AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

4765:ニューマシーン

2019年03月31日 | ノンジャンル
 昨晩は、寒いうえに本格的に雨が降った。その雨は今朝には止んでいた。路面は濡れていた。その様子を窓から眺めて、「今日はロードバイクが汚れるな・・・」と思った。

 6時過ぎに起きだして、サイクルウェアに着替えた。空は灰色の雲で覆われていて、太陽の姿は全く見えなかった。

 「これは寒そうだ・・・」と思い、迷わず冬用のサイクルジャージを選択した。「はやく起きた朝は・・・」と観終わってから、LOOK 785 HUEZに跨って走り始めた。

 寒かった。冬用ジャージの上にウィンドブレーカーを着用していたが、それでも身が引き締まるような感じであった。

 多摩湖サクリングロードを抜けていった。桜の花も冷たい空気と灰色の空の下で縮こまっているかのような感じであった。



 集合場所であるバイクルプラザに着いた。するとサプライズがあった。リーダーのロードバイクがニューマシーンになっていたのである。

 鮮やかなミントグリーンの色合いのニューマシーンは、ORBEA ORCA OMR DISCであった。ディスクブレーキのロードバイクはチーム内で2台目となる。

 1台目も同じくORBEA ORCA OMR DISCであった。しかし、カラーリングが違うので、受ける印象が随分と違う。



 2台並べて見比べてみたが、カラーリングによって受ける印象が違うものだと改めて思った。ミントグリーンのカラーリングだとORCA OMRのマッシブな造形がより際立つ。

 ニューマシーンはカンパニョール ボーラ ウルトラ50を履いていたこともあり、その見た目的なインパクトは高かった。

 ほんの少し乗らせてもらった。軽く剛性感が高い。LOOK 785 HUEZと比べるとマッシブな印象を受ける。「レーシーなバイクだな・・・戦闘意欲が増す感じ・・・」

 私のサイクルシューズにはTIMEのクリートが付いているので、LOOKのペダルには合わないが、軽く足を添えて走るつもりが、右足のクリートがカチッと嵌まってしまった。乗り終えた後にそのクリートを外すのに随分と苦労した。

 今日の目的地は定番コースの一つである「都民の森」に決まった。今日の参加者は7名であった。そのロードバイクの内訳はORBEAが3台、COLNAGOが2台で、KuotaとLOOKが1台づつであった。

 リーダーのニューマシーンを先頭にして7台のロードバイクは走り始めた。朝のうちはやはり寒いままであった。

 小平市の市街地を抜けていった。ところどころ桜が綺麗に咲いていた。満開に近い桜の様子と体感する空気の冷たさの具合が少々そぐわない感じであった。
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4764:音楽≧オーディオ

2019年03月30日 | ノンジャンル
 綺麗に棚に収納されたレコードの枚数とCDの枚数の比率は、9:1ぐらいであろうか・・・明らかにアナログ重視の姿勢が見て取れた。

 しばしの談笑タイムの後、音楽タイムとなった。「我が家のオーディオ装置は見てのとおり古いものばかりで人に聴かせるようなものではないのですが・・・」Yさんはそう言いながら、レコード棚を一通り見まわして、一つのレコードを取り出した。
 
 それは真っ赤な色をしたボックスに入っていた。豪華な装丁のボックスの中には3枚のレコードが入っていた。

 そのレコードはジョルジュ・エネスコによるバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータの全曲集である。

 バッハは3曲のソナタと同じく3曲のパルティータを作曲した。合計6曲からなる無伴奏のヴァイオリン曲は、今日では古今の名作の一つに数えられる。

 Yさんはその3枚のレコードの中から一枚を選んでKENWOOD KP-1100のターンテーブルの上に乗せた。「ソナタの3番です・・・実はこの曲が6曲の中で一番好きなんです・・・」と話された。

 とても古い録音であるので音が良いわけではない。エネスコの演奏も表面的に聴くとその良さを理解するのは相当に難しいものである。

 そのレコードを最初に持ってくるあたり、明らかにYさんは「オーディオマニア」ではなく「音楽マニア」であることが窺えた。

 「この赤いボックスは復刻盤です。オリジナル盤は目が飛び出るような価格になるので手は出せません・・・」Yさんが話されたように、このレコードのオリジナル盤が一般の流通ルートに出ることは極めて稀で、出ても購入するのがためらわれるほどに高い価格になっている。

 エネスコのヴァイオリンによるバッハのソナタ第3番が流れ出した。エネスコの演奏には官能性と精神性とが奇跡的に共存していると評価されている。

 その稀有な共存を聴き取ろうと耳を凝らした。Yさんのオーディオシステムに関してはそれほど期待値が高かったわけではない。

 使用されている機材を見る限りドンシャリ傾向の硬めの音が出てくるのではと予想していた。しかし、意外にナローな音であった。

 どの機器も20年から30年ほどの時間の経過を経たものであるので、良い具合にエージングが進んでいるのかもしれない。

 ソナタ第3番を全て聴いた。エネスコの演奏は自然に体に沁み込むような感がある。音程やボーイングに関して欠点を見出すことは容易であるが、そういったものをはるかに超越した精神性の高さを窺うことができた。

 続いてかかったのは、ディヌ・リパッティのピアノによるモーツァルト ピアノ協奏曲21番であった。オーケストラはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮によるルツェルン祝祭管弦楽団。

 「このレコードは1960年代の初頭リリースされたもので、日本で製造されたレコードですが英国直輸入スタンパー使っていたので、音質は良いです・・・」Yさんは簡潔に説明された。

 厳密な意味合いにおいてはオリジナル盤ではないが、同時代の英仏盤と同じ空気感を感じられるレコードである。

 アナログらしい締まった密度のある音と音色が心地いい。このKENWOODのアナログプレーヤーは基本的な性能は相当高いもののようであった。カートリッジはオーディオテクニカ製のものが使われていた。

 リパッティのピアノは瑞々しいタッチが心をゆすり、絶妙なニュアンスを漂わせた音色が心を溶かす。実に良い演奏である。
 
 カラヤン指揮のルツェルン祝祭管弦楽団は、リパッティの表現の世界に溶け込むような演奏を聴かせていて、その注意深いサポートの姿勢は実に頼もしい。

 その後もクラシックのレコードを数枚聴かせていただいた。結局CDの出番はなかった。オーディオ的には素晴らしいものがあるわけではなかったが、かかるレコードがどれも素晴らしいものばかりで、じっくりとレコード演奏を堪能できた。

 とても健全な音楽とのかかわり方を垣間見ることができて、素晴らしい時間を過ごすことができた。こういう完全に「音楽≧オーディオ」的な様相のOFF会も良いものである。
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4763:D-77MRX

2019年03月29日 | ノンジャンル
 Yさんのオーディオシステムのラインナップは、Paoさんから引き継いだAurex SY-Λ88ⅡとLo-D HMA-9500が駆動系を構成していて、送り出しであるレコードプレーヤーはKENWOOD KP-1100、CDプレーヤーはKENWOOD DP-1100SGであり、システムの要となるスピーカーはONKYO D-77MRXである。

 6畳間の短辺側にシステムは設置されている。センターラック方式の配置で、ラックにはタオックのSS-4が使われている。鋳鉄製の4段ラックはがっちりとして重そうである。

 その4段ラックに、上から順番に、KENWOOD KP-1100、KENWOOD DP-1100SG、Aurex SY-Λ88Ⅱ、Lo-D HMA-9500と並んでいる様は、実に重厚感があふれている。

 ラックは鋳鉄製で濃い目のグレー、四つ並んだオーディオ機器は真っ黒なものばかり。その色合いと四つの機器のデザインが醸し出す雰囲気は少々ハードボイルドである。

 そして、そのタオック製のラックを真ん中にして、ONKYO D-77MRXが両側に立ち並んでいる。ニアフィールドに置かれたリクライニングチェアに腰かけた。リクライニングチェアは折り畳み式の「ニーチェアX」である。

 そのため普通のソファに腰かけるよりは、耳の位置が低くくなる。二つ並んだ「ニーチェアX」に私とPaoさんが座り、Yさんはその後方ダイニングルームから持ち込まれたダイニングチェアに座った。

 「ニーチェアX」に深く腰掛けて、前方近くに並ぶオーディオシステムを眺めた。その風景は何というか、一世代前のオーディオシステムの象徴的な眺めのような気がした。

 その風景は特定の世代にとっては、一種得も言われぬ桃源郷的な風情を醸し出してくれるものなのかもしれない。

 ONKYO D-77MRXはONKYOのロングセラーモデルであるD-77の何世代目かのモデルであり、Yさんによると、2000年に発売されたモデルとのことである。

 見た目は「これぞ!MADE IN JAPAN」といった風貌である。サランネットを外すと30cmのウーファーの存在感がある。

 スコーカーには12cmのユニットを採用している。ツィーターは2.5cmのドーム型、どうやらその当時の最新の素材が奢られているようである。

 専用のスタンドに乗せられたそのスピーカーは、実に折り目正しい音が出てくるような予感を醸し出している。

 「遊び心」といったものはまったく感じられないが、パワフルで均整の取れた筋肉質的な音が放出されるのでは、と思ってしまう外観である。

 先日、「オーディオショップ・グレン」で聴いたSONY SS-A7が、日本製でありながらどこかしらイギリス製のスピーカーを思わせるような外観であったの対して、ONKYO D-77MRXは紛うことなき「MADE IN JAPAN」のスピーカーである。
 
 正直に言うと、この手のスピーカーはあまり好きではない。まじめさだけが前面に出ていて、ゆとりというか余裕が感じられない。

 PaoさんのYAMAHA NS-5000はプロポーションは同じようであるが、外観がピアノブラック仕上げであるので、華麗さが感じられるのが救いである。

 しばしの雑談タイムを過ごした。リスニングルームにはレコード棚が置かれていて相当な枚数のレコードが几帳面に収納されていた。 
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4762:野方駅

2019年03月28日 | ノンジャンル
 Paoさんのオーディオ機器はここ数年で随分と変わった。知り合った当初のラインナップは、スピーカーが長岡鉄男氏設計のD-55、CDプレーヤーはMarantz CD34をアンプ製作で有名な工藤氏が大幅に改造したもの、プリアンプがAurex SY-Λ88Ⅱで、パワーアンプがLo-D HMA-9500であった。

 CDプレーヤーは今も同じものを使われているが、プリアンプがMark LevinsonのNo.26Lに変わり、パワーアンプも同じMark LevinsonのNo.27.5に変わった。いわゆる「オールドレビンソン」と呼ばれることの多い30年ほど前のMark Levinson製のアンプである。

 さらに2年ほど前にスピーカーが変わった。それは予想もしていなかったもので、YAHAMA NS-5000である。

 NS-5000はヤマハのスピーカー技術を結集し、2016年に発売された30cm3ウェイスピーカーである。ノンカラーレーション、ワイドレンジ、全帯域にわたる一貫した音色を追求した高級スピーカーである。

 「退職金ががっぽり入ったのでね・・・ちょっと贅沢なものが欲しくなって・・・」そう言ってPaoさんは照れ笑いをしていた。

 今日の午後、高田馬場駅でPaoさんと待ち合わをした。Paoさんと会うのは、1年ぶりである。実は今日は、Paoさんがかつてお使いであった、Aurex SY-Λ88ⅡとLo-D HMA-9500を引き取られたYさんのお宅に伺う予定が入っていたのである。

 Paoさんの知り合いであるYさんと会うのは初めてである。PaoさんとYさんは大学の同級生とのことである。

 「オーディオマニアって言うわけではないけどね・・・以前はSansuiのプリメインアンプを使っていたんだけど、Aurex SY-Λ88ⅡとLo-D HMA-9500を譲ろうかと言ったら、二つ返事だったよ・・・」

 「世代的には、俺と同じで、中学生・高校生の頃にオーディオブームの洗礼を受けているので、嫌いじゃないみたい・・・」

 Paoさんは、Yさんをそう評した。Yさんのお宅は、高田馬場から西武新宿線の各駅停車に乗って、10分くらいのところにある「野方」が最寄り駅である。

 駅の改札口でYさんが待っていてくれた。簡単に挨拶を済ませて、少し歩いた。今日は比較的暖かい日である。古くどこかしら懐かしさを感じさせてくれる商店街を抜けていった。

 商店街を抜けて、さらに数分歩いた先にあるマンションの一室がYさんのご自宅である。Yさんは2年前に定年退職を迎え、その後は嘱託社員として週に3日働いているとのことであった。

 子供2人は既に独立し、今は夫婦二人でこの3DKのマンションに暮らしている。かつて子供部屋であった6畳の洋間が、リスニングルームになっている。
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4761:カレーうどん

2019年03月27日 | ノンジャンル
 大垂水峠を越えて相模湖方面へ下っていった。しばし下っていくと、いつも曲がる際の目印になっている「さがみこ歯科医院」の淡いピンクの建物が見えてきた。

 そのすぐ手前を左折して相模湖公園へ向かう坂を下っていった。公園のすぐ手前には信号がある。赤信号であったので少し待ってから、公園へ入った。

 相模湖は予想通り、陽光に照らされてきらきらと輝いていた。湖面には競技用のボートや観光用のボートが浮かんでいた。



 朝の寒さはもうなかった。相模湖は観光地としてはややさびれてしまっている感があるが、今日は中国人を乗せた大型観光バスが1台駐車場に停まっていて、中国人観光客が湖を背景にして写真を撮っていた。

 素晴らしい眺めと暖かい陽光に恵まれて、いつもよりも長めの休憩をした。競技用のボートは細く長い。

 ボート部の部員たちは、陸にあげられたボートを熱心に手入れしていた。「一艇、幾らくらいするんだろう・・・?きっと高いんだろうな・・・」と下世話な疑問が心に浮かんだ。

 相模湖での休憩を切り上げて、帰路につくこととなった。帰路では大垂水峠の上り返しが待っている。

 つい先ほど下ってきた道を逆方向に上っていった。無理のないペースで走っていった。ペースが上がるのはやはり残り距離が3km程になってからである。
 


 12台のロードバイクは縦に長くなっていた。そろそろ残り距離が3km程の地点に達したので、後方から少しづつ前の方へポジションを移動していった。

 相模湖側から上る大垂水峠も斜度は厳しいものではない。バトルモードになると必然的にハイスピードで走ることになる。

 高尾側から走ったヒルクライムで相当脚を使ったので、脚の余力は残り少なかった。無駄に脚は使えない状況であった。

 隊列の前の方に出た。上り返しも終盤に向かっていった。ペースがさらに上がった。ここで前を行くメンバーに付いていくため、私もペースを上げた。

 ペースを上げると、充電量は急激に減っていってしまう。スマホの充電量が15%未満になるとスマホの画面には警告が出るが、私の脚の余力もその警告ラインを超えて、さらに勢いよく減っていった。

 そして、ゴールのすぐ手前で充電量がなくなった。スマホの画面が真っ暗になるように、私の脚もすっかり回らなくなった。

 最後は惰性で走るのみで、ラストスパートはできなかった。脚の使いどころを誤ったようであった。抑えるべきところは抑えないといけないと身に染みて感じた。

 大垂水峠の上り返しを終えると、後は脚を消耗するポイントはない。高尾側へ下っていって、甲州街道を走った。

 「町田街道入口」の交差点を左折して、浅川サイクリングロードに入った。マラソン大会はほぼ終了していて、通行止めはなく、走ることができた。

 大和田橋まで浅川サイクリングロードを走って、大和田橋を渡った。甲州街道を少し走ってから左折して、多摩大橋通りを北へ向かった。

 多摩大橋の手前のセブンイレブンで昼食休憩をした。昼食に選んだのは、カレーうどん。セブンイレブンのカレーうどんは和風だしが効いていてまったり系の味わいである。

 うどんは特にこしが強いわけでもなく、つるっとしてもっちり。なかなか美味であった。コスパは高いと感じた。

 昼食休憩後は、走り慣れたコースを整然と走った。カレーうどんは胃袋の中でゆすられて、徐々に消化されていった。

 そのカレーうどんがすっかりと胃袋からなくなり、腸でその栄養分が吸収された頃に自宅に帰りついた。
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