AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

3700:ECHOS DE ROMPON

2016年04月30日 | ノンジャンル
 日曜日の夕方から始まった「レコード・コンサート」の締めを飾ったのは、「ECHOS DE ROMPON」と題された一連のレコードの一枚であった。

 この一連のレコードの多くはとある礼拝堂で録音された。その礼拝堂は、フランスのアルデッシュ県の寒村、ロンポンにある。

 1965年、ピアニスト ジャンヌ・ボヴェは、村のはずれにある廃屋同然の礼拝堂を3,000フランで買い取った。

 その後彼女はその礼拝堂で慈善演奏会を開き続け、その寄付金によりこの礼拝堂を復興させた。年々、その慈善演奏会には彼女以外にも多彩な演奏家が顔を揃えるようになり、この礼拝堂は有名となった。

 彼女はロンポンに住みながら、一年に一枚のペースでレコードを作成した。その録音場所はロンポン礼拝堂が多い。そのレコードの収益金は礼拝堂の維持管理に充てられた。

 演奏者は、彼女だけでなく、慈善演奏会に参加した他のメンバーの場合もある。彼女が所有していた3台のピアノ(ベーゼンドルファー、スタインウェイ、シュミット=フロール)が、おのおの使用されている。

 「ECHOS DE ROMPON」と題されたその一連のレコードは、ディープなレコードマニアの間ではとても大切にされている。

 ROKSAN XERXES Ⅹのターンテーブルに乗せられたのは、ジャンヌ・ボヴェが演奏し、ロンポン礼拝堂で録音されたもの。

 その片面に納められたバッハ「シャコンヌ第1番」が奏でられた。礼拝堂の写真がジャケットに写っている。

 その建物は、素朴で飾り気はないが、心にすっと染み入るような造形をしている。決して声高に主張されることのない、地中深く静かに根を張る信仰心がそのまま形になって現れたかのような佇まいである。そして、ボヴェというピアニストが奏でるバッハは、その礼拝堂の写真と見事にリンクする。

 このレコードが制作された経緯には、こちらの心を魅了するものがある。その経緯を心の片隅にそっと溶け込ませながら、ボヴェの弾くピアノに耳を澄ませる。

 清浄な音の流れである。ロンポン礼拝堂の空気はきっとこうだったのでは思えるような清澄な空気感に全身が満たされていく。

 誰かに聴かせるというよりは、純粋な祈りに似たようなピアノの音は、質素で素朴な礼拝堂の中の隅々にまで響き渡り、レコードを通してその音の響きを聴く者の心に「こだま」のように残響する。

 この「ロンポンのこだま」と題されたシリーズ・・・聴くのはこのレコードが始めてである。メジャーレーベルで数多く作られたレコードではないので、中古市場では高価な価格で取引されているようである。シリーズ全てではなくても、数枚であれば、私もコレクションしたいと思った。


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3699:レコード

2016年04月29日 | ノンジャンル
 レコードはエリック・サティのピアノ曲を収録したものであった。サティはフランス近代音楽において独自の位置を占める作曲家である。
 
 生涯反アカデミズム、反ロマン主義的立場を一貫して取り続け、ユニークな作品も多い。それゆえか、生前は広く認められることはなく不遇であった。

 エリック・サティの「ジムノペディ 第1番」のゆったりとして、どことなく哀愁を帯びた旋律がTANNOY GRFから流れだした。

 TANNOY GRFはコーナー型のキャビネットを有する。この部屋はTANNOY GRFを使用することを前提に設計された。両コーナにはちょうど良い間隔を持ってスピーカーがセッティングされている。

 この曲は心を穏やかな方向へ沈静化させる効能が高い。ややぬるめで白濁した温泉に肩まで浸かっている時のような、沈静効果を私の心にもたらす。

 ロードバイクでの高速走行で疲れた体は、その疲労を徐々に回復し、心からはこびりついた様々な不要な残滓が溶け出していくような感覚に捉われた。

 この曲は心理療法でも使われることがあるという。そのことがすっかりと納得されるような体験である。

 ジャック・フェヴリエの演奏は無駄な装飾がない。この曲に深くそして自然に寄り添い、一音一音を大切に紡ぎ出している。

 淡泊な演奏と評する向きもあるとは思うが、ピアニストというフィルターを除いた自然なサティの横顔が垣間見えるような気がする。

 レコードの片面をレコード針がトレースし終わると、レコードは次なるものに変えられた。それは、ディヌ・リパッティの演奏によるショパンのピアノ曲を収めたものであった。

 ディヌ・リパッティは1917年ルーマニアに生まれ、1950年にわずか33歳でこの世を去った。「天才は夭折するもの・・・」であるが、彼は典型的な天才型。

 リパッティのピアノの音色は、清潔で繊細な詩情に覆われている。天才の演奏は、孤高のセンスとテクニックによって、ショパンの音楽の持つ詩情を、適切に過不足なく伝えてくれる。

 リパッティは、不治の病と闘いながら、レコーディングに取り組んでいたと言われている。初期のモノラル録音であるので、コンディションの良いレコードは比較的少ないが、その演奏からは、命を削りながらの渾身の演奏の様がひしひしと伝わってくる。

 そこには避けがたい死を目前にして、それを運命として受けいれた人間の精神的な穏やかさや強さ、あるいは何かを見通したかのような透明な視線を感じる。

 苦悩に顔を歪めることはなく、純粋に芸術としての音楽の精神性の高みを極めようとするリバティの強さをも感じる。

 TANNOY GRFからは、音楽が持つ「気」のエネルギーが霧のようになって吹きだされる。それを体に受けると、心身ともにリフレッシュされる。

 レコード、とりわけオリジナル盤にはそういった「気」が濃厚に記録されている。その「気」を、Aさんのシステムは上手に拾い上げるようである。
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3698:兎棒

2016年04月28日 | ノンジャンル
 シャワーを手早く浴びた。汗を流し去り、さっぱりとしたところで、車に乗り込んだ。髪の毛はまだ濡れていた。

 杉並区のAさんのお宅までは車でちょうど1時間の道程である。着く頃には髪も乾くであろう。Mercedes-Benz E350のシートは硬くがしっと体を支える。ロードバイクでのロングライドで疲れた体には頼もしく感じられる。

 青梅街道は比較的スムースに流れていた。予定通りジャスト1時間で到着した。御宅の前の私道に車を停める。

 月に1回の訪問であるので、今年に入ってから4度目の「レコード探訪」となる。Aさんのお宅にはイギリスやフランスからとてもコンディションの良い貴重なレコードが定期的に届けられる。

 それら選りすぐりのレコードたちの中から最近のお気に入りが、ROKSAN XERXES Ⅹのターンテーブルに乗せられる。

 月に1回定期的に開催されるレコードコンサート・・・Aさんのリスニングルームは半地下になっていて、玄関を入ってすぐ左の階段を降りていく。

 リスニングルームの広さは15畳ほどであろうか、オーディオ機器が整然とセッティングされていて、床にはレコード棚に納まりきらなくなったレコードが並べられている。

 リスニングポイントには、有名なコルビジェのLC2ソファーが置かれている。黒の上質な皮は年月を経て、良い具合に体に馴染む。座るとゆったりと沈み込み、体を優しく包むようである。

 Aさんのオーディオ機器に関しては機種変更というものは、ここ数年はまったくなく、落ち着いている。

 最近の変更点といえば、TANNOY GRFのすぐ前にGe3の「兎棒」が設置されたことであろう。以前Ge3のエンジェルファーをスピーカーのユニットの前に吊り下げるようにすると、スピーカーの音が柔らかくより自然になるという情報があり、我が家でも実験をしたことがあった。

 確かにその効果のほどは確かめられた。ただし視覚的には馴染めないものがあり、聴覚と視覚の狭間で、「桶狭間の戦い」が繰り広げられた。

 「兎棒」はそれを発展させて製品化されたものである。長さが30cmほどある。その名のとおり縦長の棒状のものである。
 
 それをスピーカーユニットの手前に吊り下げるように設置する。その見た目的なインパクト度合いは、相当な高得点である。

 聴覚における効果はエンジェルファーに比べて高そうである。より自然なバランスで音が響く印象を受ける。

 視覚におけるインパクトも高い。「見慣れてしまえば、気にならなくなる・・・」とAさんは言う。音楽を聴くときは目をつむることが多い私の場合、レコードがかかっている間は視界から消える。レコードの片面が終わり、目を開くとその白い物体は網膜に飛び込んでくる。まだ見慣れていないので、多少の違和感があるのは事実である。

 この日、最初にXERXES Ⅹのターンテーブルに乗ったのは、ジャック・フェヴリエであった。1900年生まれのフランスのピアニストである。1979年に没している。
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3697:帰路

2016年04月27日 | ノンジャンル
 時坂峠の頂上でしばしのまったり時間を過ごしたのち、下り始めた。路面が濡れているので、慎重に下った。

 下りでも邪魔なのが排水路の金属製の蓋である。タイヤが直角に入ればいいのであるが、斜め方向で進入すると、タイヤが滑ってひやっとする。

 時坂峠を下り終え、いつもなら必ず立ち寄って「うの花ドーナッツ」を頬張る「ちとせ屋」をパスして、檜原街道を走った。

 帰路は緩やかな下り基調の道である。ペースはずんずんと上がり「急行」から「特急」列車に切り変わったような感じで走っていった。

 今日は全般にハイペース走行であったし、時坂峠でもそれぞれ自身が出せる限界ペースで上った。体には疲労感がずしっと堆積しているはずであるが、脳内に沁み出てくるアドレナリンの効用か、気分は「イケイケ状態」であった。

 なので、順次先頭交代しても誰もペースを落とそうとはしなかった。私も先頭に立つとさらに戦闘モードのレベルが上がり、ガシガシとクランクを回し続けた。

 サイコンに表示されるスピードが40km/hを超えると、何故かしら笑顔になる。心拍数はヒルクライム時のそれに近い数字を示し始める。

 「このまま、走り続けたい・・・40km/hのスピードで軽いアップダウンを走っていたい・・・」

 しかし、公道には信号がある。赤信号で高速走行は途切れてしまう。赤信号で止まって後ろを振り返り、メンバーを見る。皆疲れた様相である。

 それでも列車はスピードを緩めることはなかった。武蔵五日市駅前を右折して睦橋通りを走っていった。

 往路でもトイレ休憩をした拝島駅そばのファミリーマートで小休止した。時間の関係でおにぎりを一つのみ頬張り、最後の行程へ向かった。

 「今日は走れて良かった・・・」つくづくそう思えた。Mt.富士ヒルクライムまでそれほど時間があるわけではないこの時期・・・時間も距離も短かったが、その負荷強度はかなり高いロングライドとなった。

 自宅に帰りつき、シャワーを浴びる前にKuota Khanの掃除をすることにした。路面が濡れているとロードバイクはひどく汚れる。

 まずは濡れた布で泥汚れを落とし、続いて乾いた布で拭く。さらにワックスをスプレーした布で仕上げて終わり。

 汚れていたKuota Khanはその本来の艶やかな姿を回復した。私も汗で薄汚れていた。シャワールームで暖かいシャワーを浴びることにした。
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3696:時坂峠

2016年04月26日 | ノンジャンル
 時坂峠を上り始めた。上り口までいつもよりも随分と速いペースで走ってきたので脚には疲労成分がたまってはいたが、「ヒルクライムは別腹だから・・・」という感じで、序盤からペースはいつもよりも速かった。

 私はGARMIN 520Jに表示される「心拍数」、「3秒間平均パワー」、「ラップパワー」を視線の端に常に捕らえつつ、クランクを回し続けた。

 時坂峠は変化に富んでいる。序盤の斜度はそれほどきつくない。しかし、この序盤でペースを上げ過ぎてしまうと、中盤の斜度が厳しくなるポイントでスローダウンしてしまう。

 序盤は上げ過ぎず緩み過ぎずといった感じのバランス感覚で上っていった。心拍数はやがて170を超えた。170台前半の数値を確認して175を超えないような負荷で走った。

 Stravaでの区間ランキング躍進を狙う上級者2名はやがてペースを上げて前に出て行く。私ともう一人のメンバーは、自分のペースを堅持しながら序盤をこなし、斜度が厳しくなる中盤へ差し掛かった。

 何度かヘアピンカーブを曲がりながら高度を稼いでいく。ダンシングも時折取り入れて、中盤を過ぎていくと、GARMIN 520Jのラップパワーは250Wほどの数字を示し始める。

 路面がウェットであるときのヒルクライム時に嫌なのが、道路を横切っている排水溝の蓋(幅30㎝位で金属製の格子状のもの)である。

 これが濡れていると、タイヤがするっと滑ってグリップを失うことがある。その上を通る時にはダンシングでトルクをかけてはいけない。さらっとやり過ごす必要がある。

 一度和田峠で濡れた排水溝の蓋の上で2度タイヤが空転して立ちごけしたことがある。それ以来注意するようになった。

 時坂峠は後半に入ると風景がさっと開ける場所がある。山の斜面には杉が伐採されたエリアが広がっていた。そこには小さな苗木が等間隔に植えられている。これらの苗木が大きくなり、収穫の時期を迎えるまでには数十年という年月の流れが必要なのであろう。

 終盤は斜度が緩む。ここからペースを上げていきたいところであるが、脚の余力はそれほど残っているわけではない。

 ラップパワーが250Wを下回らないように3秒平均パワーを注視しながらクランクを緩めることなく回し続けた。

 前を行く2名の姿は視界から既になく、後方のメンバーの走行音も私の耳には届かなかった。「250W・・・250W・・・」とブツブツと心の中でしぶとく呟きながら時坂峠の終盤を上り続けた。

 峠の茶屋まで500mほどのところに道が分岐するポイントがある。ここは平らになっていて、チームで上るときは一旦ここをゴールポイントとすることが多い。

 しかし、Stravaの区間設定はゴールが峠の茶屋に設定されているので、今日はまだ500mほど本気モードで走った。

 一旦平坦になってまた上がり、また平坦になって最後に上がる道を「250W走行」で駆けていった。ようやく峠の茶屋に到着した。すぐさまラップパワーを確認した。「253W」であった。
 


 峠の茶屋の前には見晴らしのいい展望台のような場所があり、Kuota Khanを立てかけて、霞がちに見える山を遠くに眺めた。
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