AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

504:デンマークの照明

2007年07月31日 | ノンジャンル
 先日のOFF会の時にfj_nvさんとは、オーディオの話ももちろんしたのであるが、北欧家具の話やfj_nvさんが行かれたことのあるデンマークの人々の暮らしぶりなどの話も伺うことができ有意義な時間を過ごすことができた。

 特に印象に残ったのは、デンマークでは家庭でもオフィスでも蛍光灯を使うことは稀で、しかも使われている照明機器はどれも光度がとても低く抑えられている、ということであった。

 日本では、事務効率を考えてオフィスではほぼ100%蛍光灯が使われている。そして家庭でも蛍光灯の使用比率は比較的高い。全体的にとても明るいのである。

 蛍光灯には消費電力が少なくてすむという、今の時代とても大切な長所がある。エコロジーの時代である。電力の無駄遣いは極力避けなければならない。しかし、私は蛍光灯の光が嫌いである。自宅では蛍光灯は一切使わないように設計してもらった。白熱灯のみだと夏は暑く、また消費電力も多いというデメリットがある。

 しかも、電球の場合一定の期間が経過すると切れる。蛍光灯も時間の経過と共に劣化するが、電球の方がはるかに頻度高く取り替える必要があるのである。

 そして、設計時には必要光度を出してもらい、その計算にしたがって白熱灯のワット数を決めたのであるが、印象としては明るすぎる感じがする。算定された必要光度が相当高い設定だったようである。設計の人に言われると従わざる得なかったのであるが、現実的にはその必要はなかったようである。

 そこで最近は電球が切れると取り替える際にワット数を大幅に落とすようにしている。100Wの電球を使っていたら60Wに、60Wの電球を使っていたら40Wにといった具合である。そうすると部屋全体がうっすらと暗くなる。

 家族には多少不評なのであるが、私としてはこの方が落ち着けるのである。オーディオを聴く際にも、できれば部屋の光度は落としたい。夜であれば全く照明をつけず、オーディオ機器のLEDのみで聴く事が多い。

 その状況で聴いた方が音に対する集中力が増すような気がするのである。もちろん個人差があるので、人によっては逆といった場合もあるであろう。真っ暗というのも何だから、スポット的に淡い照明機器を効果的に使えば、より一層良い雰囲気作りができるような気がする。

 OFF会でお邪魔したさい、もっとも印象的な照明の使い方をされていたのはSHUKSさんであった。真っ暗な部屋にところどころにキャンドルの炎が幻想的な明かりを揺らめかせていたのである。これは手の込んだ演出であった。

 リスニングルームの照明による演出といったものも、音楽を心地よく楽しむためには重要な要素のような気がする。
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503:深淵

2007年07月30日 | ノンジャンル
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。  ニーチェ『善悪の彼岸』

 オーディオで時々、見なかった方が良かったかな・・・聴かなかった方が良かったかなという経験をすることがある。それは何か深淵をのぞき込んだときのような、深く底知れないものを連想させるのである。

 2ヶ月ほど前のことであるが、びーぐる邸でリスニングルームの真下にあたる専用の部屋に設置された巨大なトランスの数々を目にしたときも、「すごいな~」と感嘆の声を上げた。

 そして、昨日Jeyさんのお宅でOMEGA MONOを目の当たりにしたときのも、「すごいパワーアンプだな~」と目をぱちくりさせた。

 想像していたよりも荒々しい容姿ではなかったが、その存在感は他のオーディオ機器を圧倒するものがあった。何せその重量は、Jeyさんがお使いのALTO UTOPIAとほぼ同じ。どう頑張っても一人では持ち上げられない。

 その神々しい姿形に見入っていると、ついつい引き込まれてしまうような強力な引力を有した素晴らしいオーディオ機器である。

 Jeyさんは「まだ音がまとまっていない・・・」とおっしゃっていたが、その能力の桁外れの高さは、同時に使い手の技量に対しても高レベルなものを要求してくるのかもしれない。たとえ深淵に魅入られたとしても、うかつに踏み込んではいけない世界なのであろう。

 前回お邪魔したとき、パワーアンプはFM ACCOUSTICSであった。私のとても好きな質感の音を奏でていた。うっとりと聴きいっていたのであるが、「もっと制動の効いた低域が欲しいので、パワーアンプをOMEGA MONOに変えたい」との意向を聞いて「もったいない・・・」と内心思ったのである。

 まだ導入されたばかりでJeyさんもこれから本格的に調整に取り組まれる段階ではあるが、その能力の桁外れさは、音から見え隠れしている。打楽器系の瞬発力や実体感のある音の塊感など、やはり並ではない。シンバルやヴィブラフォンといった高域の響きの確かさもうならせる。やはり、Jeyさんにとってパワーアンプ変更の決断は正解であった。

 整然としたラックの裏側をのぞき込むと前回の時と同様、シンクロナイズスイミングの水面下を連想させるエネルギッシュな光景が目に飛び込んでくる。巨大な白や黒の大蛇が蠢いているようにすら見える。ここにも深い深淵があった。見入っていると魂を吸い込まれそうな光景である。

 その情熱の深さ強さはどこからくるのであろうか?びーぐる邸にも心底驚かされたが、Jeyさんのお宅もそれに負けず劣らず深かった。
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502:OMEGA MONO

2007年07月29日 | ノンジャンル
 東京駅発高尾行き中央線快速電車に乗って帰ってきた。東京駅を出たのが午後10時35分、目的地である立川駅に着いたのが11時24分であった。乗っていた時間は49分。半分以上はうとうとしていたのであるが、つい先ほどJeyさんのお宅で聴かせていただいていた音のことなどをぼんやり思い浮かべていた。

 今日は2部制のOFF会であった。参加メンバーは、びーぐるさん、Jeyさん、fj_nvさんと私の4名。第1部は私の家で、そして第2部はJeyさんのお宅でという構成であった。私の住んでいるところとJeyさんが住まわれているところは同じ東京都でありながら、全く雰囲気が違う。

 私の家は東京のはずれのはずれ、埼玉県との境である。一方Jeyさんのお宅は東京駅からタクシーで1メーターとちょっとの近さ。都心のど真ん中である。周囲の景色が全く違う。

 今日のメインイベントは、Jeyさんが最近導入されたCLASSE OMEGA MONOである。その巨体に汲めども尽きぬかと思わせるパワーを秘め、スピーカーを完全にコントロールしきってしまうという噂のパワーアンプである。

 島田さんはじめ多くの方が「これはすごい!」と感嘆されたという凄腕の持ち主。もちろん聴くのは初めてで、興味深々である。

 Jeyさんのお宅に到着してその姿をまじまじと眺めると、存在感はやはり圧倒的なものがある。しかし、「豪腕・豪快」といった荒々しいイメージではなく、アールのついたデザインやその表面仕上げの素晴らしさから、想像以上に洗練された優雅な佇まいを有していた。

まずはアップで


つづいて、やや引いて


 音の詳細や印象を御報告すべきであるが、ダブルヘッダーのOFF会はやはり結構疲れた。帰りの中央線は始発駅から乗るので座れたのであるが、それでも疲労感は残っている。そこで音の詳細等については明日にでも報告します。おやすみなさい・・・
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501:軽量級

2007年07月28日 | ノンジャンル
 明日はOFF会の予定が入っている。ということは今日は家族サービスデイである。本心は、今日の午後ダイナミックオーディオ6Fで行われたイベントに参加したかったのであるが、「じっと我慢の子であった。」「大五郎、3分間待つのだぞ・・・」(私が小学生の頃のCMである。ほとんどの人は分からないはず・・・)

 「HRS120をメインにDDDユニットの素晴らしさをHAL2で体験下さい。又、新製品の HRS120Carbon2のお披露目を予定しております。DDDユニットのチタンからカーボンへの違いを確認できます。当日は、ゼファンの安藤氏をお迎えしてHRS120Carbon2についてのいろんなお話しができればとおもいます。」

 メール通信を読んで、ぜひとも聴いてみたい、見てみたい・・・と思ったが、まあ、行かなかったほうが正解であろう。目に毒、耳に毒である。

 とはいえ、一度カーボンDDDを間近に眺め、その音を聴いてみたいものである。そして、ついでに指でつんつんしてみたいものである。本当に指つんしても大丈夫なのか自分の指で確認してみたい。

 ゼファンの安藤さんはわが家に何度か来ていただいた。納品時だけでなく、具合が悪くなった時にも何度か足を運んでいただいたので、すっかり顔なじみになってしまった。なんとVIOLAの巨大パワーアンプを一人で持ち上げるパワーの持ち主である。学生時代に相当体を鍛えたようであるが、凄いものである。もちろんHRS-120など軽がる持ち上げて運んでいってしまった。

 我が家の二つのスピーカーは幸いなことに軽量級である。どちらも一人で持ち上げることができる。でないとこの部屋で二つ併用は不可能である。もっと広い部屋なら2セット同時併用セットも可能であるかもしれないが、8畳間では無理・・・

 なので両者が軽量級であることは嬉しいかぎりである。しかし、そのオーナーが軽々しく動き回り落ち着きがないのは少し困りものである。
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500:かすかな記憶

2007年07月27日 | ノンジャンル
 先日トッパンホールでチェロのコンサートを聴いてきた。コンサートホールで実際の演奏を聴いてくると、しばらくはその聴いてきた楽器と同じ楽器ののソフトを聴く癖がある。今回はチェロであるので、ここ2日ほどはチェロのソフトを聴いた。

 もうひとつ、実際にコンサートホールで聴いてくると、しばらくはオーディオで音楽を聴く際の音量が普段より小さくなる癖もある。

 これは、実際にコンサートホールで聴いてみると、クラシックの場合それほどの大きな音量ではないのである。「普段オーディオで聴いているほうが大きいな。もう少し小さめで聴いた方がいいようだ。」と思うのである。

 しかし、時間が経ってくると音量が徐々に上がってくる。オーディオ的な快感度からするともう少し大きくてもいいかな・・・といった感じでひと目盛り上げたりするのである。

 音の記憶はそうは長く持たないもの。特に私の場合は時の経過と共にドンドン薄れていく。コンサートホールで聴いた音の記憶がしっかりと刻み付けられて離れなければいいのであるが、そのうちすっかり影も形もなくなってしまうのである。

 コンサートホールの音の再現がオーディオの目的ではないのであるが、ついついオーディオに「目をつぶったらコンサートホール」的なものを求めたくなってしまう傾向がある。

 そのために、コンサートホールにいくと、純粋に音楽を楽しむと共に、この音の質感を記憶しておかなければなどと余計なことを考えていたりもする。しかし、コンサートホールといってもホールによって音の質感は変わってくるし、席の位置によっても相当な変化があるので、あまり意味があるとは思えない。しかも音の記憶の鮮度はサンマよりも早く落ちてゆく。

 それでも昨日今日と、チェロのソフトを聴きながら、先日のトッパンホールの音のかすかな記憶との対比をしていた。その結果スピーカーの間隔はかなり狭まった。そしてリスニングポイントに若干近い位置に落ち着いた。「こんな質感だったような・・・」かなり不確かであるが・・・
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