AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

1995:8月31日

2011年08月31日 | ノンジャンル
 今日は8月31日。8月最後の日である。昼は気温が30度ほど、それなりに暑いが一頃の暑さに比べると勢いの衰えは明らかである。陽が落ちて夜になると、一斉に秋の虫が鳴き始め、季節の移ろいを印象付ける。

 夏は終わろうとしている。夏の終わり独特の、少し哀愁感を帯びた空気が感じられる。厳しい暑さが和らぐことに対して少しほっとする反面、強烈なまでの生気に溢れた季節が去っていくことに対しては、やはり寂しさを感じるものである。

 ロードバイクにとって、この季節の移ろいは歓迎すべきものである。ロングライドをする場合、猛暑はやはり大敵であった。何度か猛暑の中ロードバイクで長い距離を走ったが、体力の消耗は激しいものがあった。

 汗びっしょりになって、我が家に到着すると、妻からは「この暑いのによく走る気になるわね・・・」と言われることもあった。確かに最高気温35度を超えるような日に、熱中症の危険を感じながら何時間もの間ペダルを漕ぎ続けるのであるから、「物好き」と思われても仕方がない。

 どうやら台風12号が、こちらに向かってきているようである。土曜日には、ロングライドに出かけようと計画していたが、雨が心配である。台風に伴う大雨が降ったなら、当然キャンセル・・・小雨であったとしても、雨はロードバイクにとって大敵である。

 明日、明後日は、ほぼ確実に雨の予報・・・肝心の土曜日は、台風が早く移動したのであれば曇り、台風の移動スピードがゆっくりであれば雨、といった予報である。接近中の台風12号は、坂道に差し掛かった、私が乗るORBEA ONIXのように、足並みがゆっくりである。もう少し気合を入れて漕いで欲しいものである。

 二人の子供たちからは「自転車って面白いの・・・」と時々訊かれる。テニスやゴルフのようにゲーム性があるものではないので、傍目にはその面白みが分かりづらいようである。

 改めて問われると、どこが面白いのか説明に困る面は確かにある。でも、面白いようである。週末になるとロードバイクに乗って長い距離を走りたくなるからである。特に夏の暑さが和らぎ、涼やかな風が流れるこれからの季節、自然の緑を眺めながら川沿いの道を疾駆すれば、脳内はすぐさま快感度満載状態になるであろう。

 一種のトランス状態である。このトランス状態を経験すると、脳はそれを求める。人間が行動を選択する際には、脳が感じるであろう快感度が、鍵を握っているのかもしれない。
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1994:ぽろっ

2011年08月30日 | ノンジャンル
 VOLKSWAGENのPOLOの車内では、周囲に漏れてはいけないような秘密の言動を行ってはいけない。何故なら、POLOはその名のとおり、ついうっかり秘密を漏らしてしまうからである。

 しかしそんなことはお構いなしに、先週のゴルフスクールの帰り道、昭和の森ゴルフ練習場の広い駐車場の片隅の、Mitoに並んで停まったPOLOの車内で、「寧々ちゃん」と唇を合わせた。

 ほんのしばらくの間、甘い沈黙があって、「じゃあ・・・また来週・・・」と言い残して、「寧々ちゃん」はMitoに移った。

 Mitoの中域重視のエンジン音がして、そのオレンジ色に輝くヘッドライトが点灯した。ウィンドウがすっと下がって、「寧々ちゃん」は軽く手を振った。

 「寧々ちゃん」のMitoのリアのライトが何回か赤く灯るのを見送ってから、POLOのエンジンをかけた。Mitoよりも低域寄りのエンジン音がすっと立ち上がった。

 二人の不思議な関係は1年以上となる。不倫か不倫じゃないのかはっきりとしない中途半端な関係である。週に一度ゴルフスクールで顔を合わせるほかにも、時々二人きりで会うこともある。多摩エリアのうどん・そばの名店めぐりである。さらに多少強引に引き込んだ感のあるロードバイクでもこれからは顔を合わせる機会が増えるかもしれない。

 今晩はそのゴルフスクールの日である。このスクールにも通い始めて1年以上になる。スクール生は多少の入れ替わりはあるが、今は8名である。全員参加することは稀で、平均参加人数は6~7名である。平均年齢は40代半ばぐらいであろうか・・・結構高年齢である。

 鈴木プロは50代半ば、がっしりしたとした体つきである。身長は高くはないが、飛距離は出る。ラウンドレッスンで2度ほど一緒に回っているが、ドライバーで280ヤードは軽く飛ばす。

 レッスンプロは経済的にはあまり恵まれた職業ではないかもしれないが、「好きなことで生活できているんだから、幸せですよ・・・」と鈴木プロは何度か語っていた。

 そのレッスンは非常に熱心でかつ柔軟である。これといった一つの方式にこだわることなく、スクール生の癖や体力、能力に応じて、いろいろなアドバイスをしてくれる。

 私の場合は、飛距離がでるスウィングよりも方向性が安定し再現可能性の高いスウィングができるよう、いろいろとアドバイスをしてくれている。

 ユーティリティーでスウィングしている時に、後方からそのスウィングをチェックしていた鈴木プロは「taoさんは、手が早いですね・・・」とつぶやいた。

 私は、その言葉を耳にして、さっと青くなった。先週のPOLOの車内でのことを、どこかで鈴木プロに見られたのかと思ったのである。「まさか・・・」心の中で静かにつぶやいた。やはりPOLOは秘密を○○っと漏らす癖がある車だったのであろうか・・・

 「ダウンスウィングを始める時、つまり切り返しの時ですね・・・手から先にいっちゃってますよ・・・手は置いてきぼりにするくらいの気持ちで、下半身・・・特に腰の切れを先行させてください・・・そうするとチーピンが減ります・・・」鈴木プロは冷静な表情で言葉を繋いだ。

 「手・・・あっ、手ですか・・・無意識に手が出るんですよね・・・」ぼそぼそとした口調で言い訳がましく返答した。

 「手は我慢しきれずに体についてくるような感じで降ろしてくればいいんです。手は脇役に徹しないと・・・その感覚が、しっかり身についたら、方向性は絶対安定します。」鈴木プロはきっぱりとした口調でアドバイスを締めくくった。

 「そうか・・・手か・・・手が早いのか・・・」やや安心した表情に戻って、言われたとおり手を置いてきぼりにするイメージでトップからの切り返しを行う練習を続けた。

 「手が早い・・・」といきなり言われたので、大いに焦ってしまった。二つ隣の打席で練習している「寧々ちゃん」の後姿を何気に眺めた。その水色のポロシャツの背中にはうっすらと汗が滲んでいた。 
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1993:Pao邸再訪 3

2011年08月29日 | ノンジャンル
 「この界隈も昔とは相当変わってしまった。バルブ前はまだいたるところに下町っぽい暖かみがあったが、バブルの時にすべてが変わった。古い家や学生相手の安いおんぼろアパートは軒並み取り壊された。『神田川』の歌詞に出てくるような風景はすっかり影をひそめてしまった。」Paoさんは、やや感傷的な語り口で話し始めた。

 「この家は、俺が育った家だ・・・一旦家庭を持ってこの家を出たが、結局うまくいかず、この家に舞い戻った。通算でこの家に何年住んでいるんだろうな・・・まあ、何十年もの間だ・・・とても長い時間だ・・・できれば、俺が生きてる間は、壊したくないな・・・」

 「じゃあ、将来Paoさんが亡くなった時には、離れて住んでいる息子さんが相続することになりますから、その時に建て替えるでしょう・・・」

 Paoさんは相当以前に離婚している。一人っ子の息子は奥さんが引き取ったようである。子供が小さかった頃は定期的に子供とも会っていたようであるが、子供がある程度の年齢になってからは、会っていないようである。

 「そうだな・・・きっとそうなるだろ・・・養育費もあと1年半で終わる。扶養する家族もいない。俺一人であれば、別にがつがつすることはない。定年まで勤めて、あとは気楽な年金暮らしだ・・・ぜいたく言わなきゃ快適だ・・・」

 「まあ、この立地であれば隣近所のことを考えなくてもオーディオを鳴らせますからね・・・防音のしっかりした広いリスニングルームをあえて作らなくてもいいかもしれませんね・・・」

 この家の西側は甘泉園公園に接している。東側は道路である。北には5階建てのマンションが南側には小さな出版社のビルが建っている。音が漏れても近隣に迷惑がかかる環境ではない。事実Paoさんはそれなりの音量でマーラーのシンフォニーをかける。

 「高気密・高断熱なんてのは、俺は音に良くないと思ってるんだ・・・適度に抜けがある方が良いんだよ・・・その方が音が寸止まりにならなくて抜けて行くんだ。するとこんな狭い部屋でも、少しは広く感じるってもんだ・・・」

 「じゃあ、私のところのリスニングルームなんて最低ですね・・・狭いうえに高気密・高断熱ですから・・・」

 「ありゃ、だめだめ・・・だめの上塗りだよ・・・まだ2階の方が良いよ・・・あっちは普通の部屋だからな・・・」

 いつものPaoさん節が出てきてしまった。この人は歯に衣着せぬというか、罵詈雑言と言おうか、痛いところをずかずかと突いてくる。不思議とこれだけ悪く言われても、変に気に障らない・・・Paoさんの人間性のあらわれであろうか・・・
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1992:Pao邸再訪 2

2011年08月28日 | ノンジャンル
 「た~ん、たん、たん、た~たん、たたた~たたた~たた~たん、た~たたたた~ん、どん!どん!たたた~ん、どん!どん!たたた~た~た~た~た~・・・た~ら~・・・た~ら~・・・」

 マーラーの交響曲第3番第1楽章の冒頭部分である。Paoさんのお宅のD-55は、ユニットが新しいものに変わって3ケ月ほどとのこと。まだ多少の硬さは残っているが、おおむねこなれてきているようで、音の俊足具合とため具合が良い感じでバランスしている。

 Paoさん流に言うと「ドンッと沈んで、パンッと散る・・・」感じの音ということになる。確かに「どん!どん!」のところの沈み具合は、過去のわずかに残っている音の記憶よりもよりしっかりりと腰を落としているように感じる。

 「た~ら~・・・た~ら~・・・」のところは、弱音が空中に漂うような感じが、より上手く表現できているようである。

 Paoさんは、けっして楽章の途中で曲を止めない。30分以上ある第1楽章を全部かけてから、「このユニット、なかなか性能が上がっているんだ・・・まだ音はこなれきっていないけど、既に前のユニットを凌駕する威力がある。」と語った。

 「ふむ、ふむ・・・」私はうなずきながら、「帯域が広くなったような印象を受けますね。広くなったけど薄くならない・・・ユニットを新しい世代のものに変えた以外に、CDプレーヤーの改良バージョンを最新にアップしたとか、されましたか?」と訊いてみた。

 「CD34ね・・・まだ一世代前の改良バージョンのままだよ。本当は最新バージョンにしたいんだけどね・・・先立つものが無くてね・・・いずれはするつもりだけど・・・」

 「いったい、バージョンは幾つあるんですか?」

 「確か、家のが第5世代で、最新バージョンは第6世代のはずだけど・・・正確にはよくわからないんだけどね・・・」

 PaoさんのMARANTZ CD34は見かけは普通のCDプレーヤーだけれども、中身は相当に高度が改良が数次にわたって行われているスペシャルモデルなのである。

 次のCDはマーラーの交響曲第2番の第1楽章であった。(カプラン指揮のウィーンフィルの演奏)・・・実はPaoさんはマーラーが大好きである。何故かしらブルックナーは毛嫌いしているが、大のマーラーびいきである。

 その後ベートーベンのピアノ協奏曲第3番第1楽章や、シベリウスのバイオリン協奏曲第1楽章などがかかった。Paoさんは編成の大きなクラシックが好きで、室内楽や器楽曲はほとんどかからない。また、私のメインジャンルであるバロックも全くかからない。

 「ビバルディってどの曲も、俺には同じに聴こえる。どこがいいんだか・・・どの曲も同じに聴こえるという点では、ブルックナーも同じだね・・・」結構辛辣である。

 一通り、Paoさん推薦のCDを聴かせていただいた。その後オーディオ談義などをしているなかで、前から思っていたことを質問してみた。

 「この家は相当な築年数が経過していますから、そろそろ建替え時かもしれませんね。相続も一区切りつきました・・・このエリアなら収益物件として良いものが建つでしょう。最上階を自宅にして・・・広いリスニングルームも可能ですよ・・・」

 「まあ、確かにそうだな・・・周りの古い家やアパートはほとんどみんなそうなったよ・・・5階建くらいのものは建つかもな・・・ワンルームを学生に貸せば収入もそれなり入るだろ・・・」そう話したPaoさんの声のトーンはやや低めで抑揚がなかった。
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1991:Pao邸再訪

2011年08月27日 | ノンジャンル
 今日はPaoさんのお宅を訪問した。OFF会は従たる目的で、主目的は仕事であった。実はPaoさんの母親が数カ月前に亡くなった。Paoさんは母親と二人暮らしであった。法定相続人はPaoさん一人である。母親は新宿区西早稲田にある程度広い土地を残した。そのため、相続税の申告が必要になったのである。その申告のお手伝いを私がすることになったのである。

 その申告書が出来上がったので、署名と押印をもらうのが、今日の主たる訪問目的であった。それだけであれば、すぐに用事が済むので、その後Paoさんのシステムを聴かせていただく運びとなったのである。

 Paoさんのシステムの音に触れるのは1年ぶりぐらいであろうか。プリアンプがマーク・レビンソンのNo.26SLに変わった際に一度お邪魔した。それ以来ということになる。

 使用機器に関しては変更はない。送り出しはMARANTZのCD34。外観からは窺い知れないが、内部は相当な費用をかけて改造が行われている。Paoさんによると改造は複数回行われていて、かかった経費を加算すると100万円近く投資しているそうである。本体の元の値段は数万円程度とのことであるので、過剰なまでの投資がなされていることになる。

 プリアンプはマークレビンソンNO.26SL。薄型のキレのあるデザインである。そしてパワーアンプは、Lo-D。かなり古いもので、真っ黒でがっしりとした躯体をしている。見るからにマッチョな姿かたちである。

 そして、スピーカーは長岡鉄男氏が設計した自作もの。バックロードホーンを採用した、いかにも勢いよく音を放出しそうな外観をしている。型番は確か「0-55」だったような気がする。うる覚えである。「なんだか機関車みたいな型番だな・・・」と思った記憶がある。

 ユニットはフォステクス製で、何度か最新のものに取り換えているようである。先日日程を打ち合わせるメールをやり取りした際「前回taoさんに来てもらった時とは、ユニットが変更になっていると思います。これが、同じメーカーのものなのですが、ぐっと密度感がでて、良い感じなんです。マーラー第3番の出だしの所なんか、グンと沈み込みます。その後パンッと散って、爽快です。まあ、お楽しみに・・・・」と書かれてあった。

 「グンと沈み込んで、パンッと散るか・・・Paoさん好みの音のようである・・・」その音の表現に、少々微笑みながらそう思った。

 高田馬場駅からバスに乗った。西早稲田のバス停で降りて、甘泉園の方へ向かう。公園の中を抜けるとすぐにPaoさんのお宅である。

 甘泉園は回遊式の日本庭園を擁する公園である。あまり目立たない場所にあるため、人影はまばらである。ちょっとした都会のオアシスといった風情である。

 お宅は古い木造の2階建てで、その2階にあるリスニングルームは8畳ほどの広さ。もともと和室であったものをリフォームされたようである。

 ラックも自作のようで、頑丈で飾り気のない外観をしている。レイアウトはセンターラックで、スピーカーは並行設置である。Paoさんの律儀な性格を表しているかのようである。

 最初に取りだされたCDは、マーラーの交響曲第3番であった。ショルティ指揮のシカゴ交響楽団の演奏のものである。
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