AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

2116:ラストラン

2011年12月31日 | ノンジャンル
 午前中は大掃除のやり残しを手際良くこなし、父親のお墓参りに行った。早いもので父親が亡くなって12年が経過した。ここ数日空は晴れ渡っている。湿度は低く、空気はとても乾いている。

 墓参の後、いつもどおり昼食は外で食べた。家に帰り着いたのは2時ごろ。気温は10度を超えていないはずであるが、天気が良く風はないので、体感気温は高め。夕方まで少し空き時間があったので、その暖かさにほだされて、サイクルウェアに着替えORBEA ONIXをサイクルスタンドから降ろした。

 多摩湖の周遊道路を2週ほど走った。昨年までは、休日の朝にこのコースを走っていた。長い距離を走ることはなく、1,2月の真冬の時期はまったく走らなかった。

 今年は、100kmを越える長い距離も走るようになり、4~5kmの険しい上りが続くヒルライムにもチャレンジした。ロードバイクは、私の生活においてその比重がぐっと高まった。

 多摩湖の周遊コースは軽いアップダウンはあるが、比較的平坦である。車道と分離されているので走りやすく、信号がないのでノンストップで走れるのも良い点である。ジョギングやウォーキングをされている方が時折居るので、その手前では十分減速して避けて通る。

 大晦日の午後・・・ロードバイクで来ている人は少ないのではと思っていたが、暖かく優しい陽光に誘われたのか、結構な数のロードバイクとすれ違った。

 1時間弱で2周して自宅に戻った。走り終えた直後は疲れはほとんど感じなかった。昨年はこのコースを2周しただけで、結構体にきていたが、今はスタミナがついたようである。

 走り終えて、今年大活躍したORBEA ONIXを綺麗に掃除した。専用のクリーナーをつけたクロスで拭き、ワックスを塗る。チェーンは専用の用具を使って洗浄・・・真っ黒であったチェーンはその本来の輝かしい色合いを取り戻した。

 すっかり綺麗になったONIXをサイクルスタンドに戻し「来年もよろしく・・・」と声をかけた。実際今年はこのロードバイクには世話になった。

 100kmを越える距離を走るとさすがに疲れる。峠の上りは心拍数を限界近くまで引き上げ、脆弱な脚の筋肉に過酷な苦役を課する。

 しかし、ローバイクには「救われた・・・」といった気持ちを抱く。50歳が間近に迫る年齢になって・・・体の衰えは着実に迫っていた。

 ロードバイクはその緩やかな衰退の歩みを止める効果を体にもたらしてくれたようである。さらに、自然と心の奥底にたまる「精神の澱」を、ロードバイクは体外に発散する効果が高いようなのである。

 下半身と上半身をつなぐラインは贅肉のないすっきりとしたものとなり、腹筋の存在もそれと分かるまでになった。

 来年もORBEA ONIXは心優しい相棒として私と共に風を切って走ってくれるであろう。明日は元旦である。おせち、お雑煮、初詣・・・そういった元旦行事を家族と共にこなしたら、また走りたい。
コメント

2115:Accordo

2011年12月30日 | ノンジャンル
 Accordoを駆動するのはEINSTEINのプリメインアンプであった。このプリメインアンプは真空管をデバイスとして用いている。そのデザインはつややかなブラックアクリルを使ったいかにもドイツ製と思わせる重厚な美しさに溢れている。その音色の色合いはとろりとした濃い目のものと見受けられる。

 そして送り出しはsoulutionの一体型SACDプレーヤー。スイス製らしいきっちりとした躯体で、いかにも高性能を予見させる外観である。冷徹で精緻な音情報を眉毛をピクリともさせずに送り出すサイボーグ的な機械に見える。

 EINSTEINとsoulutionは水と油的な存在・・・両者を混ぜ合わせると中和されてゼロポイントに針が合うのではないかと勝手に想像した。

 となると、この両者で駆動するAccordoは、その本来持っている性格を見事に表出する仕掛けとなっているのでは・・・これも勝手な想像に過ぎない。



 今日はPontaさんに誘われてダイナミックオーディオの4階にお邪魔した。お目当てはAccordoである。フランコ・セルブリンが新たに送り出す小型2ウェイスピーカーを試聴するのが目的である。

 間近に見るAccordoは思ったよりも細く、独特の形状である。今まで見たことのない姿かたちであるためか、心持ち安定感にかけるような気がした。

 しかし、時間の経過と共に徐々に目にも心にもなじんできた。その独自の形状も天才の発想と音響的な理論に基づいたものなのであろう。

 11時に試聴開始・・・結局12時半までの1時間半・・・二人が持ってきたCDをとっかえひっかえして、じっくりとその音の姿形を堪能した。

 私が持ち込んで聴いたのは、ハイドンのバイオリン協奏曲第1番第1楽章、ベルリーズ幻想交響曲第4楽章、ビバルディ四季から夏・・・

 Accordoはおろしてから充分な時間が経過していないので、多少音の生硬さは感じるところがあったが、精緻で反応の速さを持っていながら、歌心をけっして忘れない甘みがその音の根底にしっかりと根付いている。

 編成の小さなものから、オーケストラまでしっかりとこなし、ブラインドで聴けばこの大きさのスピーカーとは思えない器の大きさを感じさせる。

 これは優れた逸材である・・・相当な可能性の高さを感じさせる。オーディオ的な諸要素を高次元でしっかりとクリアしながら、音楽を音の分解羅列に終わらせることはない有機的な生命感を感じさせてくれる。

 Accordoは「調和」という意味であるそうである・・・なんとなくその名前に込められたフランコ・セルブリンの意気込みというか、心意気というか、自信のようなものが感じられた1時間半であった。

 Sonus faberのelecta amatorをお使いのPontaさんにとっては、このAccordoはとても気になる存在であるはず。Pontaさんは日頃自分のシステムで聴きなれたCDを次々に取り出し、じっくりと耳を傾け「これはうちのほうが良いな・・・」「これは完敗です・・・さすがだな・・・」と一喜一憂・・・試聴が終わった頃には、目つきが相当逝ってました・・・近未来に広がる「調和」の世界を覗き込んでいるかのように・・・
コメント

2114:リード線

2011年12月29日 | ノンジャンル
 昨日が事務所の仕事納めであった。しかし、私は仕事が残ってしまい、今日も出勤となってしまった。

 仕事がなければ、単独でのロングライドを計画していたのであるが、恨めしそうに晴れ渡った空を見上げながら、事務所へ向かった。

 結局、日中は事務所で忙しく過ごし、ようやく夕方になって帰宅した。帰宅すると玄関に小さな段ボール箱が置いてあった。

 「きた、きた・・・」とその小さな段ボール箱を1階のリスニングルームに持ち込んだ。カッターを使ってダンボールを開ける。中からは小さなビニール袋に入ったリード線が2種類出てきた。

 ひとつはSUMIKOのとても細いリード線。もうひとつはMy Sonic Labのもの。現在RUBYとEKOS SEとの間は、LINN純正のリード線で接続している。

 LINNのものはそのままだとオーバーハングが合わないので、リード線先端部分の保護用熱収縮チューブを一部カッターを使ってカット。これでカートリッジの稼動範囲が広がり、どうにかこうにかオーバーハングが合った。

 LINN純正のリード線は、まったりとした音質。切れのある冴えはないが、落ち着いた感覚・・・我が家の慣れ親しんだ味といったところ。

 これをSUMIKOに換えてみた。SUMIKOのリード線は細く、しかもリード線先端の端子部分の長さが短い。加工なしで十二分にカートリッジの稼動範囲が取れる。

 音質は繊細でクリア・・・まったり感は後退するが、爽やかで広がりがでる。馴染んでくるとまた音質は変わってくるはずである。なかなか好印象で・・・繊細な感じは見た目同様である。

 My Sonic Labのリード線はしっかり感のある外観。精巧にくみ上げられているという印象を受ける。メッキなども凝っているようである。

 My Sonic Labのリード線に付け換えてみた。先端部分を加工しなくてもぎりぎりオーバーハングは合った。ほっと一息・・・加工するとなると結構手間がかかるし、リード線を駄目にする可能性も高い。

 こちらは一聴して、別世界。My Sonic Labのカートリッジは試したことがないが、きっと同じ傾向の音質であろうと思えるような、変化具合である。

 蛇口の栓をぐいっと時計回転方向に回したような感じで、レコードの溝にはまだまだ埋もれていた音情報があったんだと思わせてくれる。

 少しハイ上がりになる傾向があるので、アームの高さ等で微調整する必要がある。カートリッジを取り付けるネジの締め具合も少し緩めたほうが良いかもしれない。

 このMy Sonic Labのリード線は、音に少々硬さがあるが、調整を進めれば良い感じにこなれてくるであろう。潜在能力は一番高いような気がする。「しばらくこれで調整を進めてみよう・・・」そんな気にさせてくれる。

 将来的に入れ替わる可能性はあるが、とりあえずMy Sonic Labでいってみよう・・・LINNとSUMIKOのリード線は小さなビニール袋に入れられて、リスニングルームに置いてあるサイドボードの引き出しにそっとしまった。
コメント

2113:調和

2011年12月28日 | ノンジャンル
 フランコ・セルブリンがソナスファベールを離れて、自らの名前を冠したブランドを立ち上げた際の最初の作品は「クテマ」である。このスピーカーをダイナミックオーディオの試聴室で聴いたのは1年以上前のことであった。

 想像していたよりも、きりりとした表情で音楽を雄大に鳴らす印象的なスピーカーであった。そしてそのデザインからは、優雅さだけでない突き詰めた厳しさも感じられた。

 そのフランコ・セルブリンが新たに第2段となる製品を発表した。それが「調和」という意味の「アッコルド」と名づけられた小型の2ウェイスピーカーである。



 見るからに彼の美意識がこの小さなスピーカーの隅々にまで行き渡っていて、どこから見ても非の打ちどころのない絶妙なバランス感覚で仕上げられている。

 まさに工芸品的な美しさに満ちたスピーカーである。「アッコルド(調和)」と名づけた彼の心意気がそのスピーカーからは、芳香のごとく濃厚に発散されている。

 スタンド内部にはクロスオーバーネットワークがセットされているようで、スタンドと一体で一つのスピーカーという構成である。デザイン的にもこのスタンドの果たしている役割は計り知れない。きっと音響的にもこのスタンドが「調和」の要石でもあるのであろう。

 エンクロージャーには無垢のウォルナット材が使われ、寄木手法で完成させている。フランコ・セブリンはソナスファベールの初期の作品に見られるように木の特質を活かした仕上げのとても美しい工芸品的なスピーカーを作る名手である。

 その形は平行面を作らないように工夫されていて、音響理論的にも相当に考え抜かれた造形がなされている。

 このスピーカー、近いうちに試聴してみる予定である。最近は新しく出るオーディオ製品で気になるものがほとんどないという状況であったが、唯一例外の製品が「アッコルド」である。その造形だけでなく、響かせる音楽も「調和」に満ちたものであるような気がしているのである。
コメント

2112:サブシステム

2011年12月27日 | ノンジャンル
 2階の寝室は広々としている。オーディオシステムがこの部屋を去って数ケ月・・・デンマークで1960年代に造られたソファセットがぽつねんと置いてある。

 SOLIDSTEELのラックにはQUAD22とQUADⅡが四つに仕切られた空間の二つを占めている。残り二つは空虚な空隙が占めている。

 予備として持っているTANNOY CHATSWORTHは、納戸の中で向かい合わせにされて布がかけてある。

 ビンテージのオーディオ製品はそのコンディションが狂いやすい。時折、メンテナンスの旅に出る。そこでCHATSWORTHとQUADの真空管アンプは予備としてもう1組持っているのである。

 ソファの前に広がる何もない空間を見て「この空間もったいないよな・・・」とは思うのであるが、寝室からオーディオシステムを追い出して清々している妻にとっては「広々して気持ち良い・・・」空間である。

 CDプレーヤーを1台購入すれば、2階に再度サブシステムを構築することも可能である。しかし、現実的な思考回路を行使すれば、それは妄想の範疇に収めておくべきことであるという良識ある結論に至る。

 そこで、妄想の領域で新たなCDプレーヤーを模索してみる。インターネットでオーディオの中古市場を覗いてみると、結素晴らしい製品が中古市場に出ている。あらためて見てみると、オーディオ機器の中古相場は下がっているようである。

 この景気であるので、中古市場でも高額な製品は動きが少ないようである。動かないとじりじりと価格は下がってくる。それは市場経済では当然のことである。

 「MARK LEVINSONのNO.390SLがあるな・・・これってデザイン最高・・・SOLIDSTEELのラックに入れたら見栄えするだろうな・・・こっちには私が現在使っているLINN CD12が・・・価格がとても安い・・・私が購入した時の半分ほどの価格まで下がっている・・・少々複雑な心境である・・・こちらにはGOLDMUND EIDOS36が定価の半額ほどで出ている・・・そういえば、ステラボックスはGOLDMUNDの取り扱いを止めたようである。ステラボックスにとってドル箱だったはずのGOLDMUNDであるが、どういった理由であろうか・・・」そんな取り留めないことを思いながら少しばかりの時間を無為に過ごした。

 時間の無駄かもしれないが、これはこれで楽しい・・・それにお金はかからない・・・妄想の中で、私はMARK LEVINSONの390SLを選択した。そして、SOLIDSTEELのラックに収めた。手に持つとどっしりとした重みの感じられるリモコンを操作すると、優雅なアルミ製のトレイはゆっくりと音もなく手前にせり出してきた。「優雅なサブシステムへようそこ・・・」そう語っているかのように・・・
コメント