AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

3946:空白

2016年12月31日 | ノンジャンル
 先週のクリスマスウィークはインフルエンザに罹患して悲惨な1週間を過ごした。その間、ジムでのトレーニングは当然行けなかった。

 月曜日になって仕事には復帰したが、まだ体調が悪く、水曜日まではジムでのトレーニングはできない状況であった。

 結局10日間穴が空いた状態となった。既に5年ほどの期間継続している「一日置き作戦」は空白の10日間を初めて迎えた。

 そして木曜日になってからジムへ行った。いつものように着替えを済ませ、エアロバイクに跨った。そして漕ぎ始めた。

 最初の5分間はウォームアップ。その後負荷を上げる。10日間の空白だけでなく、インフルエンザの影響もあってか、負荷を上げて20分もすると、その負荷に体がついていけなくなった。

 20分を経過して、負荷を下げた。その後の35分間は負荷を下げたまま漕ぎつづけた。どうにか60分のトレーニングタイムが経過した。消費カロリーは650キロカロリーと表示された。普段の負荷であれば800キロカロリーであるから、同じ60分であってもその負荷は8割ほどである。

 「かなり、影響があるものだな・・・」と思った。「少しづつ戻していくしかないか・・・」シャワーを浴びながら考えた。汗の量は負荷を2割ほど下げてもそれほど変わらないような気がした。

 翌日の金曜日もジムへ行った。そして、同じことを繰り返した。30分ほどは強めの負荷にも耐えらえたが、その後は負荷を弱めざる得なかった。

 同じく60分間のトレーニングを終えた。消費カロリーは720キロカロリーであった。普段の消費カロリーの90%である。

 心肺機能はまだまだ元には戻らない。エアロバイクを漕ぎながら咳が出ることも数回あった。「昨日よりはましだけど、まだまだかな・・・」そう思いながら、大量にかいた汗をシャワーで流し去った。

 そして今日、2016年の最後の日にもジムへ行った。これで10日間の空白の後3日連続でのトレーニングとなる。

 5分間のウォームアップを終わって、負荷をいつもの基準に合わせた。前半は1~25まで段階的に設定できるペダル強度を「17」に合わせる。

 その状態でスピード表示が「27.0km/h」以上になるようにペダルを回す。5分間のウォームアップの後25分間、タイマーが30分を表示するまで、この負荷を維持する。

 結構しんどい。どうにかタイマーの表示が30分を示した。残り半分である。後半はペダル強度を最高の「25」に上げる。

 当然ケイデンスはぐっと下がる。スピード表示が「22.0km/h」以上になるようにペダルを回し続ける。

 時間が経過するのがひどく遅く感じられる。体力はまだ元には戻っていないようで、酷く疲れてくる。

 スピード表示をちらちらと見てチェックしながら漕いだ。気を抜くとすぐさまその数字が基準よりも低くなってしまう。

 60分がようやく経過した。消費カロリーは780キロカロリー。負荷はおおよそいつもの負荷に戻りつつあったが、体の疲れ方はいつもよりもはるかに激しいものであった。

 シャワーを浴びているときも時々両手を膝にあててしまうほどの消耗度であった。「まだ、体調は戻らないな・・・戻るまでもう少し続けてみよう・・・」

 期せずしてインフルエンザによってもたらされた「空白の10日間」は、私に大きな教訓をもたらしてくれた。それは「継続することの大切さ」とでもいうものであろうか・・・
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3945:ブリティッシュサウンド

2016年12月30日 | ノンジャンル
 MERIDIAN 207 MKⅡのトレイには、ブラームスの歌曲集のCDがセットされた。演奏は白井光子(ソプラノ)、ハルトムート・ヘル(ピアノ)。1987年のドイツ録音である。

 6つのリート Op.86 第2曲「野の寂しさ」が流れ出した。ゆるやかなピアノ伴奏に続いて、河の流れのようにソプラノが響き渡る。

 その深い表現の見事な歌唱が聴く者を強く惹きつける。言葉の持つの重みを噛みしめ味わうように歌う白井光子のソプラノに、歩調をしっかりと合わせて寄り添うハルムート・ヘルのピアノが実に音楽的で、格調の高い演奏を聴かせてくれる。

 そのCDを聴き終わり、CDを入れ替えた。次にMERIDIAN 207 MKⅡのトレイの上に乗ったのはハイドン:チェロ協奏曲 ハ長調である。チェロはミクローシュ・ペレーニ。ヤーノシュ・ローラ指揮のフランツ・リスト室内管弦楽団の演奏である。1979年、ハンガリーでの録音である。

 ペレーニのチェロは味わい深い演奏である。奏法や音色についてはっとするようなところは少ないかもしれないが、実に奥ゆかしい印象を持つ。

 伴奏のオーケストラも、淡々とした表情ながら、ソリストをしっかりとサポートをしている。ぺレーニにもオーケストラにも強い自己顕示欲が見当たらない。どこかしら澄み切った潔さとでも言うべきものを感じる。

 CDを2枚聴いた。ある意味「これぞ英国!」というシステムである。MERIDIAN 207 MKⅡ、MERIDIAN 205、Spendor SP-1というラインナップが聴かせる音は、やはり英国的であった。

 濃密な音とでも評すべきであろうか・・・Sprndorのスピーカーは、HARBETHに比べるとやや音調は暗めである。

 アコースティック楽器の響きを美しく表現する。箱の響きを抑え込むのではなく、上手く調整することにより活かす方向のスピーカーである。

 低域にはきりりとした表情はなく、聴く者をふんわり包み込むような感じでやんわりと迫ってくる感じである。

 音の密度は高く、変なバランスでの強調感が少ないので、飽きることはない。良質なブリティッシュサウンドと言った感じである。
 
 「良い感じで纏まっていますね・・・」

 私は呟くようにそう言った。ふと漏れ出るように口を出た言葉であった。視界の右側に置かれたMERIDIAN 207 MKⅡはとても小さなオーディオ機器であるが、キラキラと光って見えた。

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3944:MERIDIAN

2016年12月29日 | ノンジャンル
 「オーディオショップ・グレン」では、リスニングポイントから見て右手に横長の三段のラックが置かれている。メイプルの色合いの木製で清潔感があるラックである。メーカー製ではなく特注の物のようである。

 普通のオーディオ機器のサイズであれば全部で九つのオーディオ機器が収納できる。いつもはそのラックが満杯になっていることは少ない。

 「うちは在庫はあまり持たないんだ・・・ほとんどが依頼されてから、英国で探すので、店にあるのはほんの一時だけって感じだから・・・」

 小暮さんはよくそう話していた。今日、そのラックの最上段には、Roksan XERXES10が左端に置いてあった。アームはRoksan ARTEMIZ。カートリッジはMC20であった。

 さらに中段の真ん中にはLEAKのPoint Oneがあり、そのすぐ下にはLEAKのSTEREO 20が置かれていた。

 しかし、XERXES10のターンテーブルは回転していなかた。さらにLEAKのペアにもオレンジ色の灯りはついていなかった。

 ラックの最上段の右端にはMERIDIAN 207 MkⅡが置かれていた。二つの躯体に別れていて、背面を一本のケーブルが繋いでいた。

 MERIDIAN 207 MKⅡはCDプレーヤー。そのデザインセンスの秀逸さには唸らずにはいられない。プリアンプ機能も有しているので、パワーアンプに接続すれば、駆動系が完成する。

 そのMERIDIAN207 MKⅡが置かれている下の段にはMERIDIAN205が置かれていた。小ぶりなモノラルパワーアンプである。

 横幅は普通の機器のちょうど半分ほど。縦長の躯体を二つ並べて置くと、ちょうど普通のサイズのオーディオ機器1台分のスペースを占有することになる。

 そのフロントパネルは全面がヒートシンクになっていて、モダンな造形である。このシンプルにしてモダンな造形は潔い。QUAD405にも通じるデザインである。

 「MERIDIAN 207 MKⅡ・・・MERIDIAN 205・・・そして、Spendor SP-1・・・このシステムは、どなたから依頼されたものですか・・・?」

 「そう・・・今チェック中・・・イギリスからは2週間ほど前に着いてね・・・207と205はいつも頼んでいる業者さんに頼んでレストアしてもらって、電圧も100Vに変更してあってね・・・業者から戻ってきたばかりなんだ・・・」

 MERIDIAN 207 MKⅡを操作するとトレイがすっと開いた。CDをセットしてPLAYボタンを軽く押した。トレイはスムースに戻り、CDが回転する音がかすかに漏れ聴こえてきた。


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3943:Spendor

2016年12月28日 | ノンジャンル
 「Mimizuku」でしばらく過ごしたのち、私は同じビルの4階に居を構える「オーディオショップ・グレン」に向かった。

 事前に小暮さんにスマホでメールしてみると、「今日は何もない日でね・・・店にいます・・・」との返答を得ていた。

 階段で4階まで上った。この古いビルは5階建てである。1階は「Mimiuzuku」、2階には「光通商」という名前の正体不明の会社が入っている。

 3階は空いているようで、なんの看板や表札もかかっていなかった。そして4階が「オーディオショップ・グレン」である。

 5階には上ることはないが、1階の階段脇にある集合ポストには「高橋法律事務所」と表記されていた。

 4階まで上がると息が切れた。インフルエンザでダメージを負った体には少々厳しめ負荷であったのであろうか・・・

 ドアをノックした。金属製のドアは硬質で濁った音を発した。「どうぞ・・・」ドアの向こうから声がした。

 中に入るといつもの風景が広がっていた。黒い革製の3人掛けソファに座った。腰を掛けるとシュッと音がして、その牛革の表皮は軽く沈んだ。

 スピーカーは1セットだけいつもの位置に置いてあった。そのスピーカーはSpendor SP-1であった。SP-1は専用のスティール製のスタンドに乗っていた。

 「オーディオショップ・グレン」では、TANNOYの古いスピーカーを多く扱っているが、時折SpendorやHARBETHの古いスピーカーも英国から入ってくるようであった。

 「Spendorは日本ではそれほど人気はないかもしれないけど、一部には愛好家がいてね・・・これはSP-1のオリジナルで、1983年の発売・・・」

 「良いプロポーションですね・・・」

 「なんだかほっとするよね・・・この姿・・・専用スタンドも良い感じだし・・・」

 SP-1はBC-1の音の思想を継承しつつ、1980年代に入り急速に普及し始めたデジタルサウンドに対応するために開発されたスピーカーである。

 低域には20cmコーン型ウーファーを、高域には3.8cmドーム型ツィーター、さらに超高域にはドーム型スーパーツィーターを搭載している。

 エンクロージャーは、Spendorの代表作ともいえるBC-IIと同一サイズでまとめられている。外観は穏やかな質感を醸し出すチーク仕上げである。
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3942:ファイブイヤーズ

2016年12月27日 | ノンジャンル
 そこでは、時間の堆積が下へ下へと向かっていくのか、店の中の空気感は静かに淀んでいた。店内に入り、いつものようにカウンター席に座った。

 珈琲を頼んだ。女主人は珈琲豆を電動ミルで挽いて、さらにそれを「チャフノン」に入れる。珈琲豆を挽いた時に出る微粉や渋皮は珈琲の雑味の原因になるようで、この「チャフノン」は、そういったものを見事に除去してくれる。

 そして、茶色のぺーパーフィルターに粉を入れて、取っ手部分の柄が木になっているドリップサーバーで、ゆっくりと珈琲を淹れていった。

 その細い湯は、静かに湯気を空間に発しながら緩やかな弧を描いて落ちていった。砂時計の砂の流れを思わせるその細い湯の流れは、途切れることなく珈琲の粉の中へ入り込んでいき、やがてコーヒーカップのなかに黒い液体となって流れ出していた。

 「Mimizuku」の珈琲は雑味のない澄んだ味わいをしている。小ぶりなカップに入れられていて、お揃いのソーサにそのカップは乗っている。

 白い地に幾何学模様が描かれたこのカップとソーサーのセットは、どのくらいの年月この店で活躍しているのであろうか・・・数年ではない長い年月であるような気がする。10年・・20年・・・あるいは30年以上であろうか・・・

 カウンターに何気なく置いてあるSONY製のラジカセは、静かに音楽を流していた。カセットテープではなく、FM放送が流れていた。ラジカセの背面に取り付けられている銀色のアンテナは伸ばされてちょうど45度の角度で空間を仕切っていた。

 珈琲が出来上がった時、FM放送はデビッド・ボウイの「ファイブイヤーズ」を流していた。年末のこの時期は1年を振り返る時期である。

 その曲を聞き流し、珈琲の香りに鼻孔を揺らした。そしてその珈琲をゆっくりと飲んだ。次にFM放送から流れてきたのは同じくデビッド・ボウイの「ジョー・ザ・ライオン」であった。

 どうやらデビッド・ボウイの特集をしているようである。そうやって世間は1年を締めくくり、過去の倉庫へ送り出そうとしているかのようである。

 「Mimizuku」で珈琲を飲んでいると、そんな1年の区切りがそれほど意味のないもののように思えてくる。

 逝く人は逝くにまかせ、時間は堆積にするにまかせ、ただただ雑味のない珈琲を味わうように、人生をやり過ごせばいいような気になってくる。
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