「地獄は外にあるのではなく、内にあるんです・・・ここに・・・」
そう言って「寧々ちゃん」は自分の胸を指差した。ダブルベッドに横たわり、薄手の羽毛布団に二人はくるまっていた。空調の乾いた音は静かな室内に吸い込まれるように浸透していった。
その言葉を聞いて、彼女の目を覗きこんだ。そして、その独り言にも似た彼女の言葉に返答した。
「心の闇を深く覗きこんだ者の目にはその痕跡がはっきりと残るそうですよ・・・」
彼女は眩しげに私の視線を捉えた。そして、静かに微笑んだ。その笑みはどことなく悲しげでもありながら、達観したような淡い光を含んでいた。
「じゃあ、私の目にはきっと残っていますね・・・その痕跡が・・・傷跡とでもいうべきでしょうか・・・」
彼女は私の左側に居た。彼女は体を横向きにさせ、まじまじと私の顔を見た。私の視線を吸い込み、吟味するようにしてから、言葉を継いだ。
「taoさんの目にもその痕跡があるようですね・・・私の目の中にあるものと同じような痕跡が見えます・・・」
私は少々不意を突かれた。私の過去についてはほとんど彼女には話していなかった。無意識的に隠してきたのかもしれない。軽々しく話すことができる内容ではないし、それを話すこと自体、私にとっては心を押し潰すばかりに重いことである。
表情が少し硬くなった。彼女の視線をさっとかわした。BGM用の有線放送の電源スイッチを入れるために体勢を変えてそちらに手を伸ばした。そのスイッチを軽く押すと、軽快な音楽が部屋の天井にかけられている小さなBOSE製のスピーカーから流れだしてきた。その音楽が部屋の空気を柔らかなものにしてくれた。
「地獄なら、私もときどき見ますよ・・・こんどの日曜日にも、地獄の茹で釜で散々苦痛を味わう予定です・・・」
「箱根ですか・・・」
「ええ、箱根ターンパイクをロードバイクで上るんです・・・14kmに渡る厳しい坂です。」
「この週末はすごく寒いって天気予報で言っていましたよ・・・」
「箱根はとても寒でしょうね・・・真冬対策で行きます・・・」
二人はすぐいましがた官能の一時を過ごしたばかりである。リズミカルな高揚感の後の一種の虚脱感に包まれていた。そういったぽっかりと空いた時間には人間の素の情態がさらけ出される。私の瞳にも隠し通すことのできない何かが表面に浮いてきていたのかもしれない。彼女はその海の表面に浮かぶ油のような心の沁みの存在にすぐさま気付いたようである。
心の中で「過ぎさったことだ・・・全て過ぎ去ったこと・・・今更どうすることもできないことだ・・・時計の針を逆戻しにすることはできない・・・」そう呟き続けていた。
「シャワーを浴びてくる・・・」そう言って、ベッドからはい出た。浴室へ向かう私の背中に彼女は優しげに語りかけた。
「話す気になったら、話してね・・・」
浴室のシャワーの栓を軽く回すと勢いよくお湯が出た。その水流の束を顔に浴びた。顔に当たったお湯は体を伝わって床に流れ落ちていった。しかし、心の中には決して流れ去ることのない痕跡が残ったままであった。
そう言って「寧々ちゃん」は自分の胸を指差した。ダブルベッドに横たわり、薄手の羽毛布団に二人はくるまっていた。空調の乾いた音は静かな室内に吸い込まれるように浸透していった。
その言葉を聞いて、彼女の目を覗きこんだ。そして、その独り言にも似た彼女の言葉に返答した。
「心の闇を深く覗きこんだ者の目にはその痕跡がはっきりと残るそうですよ・・・」
彼女は眩しげに私の視線を捉えた。そして、静かに微笑んだ。その笑みはどことなく悲しげでもありながら、達観したような淡い光を含んでいた。
「じゃあ、私の目にはきっと残っていますね・・・その痕跡が・・・傷跡とでもいうべきでしょうか・・・」
彼女は私の左側に居た。彼女は体を横向きにさせ、まじまじと私の顔を見た。私の視線を吸い込み、吟味するようにしてから、言葉を継いだ。
「taoさんの目にもその痕跡があるようですね・・・私の目の中にあるものと同じような痕跡が見えます・・・」
私は少々不意を突かれた。私の過去についてはほとんど彼女には話していなかった。無意識的に隠してきたのかもしれない。軽々しく話すことができる内容ではないし、それを話すこと自体、私にとっては心を押し潰すばかりに重いことである。
表情が少し硬くなった。彼女の視線をさっとかわした。BGM用の有線放送の電源スイッチを入れるために体勢を変えてそちらに手を伸ばした。そのスイッチを軽く押すと、軽快な音楽が部屋の天井にかけられている小さなBOSE製のスピーカーから流れだしてきた。その音楽が部屋の空気を柔らかなものにしてくれた。
「地獄なら、私もときどき見ますよ・・・こんどの日曜日にも、地獄の茹で釜で散々苦痛を味わう予定です・・・」
「箱根ですか・・・」
「ええ、箱根ターンパイクをロードバイクで上るんです・・・14kmに渡る厳しい坂です。」
「この週末はすごく寒いって天気予報で言っていましたよ・・・」
「箱根はとても寒でしょうね・・・真冬対策で行きます・・・」
二人はすぐいましがた官能の一時を過ごしたばかりである。リズミカルな高揚感の後の一種の虚脱感に包まれていた。そういったぽっかりと空いた時間には人間の素の情態がさらけ出される。私の瞳にも隠し通すことのできない何かが表面に浮いてきていたのかもしれない。彼女はその海の表面に浮かぶ油のような心の沁みの存在にすぐさま気付いたようである。
心の中で「過ぎさったことだ・・・全て過ぎ去ったこと・・・今更どうすることもできないことだ・・・時計の針を逆戻しにすることはできない・・・」そう呟き続けていた。
「シャワーを浴びてくる・・・」そう言って、ベッドからはい出た。浴室へ向かう私の背中に彼女は優しげに語りかけた。
「話す気になったら、話してね・・・」
浴室のシャワーの栓を軽く回すと勢いよくお湯が出た。その水流の束を顔に浴びた。顔に当たったお湯は体を伝わって床に流れ落ちていった。しかし、心の中には決して流れ去ることのない痕跡が残ったままであった。