を持ってきた場合なども試してみたい。


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531:3日ぶり

2007年08月28日 | ノンジャンル
 「禁欲」・・・これは大事なことかもしれない。「禁欲」というと一般的には性欲の発露を抑えるといったイメージが強い。または食欲を抑える断食のようなものもイメージとして浮かんでくる。

 いずれにしても、人間が根本的に持っている欲望を理性で抑えコントロールする、といった意味合いで用いられる。そういった強固な意志を感じさせる半面、抑圧された感じ・・・生命の奔放な発露を抑える重たいものをも感じさせる言葉である。

 25,26,27日の3日間はオーディオはまったく聴いていない。私としてはめずらしいことである。そして今日仕事から帰り、久し振りにオーディオで音楽を聴いた。聴いたのはシベリウス交響曲第2番 Sir Colin Davis指揮ロンドン交響楽団。特に第2楽章が好きである。

 久し振りに聴いたせいか良く聴こえる。奥行き感があり音場も広い。HRS-120 CARBONの独特の音の出方が心地いい。久し振りに聴くということは、思いのほか良いものである。なんとなく新鮮に感じるのである。

 以前Akimitsuさんが「煮詰まったらオーディオはしばらくほっとくのが一番」といったことを話されているのを聞いて、印象に残っていた。何かしら不満があるとついついいじりたくなるもの。あれこれしてみて、「どうもここが・・・いやあそこが・・・」といった具合に蟻地獄状態になりがちである。そういったときは思い切って3日間まったく聴かない、いじらない、電源すら入れない・・・といった対応が一番いいのかもしれない。

 そうして3日経ってから、自分のお気に入りのCDから一番好きな曲なり楽章なりをかけてみると、音よりも音楽を自然に吸収できる感じで「あんがい、良く鳴っている・・・」という印象を持つのかもしれない。そして気になっていたことは「そう大したことではない・・・」といった印象に変わるのかもしれない。

 今回は旅行という物理的にオーディオを聴けない要因があったが、そういうものがない状態、いつでも電源をONにできる日常において、「禁欲」することは意外と難しいのかな・・・ついつい今日の具合はどうかなといった感じで短い時間でも聴いてしまうのが習慣になってしまっている。この習慣は改めた方がいいのかもしれない。
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530:毎日がスペシャル

2007年08月27日 | ノンジャンル
 「毎日がスペシャル~♪毎日がスペシャル~♪」旅先でのホテルで、疲れてベッドにぐたっと横になりながらテレビを観ていたら、SONYのHANDYCAMのCMで竹内マリアの歌が流れていた。

 その歌を何気に聴きながら、「毎日がスペシャルね~、最近はほとんど毎日が無名って感じだな~」とふと思ってしまった。「毎日がスペシャル度」は子供時代は相当高かったはずである。しかし、年齢と共にその度合いは急激に低下してくる。そして、日々は凄まじい勢いでめくられていく。

 窓辺に置かれた本のページが風にめくられるように、パタパタと過ぎ去っていくのである。それらの日々はけっしてスペシャルではなく、ほとんど名も無い日々であることが多い。

 そんななか、小旅行であっても旅行に出ることはささやかながら、日々のスペシャル度を多少上げてくれる。家族サービスを主目的としたなんの変哲の無いものではあるが、日頃の慣れ親しんだ環境とは別のところに身を置くだけでも深呼吸したくなるような新鮮さを感じさせるものである。

 周囲には家族連れがたくさんいるような観光地であったが、みんな一様に楽しげな目つきをしていた。もちろん小さな子が泣き喚いていたり、幼い兄弟が喧嘩しているのを母親がいさめたりといったシーンも目に付くのであるが、全体的に楽しげに見えた。

 我が家の子供も普段よりはしゃぎまわっていた。ホテルに着くなり、ベッドでふざけまわり、クッションを投げあったりしていた。多少テンションが高くなっているのが分かった。

 今回は列車での旅行であったが、列車の旅行の場合駅弁は欠かせない。行きも帰りも昼の時間帯に列車に乗るよう手配した。乗り込む前に駅弁を購入し、ペットボトルのお茶としっしょに袋に入れて、「まだか、まだか」と列車を待つ。

 列車が駅に着くなり勢いよく乗り込んで、早速駅弁を膝の上に・・・包みを開けようとする子供を制して、「動いてから・・・列車が動くまではダメ・・・」と注意する。意味があるとは思えないが、列車が動き出す前に駅弁の包みを開けて箸をつけるのは、どうしても気が引ける。なぜかしら、もったいない気がするのである。

 この3日間はささやかながらスペシャル度が高かった。また明日からは名も無い日々の連続が始まる。そういった何気ない毎日がスペシャルな人もいるのかもしれないが、中年の域にさしかかり、特に刺激的とも言えない環境で日々を過ごしている私にとって、多くの日々は名も無く顔もないようにすら感じられる。毎日のようにブログを更新するのは、こういった名も無い日々に、ささやかな仮の名前を付ける作業なのかもしれない。
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