AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

廃棄損

2006年10月31日 | ノンジャンル
 私の事務所の顧問先には何社かコンビニエンスストアを運営している会社がある。コンビニエンスストアは今ほぼ飽和状態で、極めて競争が激しい。特に東京の郊外では既存店よりもはるかに広い駐車場を持った新規店が次々に出店しており、既存店はますます窮地に追い込まれている。

 コンビニエンスストアでは賞味期限を過ぎて売れ残った食品などは全て廃棄される。この廃棄された商品の原価は当然運営会社の負担となる。そこで経営者はこの廃棄金額を少しでも抑えようと知恵を絞る。販売見込みぎりぎりの数量の仕入れをすれば、廃棄損を抑えることができる。しかし、抑えた仕入れではある程度の量が売れた場合棚がスカスカとなり見た目的に物寂しくさびれた雰囲気を醸し出してしまう。

 コンビニの棚は常に商品で溢れ、しかも整然と陳列されていることが、消費者の購買意欲を掻き立てるためには必要なのである。棚がスカスカでわびしい感じでは消費者の購買意欲やリピート来店率を下げてしまって、売り上げがジリ貧状態になってしまう可能性もある。そのさじ加減が難しい。廃棄を怖がりすぎてもいけないのである。

 棚が寂しい・・・それは我が家のリスニングルームにも当てはまる。廃棄を恐れて仕入れを抑えたわけではない。むしろ大量に仕入れた。それも高価な機器を何台も。その大量仕入れに備えて、ラックはクワドラスパイアの3段のものが三つも並んでいる。つまり棚板の数は9枚。9台のオーディオ機器がその棚に整然と収まるはずであった。

 向かって左側のラックにはXERXES 20、Synphonic、XERXESの電源部が、真ん中のラックにはCDP-X5000、SD05、BAT VK-51SEが、そして右側のラックにはemm labs CDSD、emm labs DCC2、AntelopeAudio OCXが整然と並べられ、その壮観な様を見ながら「これで私も一端のハイエンドオーディオマニアだ・・・」と悦に入る予定であった。

 しかしながらその3列に縦列駐車しているラックには今は2つの機器しか並べられていない。棚が寂しい。スカスカである。アナログ機器は近い将来、ハイファイルネッサンスの社長のスケジュールが空けば納品される予定であるが、その他の機器はリフォーム工事完了前のように段ボールに収められ階段下の物置に収納されている。

 棚に並べられたたくさんの機器を愛でるのは楽しいものである。それは少年の頃夢中になって集めた色とりどりのミニカーを棚に並べてうっとり眺めた楽しさに通じるものがある。しかし、今は棚をスッキリさせたい気持ちのほうが強い。それは、今この部屋から聞こえてくる音がそういう気持ちにさせたのかもしれない。
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ピアノ戦争

2006年10月30日 | ノンジャンル
 昨日のCDP-X5000(改)+SD05の音体験では、幾つかのステップを踏むごとに音が向上することがはっきりと分かったのであるが、ハイライトはリスイニングポイントから見て右手の側壁を占領している妻のアップライトピアノをその壁に沿ってずらし角まで持っていき、両方のスピーカーをそれぞれのコーナーにセッティングしなおした時であった。

 一気にサウンドステージが広がり原寸大を思わせるサイズに拡大したのである。映画館でCMと予告編が終わりいよいよ本編が始まる際にスーと幕が広がるようにサイズアップしたのである。まさに目の前が開けたという印象を受けた。

 この音を聞いて喜び勇んだのは当然であるが、その心の裏側で一種ヒヤッとするものを感じた。「これはひと悶着あるな・・・」そう思わずにはいられなかった。まず間違いなく妻からのクレームがある。それも相当激しいものにならざる得ない。

 もともと妻は部屋のリフォームには反対であった。特に窓をつぶすということには強固なる抵抗を受けた。どうにかなだめすかしてやってきたのであるが、工事が予定よりも2週間も遅れ、その間廊下に置かれたピアノで練習するはめとなり、フラストレーションはうなぎのぼりであった。

 やっと部屋が完成しピアノは比較的いいポジションに置かれ、その音もかなり良くなったので、最近は機嫌が良かったのであるが・・・センターポジションから部屋の片隅、しかも出入り口のすぐそばにピアノが移動されたのでは、これはひと悶着ないほうが不思議である。

 やはりピアノ戦争は勃発した。危惧していたとおり相当な攻撃力でもって侵攻してくる。こちらは防戦一方である。昨日GRFさんから言われた「そういう時はガツーンと、ここは俺の部屋だ!と一喝すればいいのです。」という言葉を思い出した。

 「ガツーンと一発・・・」と内心つぶやいていたが、そうすると相当な期間の冷戦状態となることが目に見えている。それでは神経を消耗する寒波の到来を告げることになってしまう。「しかし、この音を捨て去るわけにはいかない・・・」

 しばらく考えて妻に言った。「わかった、元に戻すよ・・・」ピアノにはキャスターというか車輪のようなものが着いている。動かないようにキャスター受けがあるため、容易には動かせないようになっている。しかし、このキャスター受けをはずせば一人でも移動は可能である。多少床に跡はつくが目をつぶろう。

 ということで普段は真ん中にピアノがあり、オーディオを聴く段になると、そのピアノを移動させる必要が生じることとなった。時間にすると3分程度で済むのであるが、結構力仕事である。ほぼ毎日行うことになる。いい筋力トレーニングと捉えるしかないようだ。

 オーディオにとってこの部屋にピアノがあることは百害あって一利無しではあるが、家庭生活との両立にも配慮しなければならない。オーディオはとかく家庭のなかでは孤立しやすい趣味である。家庭生活とオーディオというテーマは結構厄介なものだ。しかし、様々な制約のなかで工夫と努力を重ねることも大事なことなのかもしれない。

これがなければと正直思うこともあります・・・

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思いのエネルギー

2006年10月29日 | ノンジャンル
 人生で起こることは、全て偶然で、「人生は偶然の累積である。」という人生に対する捉えたかがある。一方、人生で起こることは全て必然で、「全てのことに理由がある。」という捉え方もある。

 私は全く人格者でも哲学者でもなく、また達観とは程遠い次元であくせく生活している。ビジネスの心配をし、金勘定で頭を悩ませ、家族との人間関係で後悔したり、物欲や性欲はたまた食欲に振り回され、人生を過ごしてきた。

 しかし、はっきりとした理由は提示できないのであるが、「人生で起こることの多くは必然で、理由がある。あるいは原因がある。」という気持ちが強い。その人が持ち続けている思いというエネルギーが、人であったり、物であったり、アイデアを引き付けてくるような気がしている。

 今日はGRFさんがサウンドデザインでカスタマイズされたCDP-X5000を我が家に持ってきてくれた。そして私にとってGRFさんやSD05ヘの「架け橋」となってくれたハンコックさんも同席してくれた。

 リスニングルームのリフォーム工事と電源改良工事を経て、我が家の音は見違えるようになった。目標であるコンサーホールの響きを髣髴とさせる音に大きく一歩近づいた。しかしまだ掛け値無しとはいかない。先日GRFさんのところで聞かせていただいた音は掛け値なしと言っていいレベルであった。

 GRFさんのところは部屋の広さが私のリスニングルームの倍以上、やはり部屋の広さはいかんともしがたい。等身大のサウンドステージのためには、やはり20畳以上の広さが必要なのではないかと内心思っていた。

 emm labsを中心とした現在のラインナップもこの部屋を得て、その実力を遺憾なく発揮してくれるようになったので、CDP-X5000(改)とSD05のペアがきたら、実力伯仲したバトルを展開するのではないかと、内心密かに期待していた。しかし、実質9畳程度の広さのこの部屋では、いずれが勝ったにしても、サウンドステージには一定の縮尺率を掛け、またコンサートホールの髣髴度合いにも多少掛け値を掛けた音になるだろうと予想していたのである。

 CDP-X5000に電源をいれ、SD05とデジタル接続して、音だし。従来の駆動系よりも音のたたずまいが落ち着き軽やかさも出てきた。次にラックの中段に置いてあったSD05を隣のラックの最上段に移す。音の伸びやかさが加わり、押さえつけられていたものから開放されたような印象を受ける。

 そしてリスニングルーム右手に大きく陣取っている妻のアップライトピアノを3人がかりでずらし、そのうえでスピーカーをより両方のコナーに近づけた。二つのスピーカーの間隔はさらに広がった。そのうえで音を確認した。

 そこにはコンサートホールがあった。髣髴度合いに対する掛け値がほぼない状態である。3人とも笑った。目の前で起きていることに対する反応としてはいささか滑稽ではあるが、自然と笑った。しかも3人ともである。

 そして、音を聞いているときは照明を消して聞いていたのであるが、スピーカーの向こうに演奏者の気配が感じられる。その息使いのようなものが肌で感じられるような印象である。

 今日ここで体験したことは、偶然の累積とは私には思えない。私は、オーディオに対する知識も経験も正直未熟である。ある面全て人からのノウハウや情報、技量で支えられており、私自身の実力などはっきり言ってこれっぽっちもない。ただ、強い思いだけは持っていた。「コンサートホールを髣髴とさせる生きた音が聞きたい。」その思いだけである。そのための手段は私の手元には全くなかった。

 しかし、そのための手段は外からやってきてくれた。松浦さんとともに石井式リスニングルームが、Akimitsuさんとともに素晴らしい電源環境が、そしてGRFさんとともにCDP-X5000とSD05のペアが・・・それらは決して偶然の累積ではなく、必然であった。

 思いというのは強いエネルギーを持っている。どういう思いを抱くか、意識的にせよ無意識的にせよ、どういう思いを抱いて生きているのか、その思いの質と強さがその人の人生を決めていくような気がする。いつもは低次元の悩みを抱え、地上を這いつくばって生きているが、今日はこの音を聞いて心が潤された。「ありがとうございます。」と深々と頭を下げたい気持ちである。
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直球勝負

2006年10月28日 | ノンジャンル
 高校時代に本気で野球をやっていたような人とキャッチボールをすると、ボールをグローブで受けた瞬間ビシッと乾いた音がして、その衝撃度合いは結構ある。何球かキャッチボールをしていると手が痛くなることもある。

 今日はクッパ邸でのOFF会があった。クッパさんは初対面であるが、その醸し出す雰囲気はほのぼのした温かさが感じられる方で、とても気軽に会話することができた。しかし、その醸し出す雰囲気から想像していた音とは180度趣の違う直球勝負の音がそのスピーカーからは放たれていて、その大きなギャップに多少面食らった。その音はビシッと音がしてミットにすっぽり収まる感じのするものであった。

 クッパ邸でのOFF会にはhades氏とオルフィ氏もご一緒であった。御二人とも初対面であったが、「只者ではない感」が全身から発せられていた。そしてそのお話を伺い、やはり只者ではない、ということがよ~く分かった。

 クッパさんを含め、総勢4名でご自宅に向かったのであるが、その場所がまた凄い。都心の真ん中なのである。「大都会」という雰囲気の中クッパさんの自宅はあり、周囲には大きなビルが林立している。同じ東京都とはいえ、我が家の近所の雰囲気とは相当な差がある。

 リスニングルームは和室で6畳ほどの広さ。横長に使われている。かなりのニアリスニング。そしてAVALONのアバターmk2以上に存在感があり目を引くのがPARASOUNDのパワーアンプ。全く知らないメーカーであるがその堂々たる躯体はいかにもパワーがありそう。



 まずはCDから聞かせていただいた。そしてその音の第一印象は最初に述べたように「直球勝負だ!」というもの。びしびしと矢継ぎ早に直球が投げ込まれるという感じ。しかもそのテンポが速い。セットポジションから結構切れのある速球をコントロール良く投げ込んでくるピッチャーである。CDトランスポートはエソテリックのP0。そのウォーミングアップは多少時間がかかるが、読み込みが完了したらすばやい。

 低音に締りがある、全体のバランスもいい。中高域に速球が掠め飛んでいく際の空気音のような緊張感を伴うスピード感を感じる。音の隈取はやや濃い目であるが太い線で書かれたものではなく切れがある。音抜けもいい。

 アナログプレーヤーはROKSANのラディウスをお使いである。もうすぐ導入予定である私のレコードプレーヤーもROKSANである。ラディウスはアクリル仕様でシャープなたたずまいである。「やはり気になる・・・」



 一通りCDを聞いてティーブレークの後、お願いしてアナログを聞かせていただいた。アナログの音が流れてきた瞬間「う~ん、アナログの音にはタメがある。」と感じ、少し力が入っていた肩からスッと力が抜けた。脳波の波形も若干ゆったりとしたリズムを刻み始める。

 「ピッチャー、振りかぶって、投げました。」のアナウンスにおいて、「振りかぶって」と「投げました」の間に一拍の休符がある。軸足に体重が乗って充分なタメがあってから投げ込んでくるので、音に実体感というか、腕のしなりが活きた音が投げ込まれる。キャッチャーミットに収まった時の音の質量感も心地よいものだ。

 OFF会の後4名でダイナの島田店での試聴会に参加。そこでGemokuさんと合流。総勢5名で食事をしながらのオーディオ談義。その会話はとても濃い。そしてとても深い。初心者である私は会話についていくだけで大変であるが、このメンバーのオーディオに対する熱意の凄まじさに、「私などまだまだ甘い!修行が足りない・・・」と感じてしまった。
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至近距離

2006年10月27日 | ノンジャンル


 近い、近い・・・至近距離にスピーカーがあり、二つのスピーカーの間隔も狭い。視覚的には正直圧迫感があり、良いとは言えない。

 実は昨日の記事に対するmoukutsuさんのコメントに「例えば、部屋の真ん中付近に、スピーカーの間隔を1~1.5mくらいにしてセットし、ワンポイント(ペアマイク)録音のソースを聴いてみてください。初めは違和感があるかも知れませんが、ホールの響きの広がり、消え方、聴取位置を移動(頭を左右に振るなど)させたときの音像の動きなどに注目して、耳をリラックスして2時間くらい聴き続けていると面白い体験ができるはずです。」とあり、早速実験してみた。

 ほぼ指示通りの位置にセッティングして、多少半信半疑ながら音を出してみる。視覚的な不慣れさからくる違和感があるので目をつぶっても試聴開始。

 音場の形成はスピーカー後方奥深く、目をつぶれば至ってまっとう。低音の力感も結構ある。管楽器などの音色も自然でリアリティーがある。各楽器の定位感も定かである。目を開けても、音そのものに対する印象は変わらない。(しかしすぐそばにある黒い二本のトーテンポールは存在感ありすぎ。)

 こういった見た目的には変則的なスピーカーセッティングも面白いものだ。リスニングポイントすぐそばにスピーカーがあるのであるが、そのはるか後方の背面にしっかりめのサウンドスーテージが構築され、二本の門柱を通してそのステージを見ているような感覚に陥る。

 両方のスピーカーの間隔は1m30cm。普段のセッティングよりも1m以上狭い。そして部屋の真ん中のライン上のスピーカーをセッティング。部屋を横長配置に使用しているため、相当なニアリスニング状態となる。

 視覚的な違和感と部屋の使い勝手が悪くなること以外、結構良いとの判断が下せる。スピーカーのセッティングは奥が深い。特に水平360度無指向性のHRS-120はセッティング実験にはもってこいなのかもしれない。
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