宗教曲や、器楽曲さらには交響曲など様々な分野の優れたレコードが、市野氏が製作した端正なレコードプレーヤーのターンテーブルに乗せられた。
Benz Micro Rubyによってレコードの音溝から綺麗に拾われた音楽信号は真空管アンプを通っていって増幅され、JBL 4333から音となって放出された。
後方に広がるサウンドステージは十分な広さがあり、その音のテクスチャーは、鮮度の良さを感じさせながらも冷色系ではなく、ほのかな暖かさを感じた。
JBL 4333の後方には広い空間が確保されていて、オーディオ機器達はその位置にセッティングされている。
レコードプレーヤーとフォノイコライザーはGTラックに置かれているが、それ以外のプリンアプとパワーアンプはラックを用いることなく床にセッティングされていた。
半月ほど前にお伺いした江東区のHさんのお宅でもオーディオ機器はラックを用いずに床にセッティングされていた。
これは、ラックを用いた場合と用いずに床にセッティングした場合とで、後者の方が良い結果が出たからあえてその方法を採用されているのであろう。
私は「オーディオは音楽を聴くものであると同時、目でも愛でるもの」といった思いが強いので、どうしてもラックに綺麗に陳列したくなるが、床直置きの効能はあるようである。
工藤アンプと市野アンプ、どちらもこだわり抜いて製作された真空管アンプである。工藤アンプをMさんのお宅で聴いたのは、随分と前のことでその時の漠然としたイメージとの対比となる。
工藤アンプが奏でる音は、料理に例えるなら極上の鮮度を有する「刺身」というイメージであった。いかに鮮度良く、その素材がもつ良さを損なうことなく皿に盛りつけるかという点に最大の関心が注がれているような気がした。
一方市野アンプは、同じく料理に例えるならば、「カツオのたたき」であろうか・・・表面を藁を焼いた炎であぶって焦げ目をつけ、冷やしてから特製のたれにつけて食する。
表面しか焼かれていないので、カツオ本来の食感と味わいは残っている。あぶることによって旨味をさらに引き出し、タレが絶妙にカツオに馴染んで、すがすがしい味わいの良さを醸し出す。
MaranztzやQUADのように、煮魚や塩焼といった完全に調理された魚料理の味わい感ではない。ある意味良いとこ取りのような料理である。
素材の持つ鮮度と、料理としての味わいの良さ、そういったものが絶妙にバランスされているという印象である。
後方に広がる空間も広く、音の表面は手でちぎって食べる高級食パンのようにふわっとしていて、硬くなることはなかった。
「これは良いアンプだ・・・」と素直に思えた。私は普段Marantzの「のどぐろの塩焼き」のような味わいに耳が慣れてしまっているが、極上の「カツオのたたき」もやはり美味であることこの上なかった。
しばらく聴かせていただいていると、Mさんの同級生であり近所にお住いのOさんも来られた。Oさんも年季の入ったベテランオーディオマニアである。
この広い部屋に4人のオーディオマニアが集ったことになる。様々なレコード鑑賞を終えた後、「せっかく4人いるのであるから、一人ではなかなか難しいスピーカーの位置調整をしてみましょうと・・・」ということになった。
そして4人がそれぞれ分担して、JBL 4333の位置を微調整しては、視聴をくりかえすという「作業」に入った。こういった「作業」は、オーディオマニアのみが知る愉悦であろう。
何通りのパターンを試したであろうか・・・Mさんにとって一番耳馴染みが良いポジションにとりあえず落ち着いた。
当初のセッティングよりもスピーカーはリスニングポイントから離されて、内振りの角度も強くなった。
このセッティングで聴いてみると、「カツオのたたき」の味の決め手の一つである特製のタレの味わいがより深みのあるものに変わったような印象を受ける。さらに添えられる数種類の薬味の量も増えたような気がした。
市野アンプは工藤アンプと同様に「知る人ぞ知る」アンプであり、一般的な知名度はないに等しいが、マニアの中のマニアにとっては、気にかけるべき存在だと思いながら、Mさんのリスニングルームを後にした。
Benz Micro Rubyによってレコードの音溝から綺麗に拾われた音楽信号は真空管アンプを通っていって増幅され、JBL 4333から音となって放出された。
後方に広がるサウンドステージは十分な広さがあり、その音のテクスチャーは、鮮度の良さを感じさせながらも冷色系ではなく、ほのかな暖かさを感じた。
JBL 4333の後方には広い空間が確保されていて、オーディオ機器達はその位置にセッティングされている。
レコードプレーヤーとフォノイコライザーはGTラックに置かれているが、それ以外のプリンアプとパワーアンプはラックを用いることなく床にセッティングされていた。
半月ほど前にお伺いした江東区のHさんのお宅でもオーディオ機器はラックを用いずに床にセッティングされていた。
これは、ラックを用いた場合と用いずに床にセッティングした場合とで、後者の方が良い結果が出たからあえてその方法を採用されているのであろう。
私は「オーディオは音楽を聴くものであると同時、目でも愛でるもの」といった思いが強いので、どうしてもラックに綺麗に陳列したくなるが、床直置きの効能はあるようである。
工藤アンプと市野アンプ、どちらもこだわり抜いて製作された真空管アンプである。工藤アンプをMさんのお宅で聴いたのは、随分と前のことでその時の漠然としたイメージとの対比となる。
工藤アンプが奏でる音は、料理に例えるなら極上の鮮度を有する「刺身」というイメージであった。いかに鮮度良く、その素材がもつ良さを損なうことなく皿に盛りつけるかという点に最大の関心が注がれているような気がした。
一方市野アンプは、同じく料理に例えるならば、「カツオのたたき」であろうか・・・表面を藁を焼いた炎であぶって焦げ目をつけ、冷やしてから特製のたれにつけて食する。
表面しか焼かれていないので、カツオ本来の食感と味わいは残っている。あぶることによって旨味をさらに引き出し、タレが絶妙にカツオに馴染んで、すがすがしい味わいの良さを醸し出す。
MaranztzやQUADのように、煮魚や塩焼といった完全に調理された魚料理の味わい感ではない。ある意味良いとこ取りのような料理である。
素材の持つ鮮度と、料理としての味わいの良さ、そういったものが絶妙にバランスされているという印象である。
後方に広がる空間も広く、音の表面は手でちぎって食べる高級食パンのようにふわっとしていて、硬くなることはなかった。
「これは良いアンプだ・・・」と素直に思えた。私は普段Marantzの「のどぐろの塩焼き」のような味わいに耳が慣れてしまっているが、極上の「カツオのたたき」もやはり美味であることこの上なかった。
しばらく聴かせていただいていると、Mさんの同級生であり近所にお住いのOさんも来られた。Oさんも年季の入ったベテランオーディオマニアである。
この広い部屋に4人のオーディオマニアが集ったことになる。様々なレコード鑑賞を終えた後、「せっかく4人いるのであるから、一人ではなかなか難しいスピーカーの位置調整をしてみましょうと・・・」ということになった。
そして4人がそれぞれ分担して、JBL 4333の位置を微調整しては、視聴をくりかえすという「作業」に入った。こういった「作業」は、オーディオマニアのみが知る愉悦であろう。
何通りのパターンを試したであろうか・・・Mさんにとって一番耳馴染みが良いポジションにとりあえず落ち着いた。
当初のセッティングよりもスピーカーはリスニングポイントから離されて、内振りの角度も強くなった。
このセッティングで聴いてみると、「カツオのたたき」の味の決め手の一つである特製のタレの味わいがより深みのあるものに変わったような印象を受ける。さらに添えられる数種類の薬味の量も増えたような気がした。
市野アンプは工藤アンプと同様に「知る人ぞ知る」アンプであり、一般的な知名度はないに等しいが、マニアの中のマニアにとっては、気にかけるべき存在だと思いながら、Mさんのリスニングルームを後にした。