AcousticTao

趣味であるオーディオ・ロードバイク・車・ゴルフなどに関して経験したことや感じたことを思いつくままに書いたものです。

1812:27日のOFF会 2

2011年02月28日 | ノンジャンル
 Coreさんは、プログレッシブロックをよく聴かれている。おそらくクラシックはほとんど聴かれないはず・・・しかも、アナログのみでCDは聴かれない。

 となると当然、お通しするのは、1階のリスニングルームである。ついこの間、この部屋では、印象的な出来事があったばかりである。そのへんの複雑な事情を時系列的に説明するのはとても困難である。そして、その困難さと同様に、私の心情も説明困難な程に複雑なものがあった。

 そして、そういった複雑な心境とは別の次元で、もう一つ複雑な心情が持ち上がった。どの次元かと言うと、それほど高い次元ではない・・・しかし、男女の愛憎の絡み合う次元よりはほんの少し高い次元かもしれない。いや・・・対して変わらない次元か・・・

 それは今回のOFF会の選曲である。我が家のシステムはクラシック向きに調整してある。プログレッシブロックが上手く鳴るとは思えない。しかし、普段私がよく聴いているクラシックをかけてもCoreさんは相当退屈される可能性がある。ここは、上手く鳴る鳴らないに関係なく、プログレッシブロック系のレコードをかけるしかないであろう。

 そこでまず取り出したのが、La Dusseldorfの「VIVA」。そのなかから「CHA CHA 2000」をかけた。冒頭のピアノの澄んだ響きが心地良い。後半へ行くにしたがってDusseldorf節ともいえる疾走感が全開となる。実にすかっと気持ちの良い曲である。同じアルバムから「GELD」もかけた。

 次に取り出したのがCluster and Eno。青空に向かってマイクが一本立ててある印象的なジャケットである。このジャケットの写真を見ているだけで、その音が連想される。



 このアルバムから「Fur Luise」と「Selange」をかけた。どちらの曲も有機的な化学反応を思わせるような粘りのある独特の世界観が提示される。一種瞑想的でもある。そして、どことなく東洋的である。

 さらにPeter Gabrielのファーストソロアルバムから「Modern Love」と「Slowburn」、David Bowieの「Low」から「Speed of Life」と「Breaking Glass」など、比較的メジャーなアーティストのレコードもかけた。

 そしてとりをつとめたのはCANである。名作の誉れ高い「Ege Bamyasi」から「Sing swan song」と「One more night」をかけたのである。このレコードのジャケットはポップアートを意識した優れたデザインである。

 

 実に濃い感じの構成であった。これらの曲を聴き入りながら、中学生の頃が懐かしく思い出された。阪急京都線に乗って、河原町まで行き、わずかばかりのお小遣いを握り締めて、十字屋の輸入盤コーナーを漁っていたあの頃のことが・・・
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1811:27日のOFF会 1

2011年02月27日 | ノンジャンル


 モデルの「杏」をテレビなどで見かけると、どうしても「ウルトラマン」を連想する。一度でいいから、この表情で「シュワッチ・・・」と言ってもらいたい。さらにスペシュウム光線のポーズをとってくれたら、言うことはない。

 ちょうど1週間ほど前のことである。テレビのCMで「杏」が出ているのを見て、そんなことを頭のなかに思い浮かべていた時、マナーモードに設定している携帯のバイブレーションが振動した。4回で止まった。「メールだな・・・誰からだろう・・・」と思って二つ折りの携帯を開けた。

 「Coreさんからだ・・・」すっと背筋に冷たいものが流れた。「いや、そんなことはない・・・きっと・・・」と頭に浮かんだ考えをすぐさま打ち消した。

 「いや、まてよ・・・もしかしたら、何らかの事情で『寧々ちゃん』とのことがばれて・・・『ちょっと話が・・・』なんてことだったりするかも・・・」少しドギマギしながらメールを開いた。

 すると、「ご無沙汰しています。前回我が家に来ていただいたときに、近いうちにtaoさんの所にも行かせてください、とお願いしていたのですが、あれからずいぶん時間が経過してしまいました。突然ですが今月の27日の日曜日はいかがでしょうか?」とそのメールには書かれていた。

 「つまりこれは、我が家でOFF会ということ・・・ほんの少し前に『寧々ちゃん』とあんなことがあったばかりのリスニングルームにCoreさんをご招待するということか・・・」少々複雑な心境となった。

 でも、どうやら「寧々ちゃん」とのことは全然ばれていないようである。そうであれば変に断るわけにもいかない。

 ということで、「こちらこそ、ご無沙汰しています。我が家のオーディオは年代ものばかりで、少々黴臭い音がするかもしれませんが、どうぞ一度おいでください・・・」と返信した。

 その27日が今日なのである。通常のOFF会のときは「我が家の音に対して、どんな印象を持たれるのであろう・・・」と緊張するが、今回は別の意味で緊張する。「どうなるのであろうか・・・」
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1810:Coreさんの独白 5

2011年02月26日 | ノンジャンル
 「もちろん、音は聴いていますよ・・・かけていただいた音楽も楽しんでいます・・・でも、音だけを聴いていたらすぐに飽きてしまいます・・・音の向こう側にあるものが聴こえてくると、飽きないんです。」

 「あっ、すみません・・・訳の分からないことを言ってしまって・・・」

 「いえ・・・正直よく分からないんですが、音の向こう側にあるものって何ですか?」

 「Coreさんは、マジカル・アイって知ってます?」

 「ええ・・・本屋で見かけたことがあります。何が描かれているか分からない絵のことですか・・・」

 「そう、それです。絵に目の焦点を合わせて見ると何が描かれているか分からないんです。しかし、絵の向こう側に目の焦点を合わせると、とあるポイントで急に立体的で鮮やかな模様や物体が浮かび上がるんです。」

 「そんな感じなんです・・・音に焦点を合わせていると、音しか聴こえてきません。高域が澄んでいるとか、低音がずんと沈むとか、空間表現が適切で、定位がぴたっと決まっているとか・・・そんなことしか見えません。」

 「でも、音から焦点をずらして、音の向こう側を見るようにすると、その人の人となりのようなものが、立体的に浮かび上がってくるのです。その人の性格、行動パターン、仕事ができる人か、優しい心の持ち主か、独善的な傾向が強いか、そして今までどのような人生を歩んできたのか、といったことが見えてくるような気がします。」

 「もちろん、そんなことを相手の方に話すことはしません・・・話すことは、素晴らしいSNですね・・・とか、微塵も揺らぐことがない定位ですね・・・とか、そういったことだけです。」

 「では、私のオーディオの音から、私の人間性が透けて見えてしまうのですか・・・」

 「そんな、大げさなものではないんです・・・しかも、私の勝手な思い込みに過ぎませんから、外れている可能性も高いのです・・・自分なりに楽しんでいるだけですから・・・」

 「でも、どんなふうに見えたか、伺ってみたいですね・・・」

 「Coreさんは、昔・・・だぶん小学生高学年の頃、バレエを習っている女の子のことを好きになりませんでしたか・・・細身で手足がすらっと長い・・・」

 「えっ・・・バレエを習っている女の子の絵が音の向こう側に見えたのですか・・・」

 「見えた訳ではありません・・・でもCoreさんの音を聴いていて、イメージされたものが、バレエを習う女の子だったんです・・・年の頃は小学生高学年か中学1年ぐらいの・・・」

 少々びっくりした。実は思い当たることがあったのである。「初恋」と呼ばざる得ない思い出である。「そんな聴き方もあるのか・・・」と思った。

 近いうちにtaoさんのお宅にも行ってみたいと思っている。taoさんの音の向こう側に見えるものが何なのか・・・私も探ってみたい。
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1809:Coreさんの独白 4

2011年02月25日 | ノンジャンル
 私のオーディオシステムは、スピーカーがRIADOH ACOUSTICSのAyra C2、レコードプレーヤーがORACLE DELPHI MKⅤ、プリアンプがOCTAVE HP-300、パワーアンプがOCTAVE RE-280 MKⅡである。カートリッジはZYX AIRY Ⅲ。フォノイコライザーはHP-300内蔵のものを使用している。

 オーディオシステムは1階のリビングに据えてある。テレビが脇に追いやられ、オーディオシステムが我が物顔にのさばっている。この状況については、当然のことながら妻や娘からは相当迷惑がられている。

 聴くのは、プログレッシブロック・・・必然的に60年代後半から70年代前半のレコードが多い。中学生の頃からコツコツと集め続けてきたレコードの総数は1万枚を超える。2階の6畳の一室を完全にレコードが専有してしまっている。この点に関しても常日頃、妻から苦情が出ている。

 まあ、オーディオというものは一般的に家族からは歓迎されることのない趣味である。しかも、サラリーマンの収入からすると分不相応とも言える高額な機器を買い揃えてしまった。子供が一人だけであるからどうにかなったが、もう一人子供がいたならば、こういった機器を揃えることは不可能であったろう。

 いわゆるオーディオ仲間というのはいないが、ブログを通じて知り合った方はいる。taoさんという方が2度ほど我が家を訪問してくれた。

 taoさんは、TANNOYやQUADといった、いわゆるビンテージ・オーディオをお持ちである。主にクラシックを聴かれているようであるが、中学生の頃はプログレッシブロックを聴かれていたことがあったとのことで、私のかなりマニアックな話題にもついてきてくれた。

 NEUの「NEU2」をかけたときなど、「これは中学3年生の頃、ほぼ毎日のように聴いていました。特にA面の1曲目が好きです・・・これは今聴いても全く古さを感じさせませんね・・・」と感慨深げに話されていた。

 普通のプログレファンの場合、KING CRIMZONやYES、PINK FROYDなどは歓迎するが、NEUまでくると、「そのへんはちょっと・・・」というケースが多いのであるが、taoさんは結構ディープな部分まで入り込んでいたようである。

 その証拠に「CANのベーシストのHolger Czukayの一枚目のソロありますか・・・Persian Loveが大好きなんですよ・・・」とリクエストしてくれたりもした。

 さらに、「他に聴きたいアルバムありますか?」と訊いたところ「Van Der Graaf GeneratorのWORLD RECORDを聴いてみたいですね・・・B面ラストの曲が最高です・・・フルートのソロで始まる曲です・・・」と答えてくれた。

 「もちろんあります・・・」嬉しくなって2階のレコード部屋に駆け込んだ。オーディオもプログレッシブロックも今や完全に日陰の存在である。そんな2重の日陰生活を送っている者にとって、どちらの言語も解してくれる方の存在は嬉しいものである。

 taoさんはあちらこちらのオーディオマニアのお宅を訪問していて、すごい装置のお宅にも行かれているようであった。そこで、「我が家のオーディオの音はいかがですか・・・たいしたことないでしょう・・・」と控えめに質問した。

 するとtaoさんは「私は音を聴いているわけではないのす・・・」と答えた。意外な答えであった。「えっ・・・どういうことです・・・」と思わず訊くと・・・
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1808:Coreさんの独白 3

2011年02月24日 | ノンジャンル
 香理と出会う少し前に妻は病気になった。病名は「子宮頸癌」。そのため、子宮と卵巣を摘出する手術を受けた。

 一人娘はそのころすでに中学生であり、子供をもう一人という気持ちはなかったので、妻が子供を産めない体になったこと自体は、私にとって、またわれわれ夫婦にとっても、それほど大きな問題ではなかった。

 医者からは、「転移の可能性は低いはずです。子宮と卵巣を摘出しても、ホルモン療法を受ければ、『夫婦生活』は以前と変わりなく行うことができます・・・」と言われていた。

 退院後数ヶ月したときに、妻にSEXを求めた。妻も応じてくれた。しかし、性交中に痛みがあるようで、中断せざる得なかった。その後同様なことが2度ほどあった。

 彼女は退院後、どのような理由かは判然としないが、気分が落ち込んで家事も出来ない状態になることが時々あった。その様子を見ていて、私は、発病前と同じように彼女にSEXを求めることは、その精神状態に悪い影響を与えることになるかもしれないと考えるようになっていった。

 それからは妻にSEXを求めることはなくなった。また妻のほうから求めることもなかったので、われわれ夫婦は完全なセックスレスの状態となった。

 週刊誌の記事などを読むと、夫婦間のセックスレスは、今の日本では珍しいことではないようである。私もそれが特別変わったことではないと感じていた。

 若い頃のように強い性欲に突き動かされることはなくなったし、男性には金銭で性欲を発散する場もあるからである。それよりも、妻の精神状態の浮き沈みが激しいことのほうが気にかかっていた。

 香理と出会ったのは、そんな折であった。妻との関係がそういった状態であったことは、少なからず香理に惹かれていったことに影響を与えたかもしれない。

 家に帰っても、妻の精神状態が気になり、心からくつろげることがなかった。ふたつの歯車の歯のかみ合わせがずれてしまって、そのままかみ合うことがなく別々の回転を無為に繰り返しているような感じであった。

 そんななか私は香理との関係にはまっていった。香理と裸で抱きあい、お互いの体の隅々までを愛撫しあう。彼女は、普段昼間に見せる表情とは全く別の恍惚とした表情となり、大きな声を上げる。昇りつめる時には首を左右に振り、こんなに力があったのかと思えるほど強くしがみついてくる。

 SEXが終わると、彼女は私の腕枕の中で静かに目を瞑る。そして決まって私の左胸にその耳をくっつける。「心臓の音が聞こえる・・・とても早く鼓動している・・・しっかりと聞こえる・・・」目を閉じたまま、そうつぶやくのである。

 そして、「頭を撫でて・・・しばらくの間・・・やさしく撫で続けていて・・・」と甘えるように哀願する。「こうやって、頭を撫でられながら、あなたの心臓の音を聞いているのが好き・・・生きてるって感じがする・・・私の心がゆっくりと羽を休められる・・・」しばしの間、彼女は微睡む。

 羽を休めているのは彼女だけではなかった。私も疲れた羽を休めていたのである。二人は貧弱ではあるが、懸命に羽ばたくことを止めようとしない羽を休め合っていたのである。
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