QUAD989は良いスピーカーである。唯一欠点をあげるとしたら、寝起きが悪いことであろうか。QUADのアンプに電源を入れて、レコードプレーヤーかCDプレーヤーから音楽信号を送り込む。
すると最初の30分ほどは、今一つぱっとしないのである。30分を経過して徐々にその本領を発揮し始める。そして1時間以上経つと、まろやかさがさらに増してくるのである。
これは、QUAD989が巨体を有するからであろうか・・・広大な面積をもつパネルが音をしっかりとこなし始めるには、それなりの時間の経過が要求されるのであろうか。
それとも使っているアンプ、QUAD22・QUADⅡの真空管がその熱量の放出を高めるに従って、その音の放流がより上質になり、その質感の違いをQUAD989は如実に表現するからであろうか。
あるいは、カートリッジ、Benz-Micro RUBYの針先が十分に温まり、レコードの溝を滑らかになぞるには、多少の辛抱強さを要求されるからか・・・
まあ、いずれにしても助走時間が必要なのである。ある程度、本領を発揮してくると、時間が経過するほど、ESLらしい幽玄さを発揮してくる。
音出しはじめと1時間以上経過してからとでは、音楽の聴こえ方がずいぶんと違ってくる。ある意味個性的な音の表出であるが、その味わいが好きな者にとっては、やみつきとなる。
これに対処する方法として、実際に音楽を聴く前に慣らし運転をしておくというものがある。冬場の車のエンジンではないが、乗り込む前にエンジンを始動しておき、エアコンもかけておくのである。すると車に乗り込んだ時には暖かく、エンジンフィールも滑らかである。
今晩はその方法を使ってみた。家に帰り着き、すぐさまリスニングルームへ向かった。QUAD22の電源をONにする。パイロットランプにオレンジ色の灯りがともり、QUADⅡの合計10本の真空管に電流が流れ始めたことを示す静かな音がふわっと広がる。
そしてCDプレーヤーから音情報を送り込むのである。ボリュームは小さめにしておき、CDプレーヤーのリモコンのREPEATボタンを押しておく。
そしてゆっくりと家族と食事をする。その後、たっぷりと温まったアンプや、パネルがほぐれたQUAD989の音の具合を楽しむのである。
時代の流れは早い。こういった多少手がかかるが、ゆったり感のある装置は時代遅れかもしれない。しかも、節電が謳われている昨今、時代に逆行していると揶揄される可能性は高い。
しかし、こんなささやかな抵抗であれば、多少の逆行であったとしても、大目に見てもらえるのではと、期待しているのである。
すると最初の30分ほどは、今一つぱっとしないのである。30分を経過して徐々にその本領を発揮し始める。そして1時間以上経つと、まろやかさがさらに増してくるのである。
これは、QUAD989が巨体を有するからであろうか・・・広大な面積をもつパネルが音をしっかりとこなし始めるには、それなりの時間の経過が要求されるのであろうか。
それとも使っているアンプ、QUAD22・QUADⅡの真空管がその熱量の放出を高めるに従って、その音の放流がより上質になり、その質感の違いをQUAD989は如実に表現するからであろうか。
あるいは、カートリッジ、Benz-Micro RUBYの針先が十分に温まり、レコードの溝を滑らかになぞるには、多少の辛抱強さを要求されるからか・・・
まあ、いずれにしても助走時間が必要なのである。ある程度、本領を発揮してくると、時間が経過するほど、ESLらしい幽玄さを発揮してくる。
音出しはじめと1時間以上経過してからとでは、音楽の聴こえ方がずいぶんと違ってくる。ある意味個性的な音の表出であるが、その味わいが好きな者にとっては、やみつきとなる。
これに対処する方法として、実際に音楽を聴く前に慣らし運転をしておくというものがある。冬場の車のエンジンではないが、乗り込む前にエンジンを始動しておき、エアコンもかけておくのである。すると車に乗り込んだ時には暖かく、エンジンフィールも滑らかである。
今晩はその方法を使ってみた。家に帰り着き、すぐさまリスニングルームへ向かった。QUAD22の電源をONにする。パイロットランプにオレンジ色の灯りがともり、QUADⅡの合計10本の真空管に電流が流れ始めたことを示す静かな音がふわっと広がる。
そしてCDプレーヤーから音情報を送り込むのである。ボリュームは小さめにしておき、CDプレーヤーのリモコンのREPEATボタンを押しておく。
そしてゆっくりと家族と食事をする。その後、たっぷりと温まったアンプや、パネルがほぐれたQUAD989の音の具合を楽しむのである。
時代の流れは早い。こういった多少手がかかるが、ゆったり感のある装置は時代遅れかもしれない。しかも、節電が謳われている昨今、時代に逆行していると揶揄される可能性は高い。
しかし、こんなささやかな抵抗であれば、多少の逆行であったとしても、大目に見てもらえるのではと、期待しているのである。