AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

4400:POLO

2018年03月31日 | ノンジャンル
 新型POLOが日本でも3月20日から発売が開始された。営業マンからは「試乗車を用意していますので、時間がある時にぜひお立ち寄りください・・・」と何度か連絡があった。

 確定申告も終わり、そのしわ寄せによりたまっていた月次の処理もようやく片付いて、時間が取れた土曜日に、フォルクスワーゲン小平に向かった。

 すでに旧型となったPOLOに乗り込んで、キーを差し込んで45度右に回した。1.2Lの4気筒エンジンは乾いた音を発してスムースに回り始めた。

 フォルクスワーゲン小平に着いて、ディーラーの建物の中に入っていった。春らしい穏やかな気候の土曜日の午後、店の中はにぎわっていた。

 しばしテーブルに座って出された珈琲を飲んでいると「試乗車の準備ができました・・・」と営業マンが呼びに来た。

 その後ろに付いて行って、駐車場に停まっているPOLOに乗り込んだ。ドアの締まる音の高級度は2ランクぐらい上がっていた。

 新型POLOは、ドアを開けて乗り込んだだけで車としての充実度がぐんと上がっているような気がした。

 新型はもちろんもうキーを差し込んで回す必要はない。シフトレバーの右前にあるスターターボタンを押すと、3気筒エンジンは目覚めた。

 先程まで乗っていた旧型POLOの1.2Lの4気筒エンジンの音と比べて、特に雑な印象はなかった。右足を軽くアクセルにそえているだけであれば、3気筒独特の音や振動が感じられることはなかった。

 サイドブレーキは残念ながら電子式ではなく、旧型と同じ機械式である。この辺は一つ上のGOLFとの差別化のためであろうか・・・

 それを解除してゆっくりと駐車場から新型POLOを走らせ始めた。印象的であったのは、走りがしなやかで実に滑らかなことである。

 「Bセグメントでもここまでやるか・・・」的な上質感は、やはり期待通りである。試乗は市街地のみを15分程度走るだけであるので、車のポテンシャルの全部を探ることはできないが、それでも新型の出来の良さがひしひしと感じられた。

 少々気になっていた1リッター3気筒ターボエンジンは、思っていたよりも出来は良かった。道が空いた時にアクセルを少し強く踏んだ時にもパワーは必要にして十分で、音や振動も想像よりは悪いものではなかった。

 きっともっとアクセを踏んでエンジン回転数が4,000を超えるてくると音が気になるかもしれないが、日常的な使用領域では特に気になるものではなかった。

 「さすがフォルクスワーゲン・・・」と感心しながら、ディーラーの駐車場に戻ってきて、POLOから降りた。後ろ手で締めたドアの音に「Bセグメントの音ではない・・・」と改めて思った。
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4399:ハーツフィールド

2018年03月30日 | ノンジャンル


 JBLのハーツフィールドは1954年の発売である。まだ、モノラルの時代であり、2台ペアではなく1台ごとに販売されていた。

 発売された翌年の1955年にはタイム誌の表紙を飾り「究極のスピーカー」と絶賛された。このハーツフィールドの成功により、JBLの名は一躍世界に広がった。

 ハーツフィールドはかなり大きなスピーカーであるが、Mさんのリスニングルームにおいては、その大きさを感じさせない。

 ハーツフィールド背後の壁は「パイプオルガンをイメージして設計してもらいました・・・」と言われるとおり優雅なデザインが施されている。

 ロードバイクで106kmを走破し、三つの峠を全力で上りきった同じ日の夕方、私はまったく別世界と評したいほどに贅沢な空間に身を置いていた。

 この広々とした空間でレコードコレクターでもあるMさんの貴重かつ膨大なコレクションの一部を聴かせてもらった。

 レコードプレーヤーはEMTとトーレンスのどちらも巨大なものである。その姿かたちからは巨大なエネルギー感をひしひしと感じる。

 JBL ハーツフィールドが聴かせる音楽は実に濃い。濃厚な空気感の中にきらきらと煌めくブリリアントな響きがリスニングポイントに向かって迫ってくる。

 その響きは耳の鼓膜を通じて、脳の聴覚中枢の奥のほうまで届くかのようである。ロードバイクのロングライドで体は相当に疲れているはずであるが、レコードでクラシック音楽を聴いている最中でも意識が遠のくような感覚はなく、むしろ覚醒するかのようであった。

 ハーツフィールドはその大きく美しい姿形からも独特のオーラを盛大にはなっていたが、その奏でる音からも、じりじりと肌で感じるほどに強い輝きを放っていた。

 時代的にはモニターシルバーを搭載したTANNOY GRFとほぼ同じである。しかし、TANNOYが聴かせる世界とは全く別のものである。

 「1950年代のアメリカ・・・黄金期を迎えていたアメリカ・・・ベトナム戦争前のアメリカ・・・」ハーツフィールドの音からはなぜかしらそういった輝かしさを感じた。

 ハーツフィールドのキャビネットは製造されてから60年以上の年月が経過している。完全に乾ききったキャビネットの響きは、黄金期の輝かしい記憶を音として表現しているのかもしれない。 
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4398:春爛漫

2018年03月29日 | ノンジャンル
 全員がヒルクライムを終え、恒例の記念撮影を済ませてから、予定通り「奥村茶屋」で「正丸丼」を食べることにした。

 「正丸丼」は、甘辛い味噌で炒めた豚肉が美味しいどんぶり。サラダ、味噌汁、お新香が付いて850円はリーズナブル。



 テーブル席に座って待っていると順次運ばれてきた。七味を少し振りかけてから頂いた。箸はどんどんと進み、すぐに完食した。

 「正丸丼」に舌鼓を打ち、談笑タイムを過ごした。「奥村茶屋」での休息タイムを終えて、再度ロードバイクに跨った。

 正丸峠を下り、山伏峠の短い上り返しを走った。そして、山伏峠を勢いよく下っていった。下りに備えて着用したウィンドブレーカーは強い風を受けてばたついた。

 山伏峠を下り終えると県道を往路とは逆方向に走っていく。下り基調なので快速でトレインは走った。

 そして一つ目の「おまけのバトルポイント」である山王峠に向けて右折した。右折して少し走ると道は上り始める。

 「山王峠」は距離は短いが斜度はしっかりとある。斜度が上がるとここは300ワット以上の出力で走っていく。

 距離が短いとはいえ高い出力を維持するのは骨が折れる。山伏峠・正丸峠で脚を使い切っていなかったので、どうにか最後まで高い出力を維持できた。

 一つ目が終わると次は二つ目の「笹仁田峠」である。「デザートは別腹・・・」とは言うが、体調がよほど悪くない限りは完食するのが常である。

 「笹仁田峠」は斜度が緩い。それゆえ、30km/hを超えるスピードで上りを駆け抜けていく。ここもどうにか最後まで脚が緩むことなく上りきった。

 これでもう上りポイントはない。あとは平たん路をひたすらすいすいと走っていけばいい。笹仁田峠を重力に任せて下っていくとき、独特の解放感に包まれる。

 春は、ロードバイクで走るのには最適の季節である。今日は「春爛漫ライド」という雰囲気で走れた。

 帰路を走りながら、脚を出して走る季節が近いことを感じていた。「そろそろ、脚の毛を剃らないと・・・」そう思った。
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4397:春霞

2018年03月28日 | ノンジャンル
 イーブンペースといっても常にパワーを一定に保つことは不可能である。峠道の斜度に応じてサイコンに表示されるパワーの数値は変わる。

 斜度がきつくなればパワーの数値は増え、斜度が緩めばパワーの数値は下がる。斜度に応じてケイデンスを調整し、ギアを軽くしたり重くしたりしながら、サイコンに表示される平均パワーの数値をある一定のレンジの中に納め続けながら山伏峠を上っていった。

 前半は私がペースメーカになる形で進んだ。山伏峠は斜度が厳しくなる難所が二つある。一つ目か二つ目のその難所で上級者はペースを上げて前に出る。

 今日は一つ目のポイントではばらけることなく、二つ目のポイントで縦に長い展開となった。ペースを上げて前に出ていくメンバーの背中を見送りながら、私はペースを維持した。

 二つ目のポイントを越えると後は比較的緩めの斜度である。先行スタートした2名のメンバーを二つ目のポイントのすぐ先でかわしてその前に出た。

 4名のメンバーはほぼ等間隔で散らばっていた。三番手のメンバーの背中までは60メートルほどであろうか・・・視界の中には納まっていたので、後半はその背中を目指してモチベションを維持すれば、だれずに脚が回るはずである。

 山伏峠の終盤が近づいていた。車が後ろから上ってきた。道路の左側によってやり過ごした。日産のスカイラインであった。

 スカイライン R34・・・発売されたのは1998年。ちょうど20年前である。「ワイルドスピード」でポール・ウォーカーが乗ったのはR34の最上級モデルであるGT-Rであった。

 通り過ぎたのは2ドアクーペではあったが、GT-Rではなかった。R34はスカイラインがスカイラインらしかった最後のモデルである。

 その後ろ姿を一旦は見送ったが、その丸いテールランプは再度視界の中に戻ってきた。上から1台の別の車が降りてきていた。2台の車は峠道の細いところですれ違うところであった。

 道幅がぎりぎりであるので、2台はほとんど止まっていた。私のロードバイクはそのすれ違おうとしている2台の車に行く手を阻まれた。

 左足のクリートをペダルから外して地面に着けた。R34 スカイラインのすぐ後ろで止まった。そしてこの2台がゆっくりとすれ違うのを待った。

 2台の車のドアミラーが擦れるかというばかりに狭い道幅であったので2台は、のろのろと進んだ。ようやくすれ違えた2台は別々の方向に走り去った。

 この間20秒ほど待たされた。ようやくリスタートできたが、前を走っていたメンバーの背中はすっかりと視界から消えていた。

 「このタイミングでこれはないよな・・・」すっかりと意気消沈しながら山伏峠の終盤を走った。

 山伏峠を越えて向こう側へ下った。2度、3度とカーブを曲がり、正丸峠への上り返しの道へ右折しながら入っていった。

 モチベーションを維持するのはなかなか困難な状況であったが、どうにか気を持ち直して正丸峠を上っていった。

 そして上りきった。正丸峠は天気が良いと遠くまで景色が見通せることが多いが、今日は「春霞」で景色はもやっていた。
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4396:上り口

2018年03月27日 | ノンジャンル
 小沢峠を上り終えると、小沢トンネルが迎えてくれる。フロントとリアのLEDライトのスイッチをオンにしてその中に入っていった。

 暗いトンネルを抜けると、下りである。重力に身を任せて下りながら右、左とカーブを曲がっていった。カーブする方向に体重をかけながら、ロードバイクを斜めに倒す。

 下り切ると、山伏峠の上り口までつながる県道に入っていく。この道は緩やかな上り基調で、信号が少ないので快速で走れる。

 ちょうど先頭を引いていた。心拍数が140程度の負荷で走っていた。しばし走っていくと隊列の後方から「ストップ・・・!」の指示が出た。

 「パンクか・・・?」と思ったが、一人のメンバーの脚が攣ったようである。私の前に先頭を引いていたメンバーであった。

 まだロングライドが3回目で体がロングライドに慣れていないうえに、小沢峠の上りで先頭を引いた際に少し無理なペースで走ってしまって脚に負担をかけたようであった。

 休憩タイムの後、リスタートした。リスタート後はペースをぐんと下げて6両編成のトレインは走っていった。

 山伏峠の上り口に着いた。ここには公衆トイレがあるのでトイレを済ませて一息入れた。ここから山伏峠の頂上までは4kmほど。

 山伏峠を越えると500mほど下る。途中で右に曲がって正丸峠の上り口に入っていく。そこから1km程さらに上っていくと正丸峠の頂上に達する。

 今日の昼食は正丸峠の「奥村茶屋」で「正丸丼」を食する予定であった。先週は風張峠を越えて「数馬の湯」の中の「レストラン とちの実」で「舞茸天丼」を食した。2週続けてのグルメライドになる予定であった。

 2名のメンバーが先行スタートした。新たにロングライドに参加するようになった2名はまだ体がヒルクライムに慣れていない。

 2名は無理のないゆっくりとしたペースで上っていった。その後ろ姿を見送って数分してから「では、そろそろ行きますか・・・」と、残りの4名はゆっくりとスタートした。

 4台のロードバイクは連なったまま上りの序盤を走った。「今日はイーブンペースで走ってみよう・・・」と思っていた。

 500メートルほどゆったりとしたペースで脚を回してから、サイコンのラップボタンを押して、負荷を上げた。

 「230ワットぐらいのイーブンペースで行こうかな・・・」と思いながら、なるべく脚にかかる負荷がばらつかないように気を付けた。
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