AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

1419:ヴォイス2001

2010年01月31日 | ノンジャンル
 ゴルフはOUTコースまたはINコースからスタートする。ハーフを終えたら昼食休憩をして残りのハーフをまわる。

 これが日本では当たり前であるが、このようにハーフで昼食休憩をとる習慣があるのは日本だけで、外国では18ホールをスルーで周るのが当たり前のようである。

 ハーフを終えてからとる休憩のせいかどうかは不明であるが、前半のハーフと後半のハーフとではその出来具合に相当な差が出ることがある。

 前半で良いスコアが出たので欲が出て失敗するケースもあるし、前半叩いたので開き直ったら後半持ち直したというケースもある。



 今日はpontaさんと一緒にコンサートに出かけた。「ヴォイス2001 女性合唱VOL.5」指揮:福島章恭 ピアノ:櫃田亜希子 オルガン:柳澤文子。会場は厚木市文化会館 小ホール。

 そのプログラムは前半がベンジャミン・ブリテン「ミサ・ブレヴィス」ロベルト・シューマン「女の愛と生涯」高田三郎「典礼聖歌」。休憩を挟んで後半はディヴィッド・サンガー「ミサ・プレヴィス」信長貴富「空の名前」。ヴォイス2001は17名の女性合唱団。曲により伴奏がピアノになったりオルガンになったりする。

 クラシックのコンサートの時間は概ね2時間の場合が多い。途中で15分ほどの休憩が入り前半と後半に分かれている。

 聴く方のコンディションも当然のこととしてその日の演奏の印象に大きな影響を与える。私の場合後半の方が音楽を享受する体勢が整いやすいようである。さらにコンサートホールのフィールド・エネルギーも後半の方がより強くなっているような気がするのである。

 そして、演奏される方のテンションも後半のほうが高くなるのではないか。もちろんケースバイケースであり、必ずしもそうならないこともあるはずであるが・・・

 今日のコンサートは、後半になってぐっと音楽の濃度と純度が高くなったような気がした。それは私の音楽を享受する能力が後半から上がったのか、コンサートホールの場のエネルギーレベルが後半一段上にシフトしたからなのか、あるいは演奏者のテンションの振幅が広がったからなのかは不明であるが、音楽の到達速度が上がったかのような錯覚を覚えたのである。

 福島さんの指揮は、聴く者を音楽へ引き込む腕力がもともととてもしっかりとしているが、後半の演奏は特にそういった握力をしっかりと感じることができた。

 OUTコースはワンバディー・ワンボギーのイーブンパーでこなし、休憩後の後半はスリバーディー・ノーボギーの3アンダーといった感じのコンサートであった。私にはこんな素晴らしいスコアでまわることは夢のまた夢であるが・・・
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1418:つむじ風

2010年01月30日 | ノンジャンル
 今日はPaoさんが我が家を訪問してくれた。今回で2回目である。前回はいつ頃であったであろうか?1年近く前だったような気がするが定かではない。

 Paoさんは結構歯に衣着せぬ物言いをする方である。「QUADかTANNOYどちらを先に聴きますか?」と聞いたところ、「TANNOYにしよう・・・ちっちゃいTANNOYね」と返事が返ってきた。内心「ちっちゃいがよけいだよ、ちっちゃいが・・・」と思ったが、愛想笑いでごまかした。

 1階のリスニングルームにお通ししたところ「ちっちゃいね~このTANNOY!!もっとでかいのにすればいいのに・・・外に止めてあるでかいBMWを売って、AUTOGRAPHでも買えば・・・車はでかいのに何でオーディオはちっちゃいのかね~、ホビット・オーディオっていうのかなこういうの・・・」と相変わらず一言ならず二言以上多い。

 「なんすか、ホビット・オーディオって?」と質問したら「ロード・オブ・ザ・リングだよ・・・ロード・オブ・ザ・リング・・・」

 「小人のホビットのことか・・・これは無視しよう・・・」とさらっと流し「この小さな部屋に大きなTANNOYでは不釣合いでしょう・・・Paoさんのところぐらい広ければいいですけれど・・・」と切り替えした。

 Paoさんのリスニングルームも我が家と同じぐらいに狭い。8畳ほどしかなかったはず。多少皮肉っぽく言ったのである。

 すると「おれんとこも狭いよ・・・皮肉かそれは!」と、どうにかボディーブローが決まった。

 とりあえず、気を取り直してレコードを数枚かけた。ブツブツいいながら熱心に聴いていたPaoさんは、私に向かって「あそこに毛の生えかけた中学生が頑張って歌っているといったところかな・・・」と言い放った。

 「もっとましなたとえはできないものか・・・」「本当にこの人は褒めない人だな~」と思ったが、Paoさんはその性格がサッパリとしていて、毒舌であっても人を貶めて自分が優位に立とうとするような底浅い悪意が微塵も感じられないので、それほど嫌な印象は持たないのである。そういう点では不思議な人である。

 つづいて2階へ移動。QUAD ESLを聴いていただいた。Paoさんが好きなマーラーの交響曲を幾つかかけた。そして続いてブルックナーの第7番をかけたところ「ブルックナーは苦手なんだよ、どこが良いのかさっぱり分からない・・・マーラーは好きなんだけど・・・」

 と言われたので、第1楽章の数分で切り上げることに。ブルックナーってその良さが多少分かりづらいところがあるのかもしれない。

 Paoさんは「面白いよねESLって・・・不思議なスピーカーだ・・・俺のタイプではないが、まあ美形だな」と言いながら。ESLを不思議そうな眼差しで見つめていた。

 約2時間ほど経過して「俺今日夕方に新宿で用事があるから・・・これで失礼するよ・・・」とPaoさんは我が家を去っていった。まさに風のような人である。単なる風ではなくつむじ風といったところか・・・
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1417:共振現象

2010年01月29日 | ノンジャンル
 TANNOY CHATSWORTHのプロポーションはすらりと縦長。今流行りのトールボーイタイプとまではいかないが、細身のシルエットである。その存在感はそれほど大きくない。とても控えめである。

 我が家のCHATSWORTHは12インチのモニターゴールドが組み込まれている。製造されたのは1960年代と思われる。なので50年近くが経過しているはずである。

 その経過年数を考慮するとキャビネットのコンディションは美しい方である。もちろんところどころに約半世紀の時の流れを感じさせ箇所があるが、その静かに光る美しい茶色は心を落ち着かせてくれる。

 アンティーク家具が持つ深みと同種の魅力があるのである。しかし、昨日は心が少しばかり痛む経験をした。

 急に左のスピーカーが強めの低音部分で共振による雑音を出し始めたのである。「ユニットかも・・・」と最初は思った。

 50年も経過すればユニットがいかれるのは当然といえば当然、「これはユニットだけを取り外し、修理に出す必要があるかも・・・」と思いながら、そのCHATSWORTHのキャビネットの前面を医者が触診するように手であちらこちら叩いてみた。

 するととある箇所を軽く叩くと共振することが分かった。そしてその共振はユニットがしているのではなく、キャビネットがしているようなのである。

 そこで、昨日は背面のネジを取ることによりその共振モードをどうにかかわせないかと試行錯誤してみたら、どうにか収まった。

 「ユニットではなかったか・・・」ととりあえず一安心。しかし、いずれはユニットの補修は必要になってくるであろう。一旦補修に出すと1ケ月以上は戻ってこないはず。さらにキャビネットの補修も必要になってくると2ケ月は戻ってこないのではないか・・・

 そう思うと「もう1台CHATSWORTHを仕入れるか・・・」という妄想も湧いてくる。インターネットで調べてみるとイギリスのビンテージショップに20万円で同じCHATSWORTHが出ていた。

 しかし、「イギリスからの送料はどれくらいかかるのだろう?軽いスピーカーなので数万円ですむかな・・・」「イギリスのショップってしっかりしているのだろうか?小さな写真で見るかぎり綺麗であるが・・・着いてみたら、こんなはずではということになるかもしれない・・・」「しかし、同じものを日本のショップで買うと倍以上の値札がつくはずである・・・」と思いは乱れる。

 とりあえずの応急措置で共振現象は収まった。いずれは補修に出す必要が散見されるが、もうしばらくは様子見をすることにしよう。
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1416:ネジ穴

2010年01月28日 | ノンジャンル
 ネジは全部で14個あった。TANNOY CHATSWORTH1台の背面についているネジの話である。スピーカーは2台あるので、全てのネジを取り外すと28個となる。

 最近のドライバーは先端部分がマグネットになっている。ネジ穴にドライバーの先端部分を差し込むと、かっちと固定される。

 そして、そのドライバにおもむろに力をこめてまわす。ここ10年いやもしかして20年以上の間まわされたことがないかのようにさび付いているネジはゆっくりと動いた。

 全てのネジを取り外した状態で音を出してみる。当然ボンツキ気味の音となる。そして14個のうち幾つかづつ取り付けてみる。ネジの数が増えてくると音に締まり感が出てくる。

 左右のスピーカーのキャビネットの状態は結構差があるようである。リスニングポイントからみて左側においてあるほうの個体は結構痛んでいるようである。そちらのキャビネットは弱っているのか全てのネジを留めると、体力的にきついようである。

 試行錯誤の結果、左側は3個のみ、右側は6個のネジを留めた。それ以外のネジ穴は空洞があいたままとなっている。この状態がベストかどうかはまったく不明であるが、音のエネルギー感があまり損なわれることなく上手く放出されるような気がした。

 何が何でもきちっと締め付けるのが良いのではないようである。特に50年近くも経過している木製キャビネットに関しては多少手綱を緩めたほうが伸び伸び鳴るということもあるようだ。

 CHATSWORTHの木製キャビネットは盛大に鳴る。もともと使われている木は頼りなげな薄手のものである。中指の背でコツコツ叩くと甲高い音で響く。この響きがだぶつかず良い具合に歌うポイントというものがあるような気がする。

 背面のネジを何個留めるか。どの位置のネジを留めるか。ネジを留める強さはどのくらいが良いのか・・・それはまったく謎のままである。精神衛生上は、全てのネジをきっちりともうこれ以上周らないくらいに強く留めるのが良いのかもしれないが、音的には必ずしもそれが正解ではないようである。
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1415:隙間商品

2010年01月27日 | ノンジャンル
 AUDIのA5 SPORTSBACKが発売となった。そしてほぼ同じ時期にBMW 5SERIES GRAN TURISMOも発売された。

 この二つのニューモデルはいずれも「隙間商品」である。メーカーの主要ラインナップの間を埋める新機軸なのである。

 AUDI A5 SPORTSBACKはA4をベースとしながら、よりエレガントでスポーティーな装いをまとったモデル。エンジンは2.OTFSIのみ、駆動方式はもちろんクワトロ。

 もともとA5はAUDIの屋台骨を支えるA4のクーペモデルという位置づけであった。そのA5に4ドアバージョンがSPORTSBACKである。しかし、単純な4ドアクーペではなく流麗なハッチバックとして一ひねりしている。

 BMW 5SERIES GRAN TURISMOは、かなり特異なパッケージングである。こちらも表向きはハッチバックであるが、いささかその立ち位置はA5 SPORTSBACKと異なる。

 SUV的な要素がかなり強く、車高が高い。サルーンとしての性格とSUVとしての性格をあわせ持たせているのである。単純なサルーンではない。かといって単純なSUVではない。ちょうどその中間を狙ったようなモデルである。

 5SERIES STATION WAGONとは明らかに異なった雰囲気を醸し出している。遠目に見るとスタイリッシュであるが、近くで見るとかなり大柄で迫力がある。

 この両者、私の個人的な印象は明暗を分けた。AUDI A5 SPORTSBACKはとても良い印象を持った。A5のクーペモデルよりもしっくりくるデザインで、こっちが本命なのではないかという気がするほどである。

 A5 SPORTSBACKは個人的にはAUDIの全ラインナップ中もっともAUDI的なモデルのような気もするのである。エレガントとスポーティーが高度に融合された象徴的な存在である。強烈すぎる存在感や威圧感は皆無であるが、分かっている人が乗っている感が満載なのである。

 一方BMW 5SERIES GRAN TURISMOに関しては、良い印象を持たなかった。その立ち位置がどうにもよく分からない。その製品開発の意図は分からなくないが、その存在意義がそれほど高くないような気がするのである。

 デザイン的にもあまり良いとは思えない。車高が高くなるとどうしてもずんぐりとしてしまう。SUVならSUVとしての割り切ったほうが潔い。SUV的な要素を盛り込むとどうしても野暮ったくなってしまう。

 きわめて美しいデザインが先日公表されたBMWのNEW 5SIRIESにも当然STATIONWAGONが投入されるはずであるが、それで十二分という気がする。十二分というか5SIRIES STATIONWAGONのほうがはるかにかっこよく実用的なような気がするのである。

 AUDIとBMWからほぼ同時期に日本発売となった「隙間商品」であるが、A5 SPORTSBACKはモデルレンジの隙間を埋めるモデルでありながらAUDIの本質を一番よくあらわしている。そして、BMW 5SIRIES GRAN TURISMOは同様に複数の要素を融合させたモデルであるが、企画倒れのような気がするのである。
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